#04 知日派が過ごしたこの4年半

震災後、欧州各地の大学で日本の将来を議論

2011年3月11日、
全世界の多くの人たちと同じように
インターネットでティツィアーナ・カルピさんは
東日本大震災を知ります。
その変わり果てた風景に茫然としている間もなく、
福島の原発事故。
日本語、英語、イタリア語、
それぞれのメディアの報道記事を読んで
カルピさんは一つのことに気づきました。

「イタリアの新聞は
すごく扇動的な書き方をしていたのですよ。
英語や日本語のメディアに比べても。
それも日本のことをまったく知らないジャーナリストが
見当はずれのことを書いていたのです」と語ります。

カルピさんはミラノ大学で日本語を教えています。
初回に書いたように、
3回目で紹介した統計の専門家の
ステファノ・ヤクスさんと一緒に
7月、学生を福島に連れて行きました。
その様子を発表してもらいました。

もともと日本近現代文学から日本に興味をいだき、
日本語の教授法で博士号をとったカルピさんは
東北や福島には縁も思い入れもありませんでした。
しかし、報道のあまりの無茶ぶりを見るにつけ、
日本文化を知っている人間として
状況の理解の仕方を伝える役割があるだろうと考え始めます。

同月末、ミラノ大学で日本の震災と
メディアの影響についてのシンポジウムを開催します。
あの時期、イタリアに限らず欧州のどこの大学でも
日本文化に関わる学科では、
さまざまなシンポジウムを実施しました。
欧州人といえども
「いてもたってもいられない」
心持ちであったことが思い出されます。

コミュニケーションの仕方に注視

カルピさんは福島に関する日本語で書かれている
チャリティープロジェクトのための短編集を一つ翻訳します。
また、漫画家・萩尾望都の原発事故をテーマに描いた
『なのはな』を素材に学生とワークショップを行っています。
翻訳の授業では、日本の新聞とイタリアの新聞を例にとり、
福島第一原発の事故について
日本とイタリアの記事で見出しが違う理由を考えさせます。

日本文化にある完璧主義
──情報は中途半端では出さない──
が発信の時期を逸したとみる事例は多く、
「どうして、日本政府は情報を隠していたのか?!」
と批判するイタリアの人たちに、
日本文化の性格として
説明する大切さを再認識するに至ります。

ソーシャルネットワークサービス(SNS)を使った
日本語教育が研究対象の彼女ですが、
日本政府の原発政策の歴史も探ります。
「原発は安全」というスローガンは
プロパガンダだったのではないか、
と学生たちと議論をしました。
このあたりはイタリアの原発廃止政策を
念頭においていたのでしょう。

カルピさんの話を聞いていると、
コミュニケーションの仕方次第で
コトはマシに伝わったのではないか
という思いをひしひしとします。
ある時期までカルピさんも多くの人たちと同じように、
批判の先鋒が原発処理のまずさに向いていたことは確かです。
いや、それは今も同じでしょう。
しかし、それだけを批判しているのではどうしようもない。

「私も何かポジティブなものを見つけたかったのですね」
と彼女は笑いますが、
そういう気分の転換が2014年にあったというのです。

時計の針が止まった人たちへのイラつき

福島県と縁ができたカルピさんは前進する道を選び、
今年の7月に学生と福島の各地を巡ります。

「県のサイトもずいぶんと変わり、
 情報がかなり整理されて発信されるようになりました。
 多言語化も高く評価できます」

英語、中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、
イタリア語、スペイン語、ポルトガル語と
8か国語の機械翻訳が可能になっています。
機械翻訳ですからおかしな表現も多々ありますが、
それでも発信をした方が良いと判断したのでしょう。
こういうオープンな姿勢をカルピさんは支持しているのです。

「もちろん何から何まで信じているわけではありません。
でも、農業関係のセンターを訪れて
食品検査の担当から直接話を聞き、
私はこの分野の専門ではないですが、
この人の言うことを信じないという選択は
難しいと思うわけです」

自分で信じられる拠点ができるというのは、
こういうことなのです。
あるいは「実感をともなう」ことで、
人は何かを信じられるということでしょう。

このような経験を重ねてきたカルピさんからすると、
外国に住んでいる日本の少なくない人が
逆に相変わらず福島に対して
絶望的な言葉を口に出すのをみて、
「時計の針が止まっている」と感じます。

が、彼女にしてもポジティブになれたのは
1年ちょっと前の話です。
夏に福島にでかけた学生たちも
旅行前は批判的な意見が多数だったのですが、
滞在後半になって「信頼する」意味を
考えるようになったと言います。

カルピさんの前向きへの転換には
「問題を整理する」との意識が最初にあったのでしょう。
例えば、原発事故処理と放射線検査を
通過した食品の受け入れは別物とか、
全体を切り分けないといけません。
でも、その切り分け方を示唆してくれる「先生」は
そういるものではありません。

カルピさんにとって、活動が「先生」だったのです。

(つづきます)

2015-12-01-TUE