「遊ぶ広報」が目指すがんばらない観光地 「遊ぶ広報」が目指すがんばらない観光地
世界遺産:石見いわみ銀山で、
その土地に根ざした暮らしをしている松場忠さんと、
風のように全国を飛び回っている紀陸武史さん。
まちの人も、訪れる人も、これから来る人も、
たのしみになるような
仕組みをつくったふたりに話を伺いました。

まちおこしは誰かががんばりすぎると、
つかれてしまいます。
がんばらない観光地は、日本各地を救う気がします。

担当は「ほぼ日」下尾(しもー)です。
第2回 しあわせな数字
紀陸
「遊ぶ広報」には必ず、
まちの人に案内してもらう日があるんです。
移住やまちづくりをよいカタチで進めるには、
その地域に訪れた人と、
地域に暮らす人が仲良く交流することが必要です。
そのため、地域に暮らすガイドが先に立って、
地域の方々と丁寧につないでいきます。

それから訪れた人は、
1日5000円の滞在補助費をもらって、
まちの広報をしていくという役割を持って
過ごすようになるので、
普段は声をかけない一言をかけるようになって、
自発的な交流が生まれるようになるんです。
写真
──
どうしても、まちの人も、
よそから来た人たちを
よそ者と思ってしまうという状況を変えたんですね。
紀陸
はい。あと、すごく大事なポイントがあって。
これは群言堂の創業者、松場大吉さんの言葉ですが、
サステナブルな取り組みは、
「文化51:経済49のバランスで考える」
ということです。

理想ばかりではダメで、
経済のことも考えなければならない。
でもどちらが大切かを考えたときに、
必ず守るべき暮らし、
そこにある継いできたものを守ろうという決め事が
本当に大事なポイントなんです。

そして、よそから来た人たちが
しっかりお金を使いながら交流してくれると、
経済がしっかりまわります。
受け入れる地域の方々も、
無理なくつづけていけるんです。

本当にたのしいなという原体験と、
続けていくための実り、
このふたつが合わさって、
初めてサステナブルなバランスに
なっていくと思っています。
──
他にも、まちの人にとって、
やってよかったなと思うことはありますか。
松場
結果的に、ともだちが増えるんですよ。
旅が終わったあともSNSでもつながって。

例えば、石見銀山には、
鳥の図書館があるんですね。
会社を定年したハルさんという
野鳥専門の仕事をしていた方が、
こどもたちのために、
野鳥の本ばかり置かれた図書館を
運営されています。

「遊ぶ広報」で交流があると、
その後も
「こんな野鳥をみつけました」
という手紙が届きます。
それを70歳をすぎたハルさんが、
うれしそうにInstagramにあげているわけです。

そういうことを目の当たりにすると、
石見銀山という、僻地であっても
世界とつながれるんだと気づけるし、
しあわせなことだなあと思うんです。
──
いいですね〜。
松場
旅人から「いいまちですね」
と言ってもらえることが、
まちの人の誇りにもつながって、
SNSの投稿をみて、自分たちの地域は
「こんなところが、喜ばれるんだ」とわかる、
その連鎖が起きているのが、すごくうれしいです。
紀陸
何かの取り組みを
ちゃんと続けていくことを考えたときに、
地域住民の合意形成は大切だと思うんです。

集落やコミュニティ単位で、
みんながいいねと言っているものは根づきます。
松場
石見銀山の歴史を遡ると60年くらい前から、
まちを大切にしていこうという取り組みは
始まっていたようです。

石見銀山の最盛期には
言い伝えによると、20万人がいたとされています。
銀の閉山とともに、どんどん人口が減って、
高度成長期には、みんなが都会に出てたため、
ある種忘れられたような地域になっていたんです。

そのとき江戸時代には、銀をたくさんとっていて、
江戸直轄の天領だったわけだから、
地域住民で、まちを残していこうと、
60年前に文化財保存会というのがうまれました。

それから約5年後に、
石見銀山遺跡愛護少年団という
小学校での文化財保存活動もはじまります。
今でいうところの、ふるさと教育ですね。

その後コミュニティの中で
まち並み保存重要伝統的建造物群保存地区に選ばれます。
これにも住民との合意形成が必要でした。
なぜなら選ばれると、自由に家を直せなくなるからです。
まちの景観を整備して、自由度が非常に制限される、
それでも、まち全体でそういうことをやってきました。
写真
──
都会に出るのがいいとされていた時代に、
まち全体で、まちを大切に残そうという
活動がはじめられていたのは、すばらしいですね。
松場
当時は男性が中心となって、
その活動をしていたのですが、
群言堂の創業者の松場登美は、
もっと女性が暮らしをたのしんで
地域を愛せるようにと、
「鄙(ひな)のひな祭り」という
女性による女性のためのシンポジウムを
10年間、開催しました。

