#03 原子力を勉強している学生はどう聞いたか

福島の原発事故をみて原子力を学ぼうと決意

ミラノ工科大学で原子力の炉心の材料を研究している
中国出身の高雲さんも聴衆の一人としてきてくれました。
カンフェランスの案内が
ミラノ工科大学の教員と学生に回っていたのです。

2年間、日本語を勉強した後、
2008年に新潟大学に入学し機械工学を勉強した高雲さんが、
2012年に東京工業大学の修士課程で原子力を学ぼう、
と思ったきっかけが福島の原発事故でした。
福島から新潟に避難してきた人たちを
ボランティアで手助けするなかで、
散々と政府や東電の批判を耳にします。

彼女が工学部の学生と知ると
「もっと安全な原発が作れないのか?」
と詰め寄る人もいました。
そのような声を聞いているうちに、
「この人たちの不安を解消することが、
エンジニアの道を選んだ自分にできないのか?」

と考え始めます。
そして、問題があるからこそ
原子力を学ぶべきと決意したのです。

東工大の原子力関係の学科には、
福島事故以前は毎年30人以上が入学していましたが、
彼女が入った2012年以降、20人前後の学生しか来ません。
それでも高雲さんは自分の選んだ道に確信をもっています。

「2030年以降の導入を目指している
第4世代の高速炉になれば、
使用済み燃料を処理できる可能性もあります。
そうすれば、このイタリアにある4つの原発の炉心に
そのまま残っている使用済み燃料も処理できるのです」

と言葉に熱が入ります。
残念ながら、ぼくには技術的な判断ができませんが、
原子力の問題は原子力のエキスパートが
解決しなければいけないとの矜持は、
この世にとって必要なことです。

中国の原発大国化を睨んでの進路ではありません。
なぜなら原発に関わるのは共産党員でないと難しいのです。

「自由を奪う中国共産党が嫌いです」と高雲さんは話します。
ぼくが、こういうことを記事に書いて大丈夫ですか?
と聞くと、「構いません」ときっぱりとした返事です。

ただ、日本の企業で原発の設計に関わるのも壁があります。
防衛産業に従事する人間として
日本国籍であることが求められる、と彼女は
日本の複数の企業から回答をもらいました。

「どうして原発なんか」と指導教官に言われる

その高雲さんがミラノ工科大学の化学学部で
材料工学を勉強するためミラノに着いた翌朝、
指導教官と初めて会って開口一番、
「どうして原発なんか勉強してきたんだ?」
と冷たい言葉を浴びせられます。
工学部の教授にして「原発なんか」という表現がでる。
それがイタリアの原発アレルギーの現状です。

原発そのものがどうのというよりも、
原発廃止となったイタリアで原発研究がお金になりにくい。
このことへの嫌悪感ではないかとも高雲さんは想像します。
優秀な原子力研究者やエンジニアは
フランスや米国に行ってしまったのです。

高雲さんがさっそく技術の進化のために必要なのだと
持論を展開すると、教授は納得してくれました。
それでも、やや肩身の狭い
イタリア生活のスタートだったのでしょう。
「世界で初めて原子炉を開発したのは
イタリア人のエンリコ・フェルミなのにね‥‥」と、

多くの原発嫌いのイタリア人に会ってやや閉口気味です。

10カ月という短い留学には限界があるなかで、
「イタリアの原発アレルギーの謎は知りたいところです。
どういうところに怖がりの原因があるのか」

と好奇心の強い彼女は語ります。

実は彼女の将来の希望は、
材料研究で原発の一部に関わりながら現場に精通したうえで、
国際原子力機関(IAEA)で
原子力のリスクマネージメントにコミットすることです。
どうしたら一般の人たちが
安定したエネルギー供給を享受できるのか?
に高雲さんの関心の焦点はあります。
そのなかで太陽光、火力、水力、風力などと
原子力がバランスをとるために、
原子力のポジションを
確固たるものにするのに貢献したいというのです。

両親は娘の選択に大反対

なるほど、と思いました。
「Fukushima Food Safety Conference」に
彼女が興味をもって参加してくれた背景が分かりました。
カンフェランスの聴衆に食や環境問題に
関心のある人たちが来るだろうとは予想していたのですが、
仮に原子力に関係する人が来るなら
どういう動機なのかと思っていたのですっきりしました。

「最後のラウンドテーブルで話した
生鮮食品流通会社CEOのような
現場のリアルなレポートは興味深いですね。
ああいう立場の人が福島を自分の目でみた報告を
ミラノでするといいのでしょうね」と話しながら、

「中国でも同じようなカンフェランスをやって欲しいです」
とリクエスト。

高雲さんの両親は
娘が原子力を専攻に選んだのには大反対です。
昨年も彼女が青森に旅したというだけで
「どうして、東北なんて危ないところに行くの?」
と中国から電話がかかってきました。

震災前は日本の北アルプスの水を好んで買っていたのに、
今は一切口にしません。
中国にいる多くの友人や知人たちが、
事故から4年以上経た現在も
東北や福島という言葉に過剰反応するのには、
焦燥感が募ります。
中国にいる人とは衝突することもあります。

「中国に戻って仕事をする気がないのは、
国を愛さないとかそういうことではありません。
人を愛せない人が国を愛するなんてできません。
私はまず人を愛することに率直になりたいのです」

原子力の勉強をしている学生の素顔です。
ストレートな表現にぼくも思わず頷きます。
彼女がリスクマネージメントの道に進みたいとの動機は、
もとはといえば福島の原発事故で
避難していた人たちとの出会いにあったのですが、
他人の言葉が人の人生に与える影響ははかり知れない‥‥。

科学的根拠、社会的信頼関係、コミュニケーションの
3つの要素で食の安全が成立する、
というのがカンフェランスの趣旨でした。
高雲さんの語るエピソードには、
それぞれの要素に彼女なりの
アプローチをしようとの意欲が窺えます。
こういう人が使用済み燃料の処理問題を
解決してくれるといいなと思います。

(つづきます)

2015-11-30-MON