動機がなくても生きていい。『伴走者』出版記念トークイベント 動機がなくても生きていい。『伴走者』出版記念トークイベント
ほぼ日ともかかわりの深い浅生鴨さんが
『伴走者』という小説を書きました。
読んだ糸井は、そのおもしろさに驚き、
「あらゆる社会的な関係を描いた寓話だとも言える」
とツイートして、周囲にすすめています。
これは、3月8日に行われた
浅生鴨さんと糸井による
出版記念トークイベントの模様です。
すでに読まれた方にとっても、
こんな見方もあったのか、とあらためて
再読したくなるような内容になりました。
ふだんから付き合いのある二人だからできる
おもしろトークもたっぷりと。
『伴走者』書影

浅生鴨(あそう かも)

1971年、兵庫県生まれ。作家、広告プランナー。
NHK職員時代に開設した広報局ツイッター
「@NHK_PR」が人気を呼び、
「中の人1号」として話題になる。
2014年にNHKを退職し、
現在は執筆活動を中心に広告や
テレビ番組の企画・制作・演出などを手がけている。
著書に『中の人などいない』『アグニオン』
『猫たちの色メガネ』、
最新作には障害者スポーツをモチーフにした
『伴走者』がある。

※伴走者‥‥
視覚障害のある選手の目の代わりになり
一緒に競技に取り組む人のこと。
区切り線
第2回:横に並ぶ関係。
会場写真
糸井
出版社の戦略だと思うんですけど、
帯の「お前は伴走者だ。俺の目だ」という言葉、
ちょっと美談っぽいですよね。
なんだか、賞ねらいで作った
番組みたいじゃないですか。
ねえ?
会場
(笑)
糸井
「あ、これは、いい番組だと
思わせたいんだろうな」
というタイトルに思えるんです。
『伴走者』は2部構成になっていて、
前編は「夏・マラソン編」で、
後編は「冬・スキー編」ですが、
最初に「群像」で前編を発表してるんです。
それで「今度、こういうのを書いたんですよ」と、
鴨さんが遠慮がちにぼくに言ってきたので、
「ああ‥‥」と言って、
ぼくも「群像」を買うところまではしました。
ぼくは鴨さんの要望に
お金でしか応えられないので。
浅生
(笑)
大事です、それ。
会場写真
糸井
真心とか誠意とかまったくなく、
「とにかく買うわ」と。
で、買って本棚に、
奥さんに捨てられないほうの本棚に入れて‥‥。
会場
(笑)
浅生
捨てられるほうの本棚には、
捨てられてもいいものがあるんですね。
糸井
それで、
「あとで読もう」とは思ったものの
なかなか読まなかった。
なぜかといったら、
「いい話すぎる感」があったからなんです。
なおかつ、
「目が見えない人が出てくる設定」というだけで、
見える人から見えない人に向かって
「お前、ダメだよ」
と言う権利がないような感じがするじゃないですか。
「よかったね」と言わざるを
得ないテーマがあるときって、
「よかったね」以外の感想を
持ってはいけないような気がするから、
「あとで読もう」となっちゃうんです。
浅生
障害者ものって、けなしづらいんですよ。
糸井
そうなんですよ。
動物愛護の問題もそうです。
からだの形とかが変わって
「こんなになってる犬」について、
「かわいいでしょう、おもしろいでしょう」
というようなことを言いにくいんです。
「こんなになってる」と言うだけで、
捉えようによっては、
「差別」と言われちゃうわけで。
浅生
車いすに乗ってる犬とか、
それはそれでかわいいけど。
糸井
そうなんです。
ぼくらが共通で知っている、
動物愛護団体「ミグノン」の友森さんという人が、
「こんなになってる」犬が死んだあとで、
「いっぱい笑われてよかったね」と言うんです。
それってよっぽど自分のやってきたことに対して
自信がないと言えないんですよ。
浅生
そうですね。
糸井
障害のある人に対しても、
「ここは、こっちが遠慮しなきゃなあ」
みたいなことがもしあったら、
やっぱり、そこではふざけ切れないですよね。
この小説も『伴走者』というタイトルだから、
「きっといい話なんだろうな」
という感じがあるし、
それと同時に鴨さんのことだから、
単なる美しい話にしないで、
何か工夫をしているだろうなというのも
わかるんですけど、
