21世紀の「仕事!」論。

26 造本家 マッチアンドカンパニー 町口 覚さん

第4回 「売る」までが俺の仕事

──
あの、町口さんと写真集の「出会い」を、
教えていただけますか。
町口
出会い‥‥ってほどのことでもないけど、
俺、子どものころ横浜だったんだけど、
うちの親父が、
東京でグラフィックデザイナーやってて。
──
あ、そうなんですね。
町口
小学校2年か3年のころだったかな、
あまりに俺が、
黙って椅子に座ってらんない子どもで、
授業中に、
プラプラ出てっちゃうってことでね。
──
ええ。
町口
担任の先生に
「あなたは何で座ってられないの!」
って怒られて、
それでもぜんぜん聞かないから
「学校、来ないでいいです!」って。
──
なんと。
町口
先生に「来るな」って言われたらさ、
「じゃ、行かなくていっか」
みたいな気持ちになるじゃない?

で、親もそんな感じだったみたいで、
そのあと何ヶ月か、
親父の仕事場に通ってたんですよね。
──
学校へ行く代わりに。
町口
そう、親父にひっついて、
家と親父の仕事場を行き来していて、
で、仕事場にいる時間はずっと、
本がたくさんある部屋で、
ひとりぼっちで、ずっと過ごしてて。
──
じゃあ、そこに?
町口
そう、すごい量の写真集が並んでた。

何せヒマだからさ、
手当たり次第にめくってたんだけど、
そのときのことが、
俺の写真集の原体験なのは、たしか。
──
その当時は、おもしろいとか思って、
めくってたんですか、写真集。
町口
どうだろうねえ。

まだ小学校2年とか3年とかだから
わかっちゃいないと思うけど、
ひとまず、
ヘルムート・ニュートンの写真集で
初オナニーだよね(笑)。
──
それは‥‥そうですか(笑)。
町口
あの人のファッション写真の女の人、
すごいじゃない。

「おっぱいバーン!」って感じでさ。
──
石田えりさんとかも撮ってますよね。
町口
もしくは「マン・レイのお尻」ね。
──
何ともリアクションしづらいですが、
「なるほど!」(笑)
町口
ま、ヘルムートはドイツの写真家だけど、
親父の本棚には、
ロバート・フランクだとか、
アメリカのフォトグラファーの写真集が
多かった印象がある。
──
日本の写真家も?
町口
うん、(森山)大道さんはズラッとあって、
荒木(経惟)さんのは、あんまりなかった。

ともあれ、60年代、70年代くらいの
日本の作家の写真集も、
そこで、いろいろ見てた記憶がありますね。
──
お父さんの仕事場が「学校」だったんですね。

ちなみに、町口さんじゃなくて、
松本弦人さんの装丁した本ではありますが、
この『町口覚一〇〇〇』って、
そんな町口さんの仕事場にあった写真集を、
えんえん複写したものですね。
町口
本には「町口覚選」って書いてあるけど、
正確には「町口家の本」だよね。
──
なるほど。お父さんのもあるから。
町口
弟もデザイナー(:町口景さん)なんで、
親父と俺と弟、
それぞれが集めた写真集が入ってる。

町口家にあった写真集を
「12時間」という制限時間を区切って、
バンバン複写していったんです。
──
12時間‥‥で、何冊撮ったんですか。
町口
最終的には「38冊」かな。

シャッター切ってたのは弟なんだけど、
最後、指に血豆つくってた(笑)。
──
球児の素振りのようです(笑)。
町口
それを時系列で並べてるんだけどさ。
──
ええ、写真集が「出た順」に。
町口
俺は、ずっと、
ウイリアム・クラインが1956年に出した
『ニューヨーク』って本が、
「写真集」の「最初」だと思ってるわけ。
──
ええ、へえ。
町口
もちろん、その前から
写真を集めた本ってのはあったわけだけど、
ただの「記録」じゃなく、
誰かの考えで、その人の目で撮った写真が
一冊の本になった最初って、
その『ニューヨーク』じゃないかなってね、
ま、俺の持論なんだけどさ。
──
なるほど。
町口
だから、この本でも、
当然、クラインの『ニューヨーク』からね、
はじめようと思ったんだけど、
さっき話に出た濱谷浩の『雪国』のほうが、
何ヶ月だか、早く出てんだよ。
──
わー、本当ですか。
町口
そう、出版された年は一緒なんだけど、
ほんの何ヶ月か、
クラインより濱谷のほうが早かったの。
──
なんだか、すごいですね。
町口
でしょう? そのときに、あらためて、
「濱谷浩って、すげぇ人だな」ってね。
──
濱谷さんの『雪国』って、
ずっと古本の市場で高値になっていて、
石内都さんの
『絶唱、横須賀ストーリー』と並んで、
いつか見たいと思っているんです。
町口
うちの仕事場に来れば見れるけどね。
──
はい、いつか、お願いしたいです(笑)。

