八月も終わりの、そう、夕方に近いころだったでしょうか。
ムーミントロールとそのママは、
大きな森のいちばん深いところにやってきました。
あたりはしんと静まりかえり、
枝のすきまから暗闇が見えます。
(中略)
冬がやってくるまえに、もぐりこむ家をたてようと、
あたたかくて気持ちのいい場所をさがしているのです。
ムーミントロールという生きものは寒さによわいので、
遅くとも十月までには家ができていなければなりません。

                『小さなトロールと大きな洪水』
            (トーベ・ヤンソン著 冨原眞弓訳)より
森下
重松さんの本に、付箋がいっぱい!
ありがとうございます。
重松
きょうはぼくがインタビュアーだからね。
これ、原書はすごく重いんだよ。
『TOVE JANSSON: ORD, BILD, LIV』
   著者名 Boel Westin
   出版社 Albert Bonniers Förlag

2007年出版。
ムーミンは誰もが知っている存在でありながら、
作者のトーベ・ヤンソンについては
一般的にはまだまだ噂程度の話ばかりという中での
待望の一冊でした。
ムーミンやトーベ・ヤンソン作品の愛読者や
読書好きの間で合言葉のように
「読んだ?」と聞きあったのを今でもよく覚えています。
トーベ・ヤンソンに近かった人たちも、
やっときちんとした形でトーベが語られていると
喜んだ評伝です。(森下)
森下
重いんです。原書もお持ちなんですね。
重松
森下さんがぼくにくれたんだよ!
2010年だったかな、
「今これを翻訳してるんです」って
すごく重くてかさばるのを、
ヘルシンキから持って帰ったんだ。
読めるわけじゃないのにね。
「いまこれを翻訳してるんです」

そうなんです、暇さえあれば、
ちろちろと部分を訳したりしていました。
誰かに知ってもらいたいフレーズなんかを見つけると‥‥。
その前にまず『芸術新潮』のために
(2009年5月号特集「トーヴェ・ヤンソンのすべて』)
参考になるところを訳したりしていて、
そこからでしょうか‥‥。(森下)
森下
すみません、すみません。
すっかり忘れていました。
わたし、もう、申し訳なくて、
後ろにズズッと下がりたいくらい。
重松
あの原書のボリュームから考えると、
この日本語版、相当軽くできましたね。
ページもすごく開きやすかったし。
印刷所がぼくの単行本と同じだ。
(本をながめて)
原書の見返しの絵が好きだったんだけど、
‥‥これだったかな、森の絵。
森の絵

日本語版の口絵[5]にある
1930年代の水彩画『初期のムーミントロール』のこと。
右手に花をつけた巨木があり、
その下に右へ歩くムーミントロールらしき姿がある。
その右奥には小さく、左へ向かうふたりのトロールの影。
手前を横切る湖らしき水面、さらにその両岸に花畑。
画面上部には葉を落とした冬めいた木、
山とも雲とも見えるなだらかな丘状の円弧、
その上に白い点が雪のように舞っている。
全体的にはフォーヴィスムを思わせる色彩。
森下
そうです! これは著者のボエル・ウェスティンが
トーベからプレゼントされた絵なんです。
重松
個人蔵なんだ、これは!
イッタラでマグカップになればいいのにな。
きっとカッコいいだろうね。
森下
重松さんはムーミングッズを
いろいろお持ちなんですよね。
たしか食器もイッタラ。
重松
うちは全部、イッタラ、アラビア。
仕事場には、飯島奈美さんが『かもめ食堂』で、
おにぎりをのせていたブルーのお皿があります。
森下
「24h Avec」ですね。
それにしても重松さん、ほんとうにお久しぶりです。
重松
2010年に、フィンランドの冬至の取材で、
森下さんに同行してもらったんだ。それ以来ですね。
ポルヴォーっていう場所で
「聖ルシア祭」を見て。
あのときの空はね‥‥‥そう、しばらく、
あの空を携帯の待ち受け画面にしていたんだ。
太陽が姿を見せなくて、ただ紫色の光だけがあった、
あの空を。
聖ルシア祭