それ、ちょっと知的過ぎませんか。
会場写真
浅生
(笑)
糸井
疲れてるんですよ、ぼくらは。
毎日疲れて会社から帰ってね、
「いや、ご飯はもう食べたから」なんて言って、
テレビを見ながらうとうとしちゃう、
みたいな暮らしをしている中で、
そんないい話を読むよりは、
『バーフバリ』を見たいですよ。
会場
(笑)
糸井
「オジサンはね仕事して疲れてるんだから」
という中に、
その美談が入ってくる隙はないんです。
それでなかなか読まなかった。
みなさんもこれから先、
読まない可能性があると思いますが、
今日のぼくの話を聞くと、読みます(笑)。
なぜなら、この小説を読んでいると、
「目が見えない」ということが、
「ただ目が見えない」という
事実に変換できるんですよ。
「気の毒」とか「かわいそうだ」とか、
「守ってあげるべき」という、
上と下との関係が無くなるんです。
浅生
横に並ぶだけですからね。
糸井
横に並ぶ。
そうすると、
「お前、目が見えないもんな」と、
「そう、俺は目が見えない。お前は見える」
という関係になって、
「目が見えない俺に対して、
お前のそのやり方はダメじゃないか」と言うと、
「確かにそうだな」となる。
つまり、子どもと親の関係というのも、
物をたくさん知っているのは親だし、
保護しなければならない立場は親なんだけど、
子どもと対等じゃないですか。
「子どもだからお前ダメなんだよ」
と言う人、いないじゃないですか。
浅生
「子どもだからダメ」というのは、ないですね。
つまり、「見える」というのも、
「目が見えるという経験を持っている」
くらいの感じですね。
糸井
そう。そうして関係性が横に並ぶと、
あとは、純粋にスポーツとしての
スリルをたのしめるんです。
見えない人の走りを、もっと速くするために
伴走者はどうしたらいいんだろうというような、
ドラクエでカギを探しているみたいな
おもしろさが見えるんです。
これがこの小説の2つ目の見方です。
会場写真
浅生
話が飛躍しちゃうんですけど、
東日本大震災のときには
新潟県中越地震で被災した人たちが支援して、
新潟県中越地震のときは、阪神・淡路大震災で
被災した人たちが支援にまわったそうです。
先に経験したことのある人間が一緒にいてあげる。
それが、伴走するということなんだろうな
と思ったんです。
糸井
関係は対等なんだけど、
「先に経験したことあるから」
という理由で伴走できるんですよね。
で、あとは信頼関係があるかないかの
問題になってきます。
小説のなかで、
「ここはつまずく可能性がある場所だから、
スピードを緩めるぞ」
ということを伴走者がやりますけど、
見えない人にとっては、
そのことを言葉で言ってもらえないと、
「なんで緩めたの?」となりますからね。
浅生
そうですね。
糸井
「なんか危ないことでもあるの?」とか、
あるいは「お前、手を抜いてるの?」とか。
でも、信頼関係があると、
「こいつのやってることには意味があるんだな」
ということがわかるから、任せきって、
一緒にスピードを緩められるんです。
これは、すごいことで、
「その信頼関係はどう築かれるか」というのも、
小説の中にチラッと出てくるんだけど、
つまり回数をこなしているんですよね。
浅生
そうですね、回数しかないです。
たぶん、仕事も同じで、
全部自分でやっちゃって、
任せるのが下手な人がいるじゃないですか。
任せるというのは、相手を信頼するのと同時に、
その任せる自分も信じなきゃいけないし、
結果を引き受ける覚悟も必要だし。
これはスポーツをテーマにしているんですけど、
結果的には、
人と人の関係がテーマになったなと思っています。
糸井
いや、そのとおりです。
鴨さん、今日はなんか、
ずいぶんちゃんとしたことを言いますね(笑)。
会場写真
(つづきます)
2018-03-23-FRI
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『伴走者』浅生鴨 著

講談社

本体1,400円(税別)
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