ちなみにですが、
町口さんが「この一冊」を選ぶとしたら、
という質問は、難しいですか?
町口
いやあ、「1冊」は無理だな。選べない。

たとえば、さっきも話に出た
荒木さんの『センチメンタルな旅』って、
俺の生まれた1971年に出てるのね。
──
ええ。
町口
荒木さんが
当時「限定1000部、特価1000円」で
自分でつくって売ったんだけど、
その復刻版を
俺が装丁することになったのも含めて、
大きな存在ではあるけど、
それでも「1冊」は‥‥無理だよなあ。
──
それほど写真集がお好きなのに、
ご自身で写真を撮るっていうことには、
ならなかったんですか。
町口
ならなかった。高校がデザイン学校で、
授業でカメラやったりもしたんだけど。
──
それは、なぜでしょうか。
町口
やっぱり「写真集」が好きなんであって、
たった1枚の写真を見せられたって、
それがどうのこうのって、
俺には、ぜんぜん、わかんないんだよね。

でも、写真が集まって「本」になるとさ、
「あぁ、いいなあ」って、感じちゃうの。
──
町口さんのお名前はもちろん知っていて、
装丁家、デザイナーという認識でしたが、
あるところで町口さんに
「造本家」という肩書がついているのを、
見かけたんです。
町口
えらそうにねえ、すいません(笑)。
──
いや、今日のお話をうかがってみて、
造本家という肩書じゃないと、
町口さんのやってらっしゃることは、
ぜんぶ言えないと思いました。
町口
そうですかね。
──
つまり、ただデザインするだけじゃなく、
企画を立てて、中身を考えて、
写真家を口説いたり、
どんなスタッフにお願いしよう‥‥とか、
チーム編成まで考えていて。
町口
まあ。
──
つまり編集者みたいな役もこなしつつ、
装丁という「本業」の部分では、
当然のごとく、
全面的に責任を負ってやってるわけで、
まさに「本をつくってる人だ」と。
町口
もっと言えば「売る」ってところまで、
自分でやりたいんだよね、俺は。

それが、俺の思う「造本家」、かなあ。
──
それも、趣味の延長で、
好きなようにつくってるわけじゃなく、
売れなきゃダメって考えのもと。
町口
そうじゃないと、成り立たないもんね。
大変ですけどね、「売る」ってのはね。
──
そうでしょうね。
町口
まぁ、本づくりっていうのは、
売れるかどうか
事前にはわかんないもんをつくるわけで、
そういう意味では、
ギャンブルみたいなとこがあるんだけど。
──
もし売れなくて残ったら、
「何トン」という具体性のある在庫を
抱えることになりますし。
町口
うん、そういう仕事なんだけどさ、
もし、自分の「誠意」を示せるとしたら、
力を貸してくれたプロの人たちや、
金を出して買ってくれた人たちに、
「ああ、なかなかいいじゃない、この本」
って思ってもらえるものを、
残すことだろうなとは思ってるんですよ。
──
なるほど。
町口
俺は、そういうことがやりたいし、
これからも、やり続けたいですね。
──
町口さんのつくる本は、
その「気持ち」が伝わる本だと思います。

東出昌大さんの写真集の「奥付」には、
土地土地でお世話になった人も含め、
関わった人の名前がズラッと並んでいて。
町口
ものづくりって、やっぱり、そこだから。

いくらカメラマンがよくったって、
いくらデザイナーがよくったって、
いくら東出くんがよくったって、
いいものがつくれるとは、限らないから。
──
はい。
町口
力や知恵を出してくれる人たちがいて、
いい本をつくろうって、
みんなが思ってくれることがいちばん重要。

東出くんの本で言うならば、
最後のクレジットに載っている人たちこそ、
いちばん重要なんです、俺の仕事にとって。
<おわります>
2017-08-31-THU
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