ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 郡山 ふじた農園 篇
福島県郡山市で お米と野菜を栽培する「ふじた農園」の8代目、 藤田浩志さんと、お会いしました。 放射能の問題に直面するこの地で 藤田さんは、 毎日、品目別に放射性物質の検査結果を インターネット上に提供する 「ふくしま新発売。」プロジェクトに関わっています。 正面から状況に向き合い、 地に足をつけ、ゆっくり前進しながらも 「それだけじゃ、おもしろくない!」と言って いろんな取り組みに、意欲を燃やします。 もちろん、プロの農業者として、仲間といっしょに 「糖度19.5、  カブトムシの寄ってくるトウモロコシ」や 「マスクメロン方式のカボチャ」を、つくります。 どうですか、おもしろそうじゃないですか。 「ふくしま新発売。」の事務局である
佐藤隆弘さんにも同席いただき
糸井重里が、お話をうかがってきました。
第1回 ヘコんでは、いられないので。
糸井 藤田さんは、個人の農園主なんですか?
藤田 はい、家族経営で農家をやっています。
私で8代目になるんですが。
糸井 農家の、8代目。
藤田 この家の世帯主は父ですので、
私はいろいろ
好きにやらせてもらっているんですけど、
専業農家として
米をメインに、あとは野菜なども、少し。
糸井 藤田さんを知ったのは
この大晦日から元旦にかけてやっていた
「朝まで生テレビ!」なんです。
藤田 あ、そうでしたか。
糸井 口角泡を飛ばしてしゃべるんじゃなく、
じっくり考えて
一歩ずつ、確実に進もうとしている姿を見て、
もっと、藤田さんのお話を
聞いてみたいなって、思ってたんですよ。
藤田 ありがとうございます。
糸井 で、さっそくなんですが
藤田さんの関わっている「ふくしま新発売。」という
プロジェクトのお話から‥‥。
藤田 はい。
糸井 これってつまり、どういうものなんですか?
藤田 今、福島県では
2万点以上の農林水産物について
放射性物質の
モニタリング検査を実施しているんですけれど、
その結果を
インターネット上で
わかりやすく検索できるようにしたんです。
糸井 つまり、お米から、桃から、一品づつ。
藤田 はい。放射性物質の検査は
これからの福島県の農林水産業に
絶対、欠かせないものになってきますので、
しっかり伝えていこう、と。

また、データや数字を並べるだけではなく、
福島県に住んでいる農家の人間が、
どういうふうに生きて、どういうふうに考えて、
どういうふうに
前へ進んで行こうとしているか‥‥についても
情報発信しています。
糸井 いつから、はじまったんですか?
藤田 スタートしたのは、昨年の8月ですね。
糸井 ふつうに考えたら‥‥
つまり、
藤田さんたちの自然な気持ちとしては、
「なんで、おれたちが
 こんなことしなきゃならないんだ?」
という感情だって、あったでしょう。
藤田 そうですね。それは、ありました。

やはり、事故直後の昨年3月4月の段階では
「どうして
 こんなことになってしまったんだろう、
 私たちが
 何か悪いことをしたんだろうか?」と
悩んだ時期もありました。
糸井 まだ、原発の状況が
どうなるかも、わからない段階ですよね。
藤田 ええ。しかし残念ながら
放射性物質は、降り注いでしまいました。
糸井 はい。
藤田 自分たちの置かれた状況を悲観して
自ら命を絶った人も、いらっしゃいました。

私たちも、そういった悲しいできごとを
経験したうえで、
やはり‥‥どう言ったらいいのか‥‥
ようするに
「起きてしまったものは、しかたがない」
という思いにいたったんです。
糸井 つまり「事実ではあるから」と?
藤田 ええ。放射性物質は、降ってしまった。

だったら
「その状況から、どうしようか?」と
考えるようになったんです。
糸井 なるほど‥‥。
藤田 最初の一歩は
やはり「実際、どれくらい降っているか」を
きちんと知ることでした。
糸井 農作物に、どれだけ被害が出ているのか、を。
藤田 そこを確かめない限り、
前に進むことができませんでしたので。
糸井 「どうして?」から「きちんと知ろう」に
気持ちの切り替えができたのは
事故からどれくらい経ってから、でしたか?
藤田 人それぞれだとは思います。

