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あきんどゴコロ |
◆◇◆ あきんどゴコロ◆◇◆ 投稿大募集中!! akindo@1101.comまで メールをお待ちしておりまーす!! 地元ローカルな音楽TVを深夜、見ていた。 その日は、「佐野元春に密着!」 という内容で、 敬愛する私は、小躍りしてかぶりつき。 バナナ好きとの情報で、差し入れた場面で 「ホントは、メロンが好きなんだ・・」 「へっ?メロンですか。 やっぱり夕張とか?」 「いや、ハニーデュウが、一番好き。」 寡黙な彼が発したメロンの名が、 頭から離れず、 スーパーに行くと、 まずフルーツ売場をチェック。 ・・で、忘れた頃に、やっとあった。 模様もない、うすいクリーム色の、 やや大ぶりだけど地味なヤツ。 「ハニーデュウ 850円 佐野クンも大好き!」 ちょっとヘタな手書き文字で、 書き足してあった。 あまりにも、 未知数な販促効果ではあるけれど それを見た私は、 確実に買った訳で・・・。 (ムーヤン) うちの会社に来ていた 大手生命保険会社の外交員のおばさん Kさん。 はっきり言ってトロかったです。 説明は下手で答えられない質問をされると おろおろするし、押しは弱く、 最初は世間話一つ満足に出来なくて、 たまたま他の生保の外交員さんと 事務所で鉢合わせすると 気後れしてそそくさと帰ってしまったり、 契約なんて取れないどころか、 頼りなくて相手にされてませんでした。 だけどKさん、 諦めるって事を知らない人で、 契約が取れなくても、 毎日毎日通って来て飴を配ってました。 だんだん時間が経って性格が見えてくると、 これがまた保険外交員らしからぬ ウソの付けない人で、 おまけに凄いお人よしなんです。 若い社員に 「定期を買いに行く時間がない」 って言われれば、買ってきてやり、 その他買い物を 代わりに行ってあげるなんて序の口、 朝一からコンサートのチケット取りに 借り出された事も。 それもお金は全て立て替えてあげてても 自分でなかなか催促出来なくて、 私の方が心配して、頼んだ人に 「さっさと払いなさいよ」 って注意したり。 こんなだから自分に有利な保険に 誤魔化して契約させるなんて絶対出来ない。 そのうちだんだん信頼されるようになって、 一人2人と契約するようになりました。 その後、これ以上うちの部で 契約数を延ばすのは難しくなってきても、 毎日必ず1回は顔を出す律儀な人した。 で、阪神大震災の時の事。 会社は大阪駅の近くだけど無事で、 社員にも怪我はなかったものの 電車は止まってるし、 家が全壊した人はいるしで、 ばたばたしてて Kさんが来ない事にも 気が付かなかったんですが、 地震から3日ほど経った昼過ぎ、 ひょっこりKさんがやって来ました。 話を聞いてびっくり。 Kさんの家は神戸の三宮駅近く (阪神地区の人なら ココで仰天するでしょう) 阪急電車の駅舎が全壊したりして 一番被害の大きかった地区の一つです。 「うちの家は建て替えたばっかりで、 全然大丈夫やよ。 けど電話は掛からへんし、 怪我したり病気の人が出て 連絡取りたい人が居てたら あかんから来た」 とニッコリ。 えー、来た? 来たって簡単に・・・ 電車が動いてる駅まで何時間かかったのか、 瓦礫の間をずっと歩いて来たのです。 それからもKさんは 3日に一度やってきました。 「やっぱり毎日はしんどいからゴメンね」 って、そんな 他人の心配してる場合じゃないのに、 なんて律儀な人だろうと ますます信頼されるようになりました。 その後、家庭の事情で 外交員を辞めるまでの間 (最初からだと10年以上) うちの会社の担当でしたが、 最後まで説明は下手で、 押しは弱かったけど、 Kさんの保険の契約数は うちの社内では断トツになりました。 もの凄く長くなってしまいましたが、 ばりばりのやり手おばさんばかりじゃない、 こんな保険外交員さんもいるのを 知って欲しかったんです。 (大阪のやっちゃん) 祖母フジヱは商売人の家に生まれ育ち、 商売人の家に嫁ぎ、 80近くまで店を切り盛りし続けた まさにあきんど。 その彼女が物心ついた時から 父親に教えられたこと。 『収穫期に田んぼの畦を通る時は、 いつ何時でも、 学校の行き帰りだろうと、 得意先への配達の途中だろうと、 かならず腰に鎌を 1,2本ぶら下げて歩け!』 そのくらいいつもお客さんのことを考えろ、 ということらしく 実際、お百姓さんたちにも 随分重宝されたそうです。 (Luddi) 近所のスーパーでのこと。 ハムの試食コーナーが出ていて、 楊枝を刺した一口サイズのハムが ワゴンの上に並んでいました。 ただ、不思議なことに そこにだれもいないんです。 