カレー界のみなさんから見た、水野さん。
聞いた人04「ナイルレストラン」2代目 G.M.ナイルさん
<「ナイルレストラン」と
G.M.ナイルさんについて>

「ナイルレストラン」は1949年に開店した、
日本最古のインド料理専門店です。
名物メニューは、大きな骨つきチキンを
7時間ていねいに煮込んだ
スパイシーなカレーの「ムルギーランチ」。
インド人従業員のかたに
「全面的に混じぇて」と言われるままに、
すべてを混ぜて食べると、不思議とおいしさが増します。
G.M.ナイルさんはその2代目オーナーで、
初代のA.M.ナイルさんの意志を受け継ぎ、
日印親善につとめています。
独特のキャラクターにより、
テレビ・ラジオ・雑誌などで活躍されているほか、
岩手の契約農家の米を使用していることから
「いわて文化大使」にも任命されています。
また、無類の警察好きで、都内に個人の
「警察資料館」も所有されているとか。
著書に、水野仁輔さんとの共著
『銀座ナイルレストラン物語』があります。

▶︎「ナイルレストラン」ホームページ 
水野さんって、どんなかたですか?
水野くんのエピソードは、
善己がぜんぶ喋っちゃったんじゃない?(笑)
ただ、えっとね、善己から見た水野くんと
ぼくから見た水野くんというのは、
これまたまったく違うのよ。
ぼくから見たら、ただの子供なの。
あの子も可愛い子だよ。
息子みたいなもんで‥‥
いや、息子みたいというか、息子だ、あれは。
息子みたいなもんで息子なの。
あの子たちみんな「カリ~番長」や
「スパイス番長」とかって、
一所懸命がんばってやってるじゃない。
あの集団はぼくにとっては、
ぜんぶ息子みたいなものなんです。
彼らのお父さんたちは、
現実にみんなぼくの知り合いで、
彼らはみんなその子供たち。
そういう意味でも、彼らはほんとうに
ぼくの息子たちなんです。
いま、時代がどんどん変わるなかで、
彼らはものすごくがんばってやってるから、
ぼくは彼らをとても高く評価してる。
そしてぼくは水野くんをヨイショする気は
毛頭ないんだけれど、
彼がそのリーダーシップで、
いろんな活動を引っ張っていってる。
やっぱり彼の人徳と、彼の行動力と、彼の知能と、
そこがあるからこそ、
みんなを引っ張っていけてるんじゃないかな。
「カリ~番長」という名前自体にも、
ぼくは水野くんのリーダー性を感じるね。

カレーというのは、本来のインド風のカレーと同時に、
日本風のカレーがあるんだね。
そしていま、そのふたつを合体させ、
ますます進化させてるのが
水野くんと、彼ら若者の軍団だと
ぼくは思ってるんです。
とくに、水野くんが強く興味を持ってる
日本のカレーについては、
彼らのほうがぼくよりプロだからね。
ぼくは、それは素晴らしいと思ってる。
ぼくに言わせるとね、日本のカレーって
確実に日本料理じゃないし、インド料理でもないの。
わかります?
あれは何かというと
「日印友好親善合体料理」なんだね。
だから、カレーという料理が
どんどん進化していくことは、
日本とインドの関係が進化することでもあるわけ。
そういうふうに頭ををちょっと切り替えると、
見えてくるものがいろいろある。
そういうことをとてもうまくやってるのが、
善己や水野くんたちの、あのグループだと思うんだね。
だから、ああいう若者が出てくることによって、
これからどんどんどんどん、世界が広がる。
それはすごくいいことなんじゃないかと
ぼくは思っています。
そうだ。水野くんはその文章力も、大したものよ。
『銀座ナイルレストラン物語』という本で
彼がライターをしてくれたんだけど、
ぼくが内容をものすごく細かくチェックしたとき、
ぼくのしゃべったこと100%で、
ぼくの話から1字も出てなかった。
ぼくは自分でも書けるけど、
あのときは原稿を書く時間がなかったから
水野くんが書いてくれたんだね。
彼もそのときは今よりまだ時間があったから
うちの自宅に泊まりがけで、
ぼくがしゃべるのぜんぶ録音して、
それをぜんぶ書き下ろして。
彼はテープも自分で起こして、文にして、
それをぼくがぜんぶチェックして、
一緒に作っていったんです。