12月13日、聖人ルシア(ルチア)に
扮した少女たちがろうそくの冠をかぶり、
手にも持ち、行進をするお祭り。
歌はナポリ民謡の「サンタルチア」。
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フィンランドでは特に
スウェーデン語系フィンランド人たちが
大切にしているお祭りで、
首都周辺ではポルヴォーでのルシア祭が有名なんです。
この町はスウェーデン語系が人口の半分ほどを
占めるからでしょうか。
町をあげてのお祭りになります。
ルシアの少女たちの周囲を
キャンドルをぶらさげたトントゥ(小人)たちが
飛び跳ねています。ルシアを夢見る小さな女の子たち、
それから男の子たちがトントゥに扮しています。
一年で一番暗いくらいの時期に
ろうそくの灯りだけで通りを照らし、
その灯りの列がポルヴォーの旧い町並に
ぼんやりと続くのです。
人々の熱気はすごいですが、
お祭りといっても静かなお祭りです。(森下)
森下
ポルヴォー取材のあと、
北極線から300キロ北の小さな村に行きましたね。
2泊でオーロラを見に行くという、
見られなくても不思議じゃないスケジュールの中、
みごと、オーロラに出会って。
重松
きれいだったね。
森下
それも、その冬最大のオーロラだったんです。
夕方の6時から次の日の朝の6時まで!
重松
すごく長かったんだよ。
途中で飽きちゃったくらいだから(笑)。
森下
なんて贅沢なことを(笑)!
めったに見られないんですよ。
重松
わあ、ぼく、図々しいね(笑)。
森下
そうそう、これは重松さんへのお土産です。
フィンランドの郵便局が
トーベ・ヤンソンの100周年で記念切手を出したんです。
重松
おお!
森下
販売初日の記念スタンプ付きです。
重松
2014年が、生誕100年になるんだね。
森下
そして2015年がムーミン出版70年の年です。
重松
彼女が亡くなったのは‥‥。
森下
2001年に。86歳でした。
トーベ・ヤンソンを
国が尊敬しているということで、
記念硬貨も出たんですよ。
ヨーロッパのユーロ圏で使える普通の2ユーロが、
トーベ・ヤンソンの肖像になっているんです。
重松
面白いね。ムーミンというキャラクターじゃなくて、
トーベ・ヤンソンとしてフィンランド全体が
リスペクトしてるってことだものね。
森下
そうなんです!
重松
トーベ・ヤンソンって自画像が多いせいもあって、
すごくアイコン的に作りやすいよね。
森下
後ろにもいらっしゃいますね(笑)。
中央の大きい写真は1971年の1回目の来日のときで、
講談社の貴賓室で撮ったものだそうです。
左側のトーベは、日本人の写真家・木之下晃さんが、
1991年にヘルシンキのアトリエで撮影なさったものです。
重松
さて、きょうは、ぼくが森下さんに
インタビューをさせていただくんですが、
森下さんを「いち翻訳者」というだけじゃない人として
聞いてみたいなあって思っているんです。
いわゆる辞書的に訳したっていうだけじゃなくて、
フィンランドの風土というか、人心というか、
歴史的なものも全部踏まえて、
肌でこのムーミンの世界、
もしくはトーベ・ヤンソンの世界というものを
体感している森下さんに、っていう感じで。
森下
はい、よろしくおねがいします。
重松
基本的に、トーベ・ヤンソンを語るときには、
マイノリティの問題ってすごく大きいと思うんです。
それから戦争に翻弄された世代ということ。
フィンランドそのものがそうだしね。
そして男性原理というか、マチスモに、
トーベ・ヤンソンは、幻滅したわけですよね。
戦争と、お父さんの問題。
そして自由と孤独の問題。
もっと言ったら仕事だよね。
女性と仕事っていうこと。
これは「ほぼ日」の「はたらきたい」シリーズにも、
つながるんじゃないかなと思うくらいなんです。
そのあたりを、わりとランダムに聞いていきますね。
まず、ぼくと森下さんの関係から先に申し上げると、
ぼくはフィンランドを2回取材で訪れていて。
1回目が2009年の夏、夏至のとき、
2回目が2010年の冬至のときでした。
この極端なふたつの季節を回ったんだけれど、
そのときにずっと森下さんに
コーディネートをしていただきました。
森下さんは、ヘルシンキをわが町のように歩き回り、
フィンランドの普通のいろんな人たちとの交流があって、
この人、すごいなと思ったんです。
場所を知っていることとか、
アクセスを巧みに使うっていうだけじゃなくて、
人脈がたくさんあるということに、
本当にビックリしたんですね。
まず森下さんは、フィンランドと、
そもそもどういう関係なんですか?
森下
ムーミンがきっかけだったんです。
「なんでこんな文学が生まれたんだろう?」って。
もちろん最初は日本語で読んだんですけれど。
重松
アニメではなかったんですね。
森下
もちろん、ちっちゃい頃、アニメがあって、
そのあと絵本があって、
それをいつも持ち歩いてた記憶はあるんですが、
本当にフィンランドに行きたくなったのは
大学4年生のときでした。
その時、わたしはとても疲れ果てていて、
なぜかフラッと図書館に行き、
児童文学のコーナーに向かいました。
「わたしが子どもの頃に読んだことのある本で、
 いちばん最初に目に入った本を読もう」って。
それがムーミンだったんですね。
そうしてあらためてムーミンを読んで、
つよい衝撃を受けました。
わたしは、どっちかっていうと
サブカルチャーのほうに引っ張られていた
大学生だったんですけども、
そういうところでいつも聞いていた、
「小うるさい感じの言葉」っていうものが、
一切、ない文学だったんですよ。
説明とか言い訳みたいなものがまったくない。
「こういう文学ってどういう環境で生まれたんだろう?」
というのが気になって、何でもいいからとりあえず
フィンランドに行ってみようと思ったんです。
重松
それまではフィンランドって国自体のことは‥‥?
森下
何も知りませんでした。
そこから2年半ぐらいバイトをして
お金を貯めたんですけど、
その間も気持ちが変わらなかったんですよ。
絶対フィンランドに行こうと思っていました。
そして、自分で貯めたお金で行くフィンランドなので、
何のプレッシャーも持たずに、
合わなかったら2週間で帰ってきますと、
周囲にもそう言って、
「キートス」(ありがとう)という言葉だけ覚え、
フィンランドに行ったんです。
1994年の秋でした。
重松
合わなかったら、もう日本に帰ってきてもかまわないと。
森下
はい、それで出かけたんですけど、
4年半、帰らなかったんですね。

「この家よりすばらしい家はないわ」
                   ──ムーミンママ
                『小さなトロールと大きな洪水』
            (トーベ・ヤンソン著 冨原眞弓訳)より
2015-03-04-WED