特別WEB掲載東京工業大学柳瀬博一教授の
メディア論B
メディアメーカー、
岩田聡さんについて
参考テキスト:『岩田さん』

任天堂の元社長としてゲーム人口の拡大に努め、
2015年に亡くなったあとも世界中のファンから
リスペクトされている岩田聡さん。
岩田さんの母校である東京工業大学で、
柳瀬博一教授が岩田聡さんを紹介する
メディア論の授業をしているということで、
教室におじゃまさせていただきました。
参考書籍はもちろん『岩田さん』です。

第3回東工大時代の岩田さん

岩田さんは優等生じゃなかった?

岩田聡さんは、東工大時代、
あまり勉強はしなかったとおっしゃってます。
ちゃんと4年で卒業しましたが、
優等生ではなかったと。
というよりも、大学の勉強よりも、
毎週末、池袋西武百貨店のマイコンコーナーで
仲間たちと一緒にやっていた
ゲームのプログラムの研究のほうが
おもしろかったんでしょうね。
というと、東工大のほかの先生方に
怒られそうですが(笑)。

ひとつ、ぼくが重要だなと思うことは、
「お客さん」の存在です。
大学のなかで研究するかぎり、
「お客さん」というのはなかなか
研究テーマとして設定しづらいんですよね。
ゲームの場合は、それで遊んでくれる
お客さんがいることが前提なので、
ひとりで机に向かってるだけでは
なかなかそれが実現できない。
その点、池袋西武に行けば、仲間たちがいて、
お互いのプログラムを自慢し合ったり、
バグをチェックし合ったり
ということができるわけですから、
やはりそれは優先順位が高いですね。
そのあたりのエピソードや
「自分のつくったものを人に見せたかった」
という話も、この『岩田さん』に書いてあります。

しかし、これ、書いてあることは、
ほんとうなんでしょうか?
特に大学時代は優等生じゃなかった、という話。
せっかく東工大にいるんですから、調べてみました。

実は東工大には、
当時の岩田さんの同級生や先輩が
教授としていらっしゃるんですよ。

工学部時代の同級生である植松友彦教授は、
岩田さんがなくなられたときに
東工大のホームページに掲載された
『岩田聡氏を悼んで』
という追悼文のなかで、
大学時代のエピソードを明かしていらっしゃいます。

『岩田さん』に書いてある岩田さんの
大学時代のエピソードはほんとうか?

ほんとうのことと、ほんとうではないことがありました。
ほんとうではないこととしては、
やっぱり「ちゃんと優等生だった」そうです。

植松教授によれば、
「岩田君は、ソフトウェア関係の授業や
プログラム実習では抜群の才能を発揮しており、
同級生の間では、彼がプログラムを
誰よりも早くかつ正確に書くことが知れ渡っていました。
私もソフトウェア関係の授業で分らないことがあると
彼によく聞いていました」(『岩田聡氏を悼んで』より)

その一方で、新しい情報としては、
彼の家にはいろんなゲームがあって、
その部屋は、植松教授はじめ同級生たちから
「ゲームセンター岩田」と言われていたそうです(笑)。

未来へつながる卒業研究

そして、興味深かったのは、
岩田さんの卒業研究の内容です。
彼は榎本研で画像処理やプログラム言語の
研究を行ったりしていたんですが、
追悼文に寄せた
研究室の先輩である佐伯元司教授の言葉によれば、
「タブレット上にペンで数式を手書きし、
 超小型コンピュータ(マイクロコンピュータ)で
 認識させる研究を行い、
 当時としてはすばらしい性能を誇る
 プログラムを開発してくれました」とのこと。

わかります? 1980年代ですよ?

これって、すなわち、
ニンテンドーDSの画面上にペンで書いて入力することと
ほとんど同じですよね。
だから、卒業研究の30年後に、
彼はそれをリアルな商品に活かすことになる。
岩田さんがそれをどこまで意識していたのか、
うかがってみたかったですね。

推測ですけど、卒業研究と、ニンテンドーDSと、
岩田さんのなかでは気持ちは同じだと思うんですね。
それは、30年後の未来を予測したというわけではなくて、
たぶん、岩田さんは、
「タブレット上にペンで書いて入力できたら便利だ」
ということを、ほんとに思ってたんだと思うんです。
だから、岩田さんにとって、大学の中での研究も、
ハードウェアをつくるときの研究も、
同じ気持ちだったんだと思うんです。

こういうことができたら便利だな、
という概念を30年前に岩田さんはすでに持っていた。
だから、ニンテンドーDSのときに
ゼロから慌てて考えたんじゃなくて、
「ペン入力できたら便利だぞ」とすでに考え抜いていて、
それを具現化する技術があとからできた。
そういうことなんじゃないかなと思うんです。

重要なポイントとして、
ぼくがみなさんに言いたいのは、
大学の中の研究と、大学を卒業してからの研究って、
テーマとしてつながるんですよっていうこと。

今回、ぼくは、このメディア論の授業の最後に、
「2030年のメディアを考える」という
レポートの課題を出しました。
これも、そういう気持ちからです。
みなさんが思う2030年のメディアは、
いまの技術ではできないけれど、
10年経って技術が蓄積したら、できるかもしれない。

たとえばそれが岩田さんにとっては、
「アナログの手書き入力をデジタルで認識する」
っていうことだったわけです。
岩田さんは、お客さんとしての発想から、
こういうことができたら便利だろう、
たのしいだろう、おもしろがってくれるだろう、
という確信が大学生のころから明確にあった。
その当時は、手書きというアナログな行為を
コンピューターのディスプレイと結びつけるには、
むちゃくちゃ技術が必要で、
実現が難しかったわけですが、
その発想が、30年後にニンテンドーDSという
大ヒットした画期的なハードと
プラットフォームに結びつくわけです。

ですから、みなさんのなかから、
将来のメディア・メーカーが生まれることも
十分に考えられるわけです。

これまでの岩田さんを知ってる人たち。