女性が主でイベントを開催したのですが、
男性もイベントの舞台裏を支えて、
料理をつくるなどして、来訪者をもてなしたそうです。

石見銀山のまちの至るところに、
花が生けてあるような
ソフト面での配慮が行き届いているのは、
当時の地域活動の積み重ねの結果であると思います。
紀陸
まちの保全からはじまる、
暮らしを守るということをやってきた結果、
いまの人口は400名ですが、
活気が戻りつつあるんですよ。
松場
12年前の保育園は、
ふたりしかいなかったんですが、
現在、園児は26人になりました。
──
しあわせな数字ですね。

紀陸さんが「遊ぶ広報」の活動を
はじめたのはいつですか。
紀陸
4年前に、日本五大秘境と呼ばれる
奈良県の十津川村に、
ぼく自身が案内をしたことからスタートしました。
7人を案内して、4ヶ月後に振り返ったら、
再来訪の件数が35件、7人中ひとりが移住をし、
企業誘致1社にも成功しました。
──
すごすぎないですか?
紀陸
当時、地域おこし協力隊は
1年間に約480万円ぐらいずつ、
3年間支援するという制度で、
だいたい1500万円ほどかけて、
定住率が50%くらいだったんです。
ということは、3000万円ぐらいかけて、
定住者がひとり出るという状況だったんです。

ぼくは、地域と新しく移住する人の間に、
ガイドという人が介在することによって、
実はその効能を何倍にも
あげることができるのかもしれないと、
そのときに気づいたんです。

そこから本当に、いろんな地域に
ご理解いただきながら取り組んでいく中で、
最初にお話した
地域おこし協力隊インターン制度の
登場がきっかけとなり、
2週間滞在モデルの構想にたどり着きました。

そしたら、松場さんが
「まちと一緒にチャレンジしましょう」と
言ってくれたんです。

一生懸命取り組んだら、50人呼べて、
次の年になったら、申込みが
最初の1〜2ヶ月で45人くらい来たんです。
──
えーっ!!!
これは申込みをして、受かった人だけが
行けるということでしょうか。
松場
そうですね。
タイミングもあるので、
何回も応募していただくと
行けるときがあるかもしれません。
写真
紀陸
「遊ぶ広報」という
サービスで目指したのは
恋愛結婚みたいな移住なんです。

移住をするということは、
そのまちの、いいところも悪いところも、
すべて受け止めて、
まちを好きになるということ、
そこで暮らす人たちを
好きになるということなので、
かっこつけてちゃダメだと思うんですよね。

あるがままの暮らしそのものを
没入して体験してもらって、
それがすてきだという人に、
まちの人も来てもらいたい。
だからリピーターも認めています。
──
リピートするということは、
何度も暮らしているということなので、
半分移住しているような気持ちですね?
松場
そういう流れができていけば、
地元の人もうれしいんですよね。
「おお!また来たんか」とか、
「今度は友だちを連れてきた」とか、
自然に交流がうまれていきます。
──
まちが変わったなと思う事例はありますか?
松場
適度な旅人との交流は、
空気が混ざっていくんですね。

温泉津(ゆのつ)という温泉宿場まちでは、
「遊ぶ広報」をはじめて、お店が増えたり、
レンタカーが増えたりしています。
──
レンタカーって増えるものなんですか?
松場
レンタカーは小さい地域なので、
もともと1台しかなかったんです。
でも「遊ぶ広報」で訪れる人が増えてきて、
まちが元気になりはじめているからと、
地元の事業者さんが増やしてくださって。
──
なんか感動しますね。
本当に人が増えたんだな
ということがわかる事例ですね。
紀陸
もうね、泣けました。
だって、最初1台だったんですよ。
まちの車屋さんが車を貸しているような。
それが、民間の努力だけで5台に増えたんですよ。
いま3年目になって、
10台に増やすとおっしゃってるんです。
──
そんなに一気に!?
松場
地域ががんばろうとしているところで、
裏側の仕組みのひとつとして、
ぼくらの「遊ぶ広報」もワークしている。

実際はその土地の人と来訪者が、
その地域をお互いに好きになって、
化学反応が起きているので、
ぼくらは、あくまでも黒子で、
きっかけのひとつにすぎないと思っています。

これはたぶん全国のいろんなところで、
黒子としてお役にたてることがあると思うので、
それを提供していきながら、
地元の人たちが地元の中の努力で、
さらに自分たちがたのしめる地域を作れるような、
きっかけをつくれたらうれしいです。
写真
(つづきます)
2025-09-16-TUE