ぼくが水野くんと話すこと?
水野くんに限らないけど、あの若者たちにはみんな、
アドバイスはよくしてますよ。
彼らはぼくにとって、息子だから。
「おい君たちは!何やってるんだ!」
って言ってハッパかけて(笑)。
ぼくは怖いおじさんだもん。
たまに彼らのイベントに行って、
ぼくがマイクをとると、話が終わらないんだね。
そして舞台の上で
「お前たち、文句あるか!」って言ったら、
全員が「はい、ありません!」って言う(笑)。
それは年がいってる役得でね。
もうぼくは72になるけど、
人間、こうなると世の中に怖いものは何もないね。
善己が大体しゃべったと思うけど、
水野くんは一時期、毎日うちの店に来てたんです。
水野くん、橋之助、海老蔵。
この3人はほんとによく来てくれてる。
でもあの子もよく毎日、
あれだけカレーばっかり食べて飽きなかったね。
ぼくも比較的毎日カレーを食べてるけど、
あそこまで毎食食べたら、さすがに飽きるよ(笑)。
ぼくは仕事柄、1日1回かならず食べるんだけどね。
あちこちのカレーを一口ずつぜんぶご飯にかけて食べて
もし気に入らなかったら、ドーン!しちゃうの。

「水野仁輔」さんという人に、新しい肩書きをつけるとしたら‥‥?
そうだな、彼は実行力があって、
カレーに対する愛情が人一倍強い。
彼のからだぜんぶがカレーじゃないかと
思うくらいだね。
うん、あいつは「からだぜんぶがカレー」だな。
カレーばっかり食って、大きくなったんだから。

水野くんは、さいきんのカレー業界の
傑物になると思うね。
というのも、うちの善己なんかはぼくが、
あいつが赤ん坊のときから、
「お前は将来カレー屋だぞ。
 お前はカレー屋だ。
 お前はカレー屋。
 カレー屋になりなさい」
‥‥とかずっと言いつづけてたから、
気がついたら自分はカレー屋だと思ってる。
でも、水野くんはまったく違うからね。
そういう背景で、あれだけカレーを
愛するというのはすごいんだよ。
あの「カレ~番長」のグループでも、
うちの善己は、カレー屋の倅(せがれ)で
自分もカレー屋をやってるけど、
ほかにもインド料理の食材を輸入してる子だったり、
スパイスを販売してる子だったり。
もともとみんなカレー絡みの環境にいるわけよ。
だけど水野くんだけは、そうじゃない。
なのに、あれだけ情熱を傾けられるというのは、
非常にうらやましい青年ですよ。
彼をヨイショしてもしょうがないけど、
とにかく彼はね「カレー業界の彗星」だね。
何年かに一度、現れるか現れないかの。
人間ね、何だっていいの、カレーでも何でも、
何かひとつ人生に
自分を傾けていけるものがあるというのは、
非常に幸せなことなんだよね。
水野くんの書いた本にも出てくるけど、
ぼくもね、ぼくぐらいカレー屋で良かったなんて
人間はいないんだよ。
昔、このお店は年中無休だったの。
そのとき、従業員たちは週1回交代で休んでたけど、
ぼくはずっと休まなかったんです。
あるときオヤジに「休みたいな」って言ったら、
オヤジが「お前は休まなくていいよ」って言ったの。
それからぼくは10年間で10日、
毎年元日1日だけしか休まなかった。
だからぼくは朝から晩までカレーで、
ぼくにとってカレーは、ぼくそのもの。
ぼく自身がすでにカレーそのものなの。

水野くんに似た人は、カレーに関してはいないね。
強いて言うなら海老蔵ぐらいだね。
彼も可愛いですよ。
うちの自宅にも来て、カレー食べてね。
「真央にカレーの作り方教えてやってよ」
とか言ってくるんだから。
実際どうかは別として、
その気持ちがあるだけでうれしいじゃない。
そのくらいかな、水野くんに似た人は。
あとは水野くん、その気があればだけど、
カレーやインド料理だけじゃなく、
他の料理にもちょっと顔を出したら
いいんじゃないのかな。
何の料理でも、料理ができる人に
共通するものというのは「真心」なの。
水野くんのあの心で作れば、
きっとどんな料理でも美味しくできる。
だから趣味でいいから、
他の料理もちょっとやってみたらいいじゃない、
とは思いますね。
きっと彼なら、他の料理もものすごいおいしくできる。
彼を見ていて、それはすごく思いますよ。
「ナイルレストラン」2代目店主 
G.M.ナイルさんの思う水野仁輔さん=
からだぜんぶがカレー。
(あるいはカレー界の彗星)
2016-04-29-FRI
01 「デリー」社長 田中源吾さん
02 「dancyu」編集長 江部拓弥さん
03 「ナイルレストラン」3代目、「東京スパイス番長」ナイル善己さん
04 「ナイルレストラン」2代目店主 G.M.ナイルさん
05 「新宿中村屋」総料理長 二宮健さん
06 放送作家 小山薫堂さん