でも見るからに試食だし まあいいかと思って一本つまんで 口に入れた瞬間、背後から 「いらっしゃいませ!」の声。 商品棚の陰から販売員のおばさんが 出てきたんです。 試食品とはいえ、 無断でハムを口に入れていたことで ぼくは妙な負い目を感じてしまい、 「このハムおいしいでしょう」 というおばさんの声に 「あ、うまいね、これ」 などと愛想笑いをしながら 商品を買ってしまいました。 試食コーナーを無人にしていたの、 あれ絶対、わざとだと思います。 (ルーゴ) うちの実家は呉服屋です。 この着物ばなれに加え この不景気とあって日々頭を抱えていた父。 ひとまず、健康なんだからいいじゃない、 なんて励ましていたところ、 突然お腹が痛いイタイイタイと転げまわり あまりの苦しみように死ぬかもしれない、 とまで思ってしまいました。 救急車に乗せられいざ病院に向かうその時 付き添っていた母に搾り出すような声で 「●●病院はやめておけ・・・ △△病院にしろーーーーーっ」 そう言ったそうです。 断然近いハズの●●病院を目の前に 他へ走らせた父。 実は、△△病院の なんとかという先生のところの娘さんが 今度成人式らしく 是非とも振袖を買ってもらいたい・・・ と考えていたところに 「これは、売り込むチャンス!」 と思ったというのです。 どう見ても最悪な事態を当の本人は 千載一遇のチャンス! とみていただなんて。 すごすぎます。 (ち) 「疑問や不自由を感じた時が ビジネスチャンス?」 (カリスマ美容師・Sさん・30歳) 私の友人Sは、小学4年のとき 床屋さんの椅子に座った瞬間、 「何でこんなダサいおじさんに 毎度毎度ダサい髪型に されなければいけないのか」 という小学生とは思えぬ疑問に ぶつかったそうです。 そしてSは髪を刈られながら思ったそうな。 「これぐらいのこと…オレにもできる!」 その瞬間からSは 髪を刈るおじさんの手を見て髪の切り方、 はさみの使い方を凝視し おじさんのテクを盗んだそうです。 やがておじさんがSの髪を切り終わったとき 「おじさん、やっぱ刈り上げにして」 といってバリカンのテクも盗んだそうです。 家に帰ったSは さっそく母親から髪きりバサミを借り 弟をカットモデルにして実験したところ、 これが大評判。 気を良くしたSは 母親に電機バリカン(家庭用)をねだり。 そして帰宅した父親が バリカンの餌食になったことは いうまでもない。 数日後、Sが友達のA君と 自宅横の公園で遊んでいた時、A君が 「オレっ、 床屋行かなきゃいけないから帰る!」 と言い出したそうな。 その瞬間Sは 「オレが切ってやるよ!」といい、 いやがるA君をシーソーに座らせ ハサミとバリカンを駆使して 見事な坊ちゃん刈りを完成させたそうです。 A君は床屋のお金が浮いたと云って Sに床屋代の半額の500円くれたそうです。 思いもよらず人生初のギャラを手にし、 不思議な快感を覚えたそうです。 翌日Sが登校すると A君から話を聞いたクラスメイトが寄って来て 口々に「髪を切ってくれ」とせがみ、 放課後の公園は 500円玉を握りしめた小学生で 溢れたそうです。 それから5年後、中学を卒業したSは 美容の専門学校に進み 有名美容室を転々とし、 22歳の若さで渋谷の某公園の前に 店を構えました。 そして今では当たり前になった ブリーチやカラーリングを いち早く売り物にし、 一躍マスコミの注目を浴び カラーリングの第一人者として 公園通りのカリスマ美容師として 名をはせました。 現在Sは30歳。 店の売り物でもある ブリーチやカラーリング剤が原因で アシスタントの手荒れが酷い事に 心を痛めたSは ある理容器具メーカーと組んで 自動洗髪機「シャンパーくん」を開発中とか。 (投稿人:43歳・養鶏希望) いまや値札付けといえば パソコンでバーコードつきのが 当たり前ですよね。 15年程前、 うちの父の経営する衣料品店では 完全家内制手工業でして、 ゴム印で値段を押し、 レース針でしこしこと 値札をつけていました。 秋口のこと、学校から帰宅してみると、 ダンボールから出して 秋冬物に値札つけをしている父が。 なにかいいのがないかなぁと 手伝いながら横目で物色する私。 おぉこれはなかなかいいかもというのが 次々と出てくる。 ん、待てよ? なんだか見覚えがある コートやらセーターやらに ¥19800とか¥8800とか 立派な値段がついている。 「これら仕入れ値がわがんねんだよな~」 「いいや適当につけておぐべ」 とぶつぶつ言う父。 おいおい、 それはわたしの衣替えダンボールだよ。 もうちょっとで売られるところでした。 そんな商売熱心な父の努力が実って、 数店舗の支店を持つ社長です。 尊敬する大好きな父です。 (S)
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