ですので、個人的な話をさせていただきますと
私は「あおむしくらぶ」という
地元農家のグループに属しておりまして、
4月12日と13日に
みんなで集まって、会議をやったんですね。
糸井 つまり、震災から1ヶ月後。
藤田 暗い話になるだろうと、覚悟して行きました。

当然、はじめは「地震、大変だったね」とか
「放射性物質、降っちゃったね」
というような話題からはじまったんですけど
時間が経つにつれて
「‥‥んじゃあ、
 今年の新しいブランド野菜、何にしようか」
という話になっていったんです。

私、もう、びっくりしてしまって。
糸井 へぇー‥‥。
藤田 「あ、そういう流れなのね」みたいな(笑)。

もちろん、放射性物質の話も出ましたけど、
でも、それ以上に
「今までやってきたことを、継続してやろう」
という前提で、会議が進んでいくんです。

ほとんどが、私より先輩なんですけど、
「この人たち、本当にすげぇな!」と(笑)。
糸井 お幾つくらいの人たちなんですか。
藤田 中心となっているのは、30代から40代で
50代から70代のかたが「数人」ですから、
他と比べると、
比較的、若いグループですね。
糸井 みなさん、
なぜ、そんなに強かった‥‥んでしょうか。
藤田 たぶん「1回、沈んだあと」なんです。
糸井 ああ‥‥乗り越えてきたんだ。
藤田 はい。
糸井 でも、4月の段階で
そういう会議ができるのって‥‥すごいです。
藤田 私も、本当に、そう思いました。

「後輩の私が、ヘコんではいられない」
という気分になりましたから。
糸井 沿岸部で、津波の被害に遭った人たちと
話をしていると、
「個人事業主」は立ち上がりやすいんだなって
思うことがあります。

被害の大きさを嘆くよりも
「自分の会社を、なんとかしなきゃ!」という、
リーダーとしての気持ちに
切り替わるのが、早かったのかもしれないです。
藤田 それは、そうかもしれません。
やはり、われわれも「農業経営者」ですから。
糸井 まだまだ余震が続いている段階で
中小企業の社長が
「どうやって、会社を建て直すか」について
考えていたという話、よく聞きますよね。
藤田 とくに、われわれのグループには
「経営者としての視点」を持っている人が
多かったので‥‥
4月の段階であの会議ができたというのも
そうですね、
そのことが大きいかもしれません。
糸井 僕、福島へは何回か来ているんですけど、
ほんと、いい景色が広がってますね。
藤田 ありがとうございます。

私にとっては、
子どものころから住んでいる場所なので、
ふつうなんですけど(笑)。
糸井 ああ、そりゃそうですよね。
藤田 でも、私の妻は
東京の団地で生まれ育ったものですから
最初、福島へ来たときは
「空が広い!」って言ってました。
糸井 うん、たしかに。
藤田 私たち、やっぱり「いいところ」に
住んでいるんだなと思います。

今回の震災、そして原発事故のあとは、
とくに、そのことを
いっそう強く感じるようになりました。
糸井 ことさらに「美しい!」とか
そんな大げさなことは言いませんけど、
こちらのお宅に着くまであいだ、
道ばたを歩いている
おじいさんやおばあさんを目にしたら、
なんて言うんだろう‥‥。
藤田 ええ。
糸井 「本当はさ、こうなんだよなぁ」って、
そういうふうに、思ったんです。
<つづきます>
2012-07-11-WED
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第1回 ヘコんでは、いられないので。 2012-07-11-WED
第2回 前を向いて行きます。 2012-07-12-THU
第3回 よりよいものを、作ること。 2012-07-13-FRI
第4回 糖度「19.5」のトウモロコシ。 2012-07-16-MON
第5回 マスクメロン方式のカボチャ。 2012-07-17-TUE
 
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