田附勝という写真家の「在り方」に惹かれる。

トラッカーたちの「アート作品」ともいうべき
極彩色の「デコトラ」を撮影した
その名も『DECOTORA』という作品。
東北の祭りや鹿猟や人々や信仰に
真っ正面から対峙した『東北』という作品。
左側の2列が『DECOTORA』より、右側の2列が『東北』より。
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とくに後者は、木村伊兵衛賞を受賞してもいて
素晴らしい作品を撮る作家であることは
今さら強調する必要もないのだが
思うに、この人には
その「人柄」に惹かれる人が多い(と、思う)。

とりたてて、やさしい心の持ち主だとか
正義感にあふれているとか、
そういうことでもないとは思うのだが
言うことがストレートで、
だからきっと、考えていることもストレートで、
滅多に嘘をつかないという気がする。

敬語というものが、あまり口から出てこないし
すぐ「タメ口」になっちゃうし、
それで誤解されることもあるかもしれないけど、
懐っこくて、感じのいい人だ。

「やりたいこと」と「やりたくないこと」の
境界線が太くクッキリしていて、
それをハッキリ口にするのも、気持ちがいい。

そういう写真家・田附さんの「在り方」とは、
たとえば、こうだ。
田附
やっぱり、俺にとっていちばん重要なのは
写真を撮ることより、
あっちに、つまり東北に住んでる人たちと
コミュニケーションを取ることなんだよ。
だから、いつも
「田附さん、八戸で何やってんですか?」
って聞かれるんだけど
「浜のオバちゃんと遊んでるよ」みたいな。
それ言ったら
市の職員とか「えぇ?」とかなってるけど、
それが重要なんだよね、結局さ。
──
コミュニケーションを取ってるだけで
何にも残らなくてもいい?
田附
いい。
──
写真に残さなくても。
田附
いい。
──
記録として残らなくても。
田附
記録なんかに興味はない。
コミュニケーション取るのがいちばん重要。
<いつかの雑談から抜粋>
田附さんは
2006年くらいから東北へ通うようになった。
月に1回、相棒の軽自動車に乗って。

毎回「1000キロ」をゆうに超える道のりを
誰からも頼まれていないのに、
ときには猛烈な吹雪に巻かれながらも、
たったひとりで通うようになった。
田附さんと相棒の軽自動車。走行距離は13万キロ超。 田附さんと相棒の軽自動車。走行距離は13万キロ超。
必ずしも、
お金に変わるわけでもない東北行を続ける
理由や動機については
簡単にはまとめられそうにないので
これからはじまる、この連載全体を通じて
にじみ出たらいいなと思うのですが
ひとつ、
きっかけになったものが、あるという。

それは、「一枚の地図」だった。

富山県が作った「環日本海・東アジア諸国図」、
いわゆる「逆さ地図」が、それ。
※この地図は富山県が作成した地図を転載したものです。(平24情使第238号)
画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。
歴史学者・網野善彦の著書
『「日本」とは何か』のなかでも紹介されている、
この、めまいにも似た感覚を引き起こす地図は
通常の日本地図を
佐渡市を中心に「約46度、左に回転」している。

支点を(ゆえに視点を)ぐるりと回転させることで
「日本列島の孤立性」ではなく、
「日本と東アジアとの一体性」がよくわかるという。
なるほど、たしかに。日本海が湖みたい。

(参考:日本国際地図学会(JCA) 評議員 齊藤忠光
    逆さ日本地図「東アジア交流地図」

で、富山県出身の田附さんは
この地図のことを、わりと前から知っていて、
暗室の壁に貼っていた。

そしてあるとき、東北の「近さ」に気づいた。

「東北って寒くて遠いっていうけどさ、
 白河の関だ、みちのくだっていうけどさ、
 なんだ、左に行けばいいだけじゃん」

「北上」ではなく「左へ行く」。

このことの「きがるさ」に気づいたことで、
田附さんの
「月に一度の東北行」は、はじまったのだ。
田附
結局さ、
「日本ってなんなんだ?」って思ったときに、
「もうちょっと
 深い日本を見るためのチャンスが
 東北には
 まだ残ってるんじゃないのか」って感覚、
そういう感覚だけが、まずあったわけ。
で、つまり、そうだな、たとえば、
釜石で林業やってて猟師もやってる人や
八戸の浜のオバちゃんや、
恐山のイタコの人なんかと話すなかで、
動物を撃って殺して食べることだったりとか、
そういう「生と死」みたいなことが
そこには、つまり東北には、
すごく身近なところにある‥‥ってことはさ、
ようするに、俺がずっと気にしてた
「俺たち人間の太古の姿」みたいなものが
そこには、東北には、
「断片的に残ってるんじゃないのか」って
そういう感覚なんだよ結局。(ここまで一息)
<いつかの雑談から抜粋>
以来、田附さんは、
東北に住む人々や風土を、撮り続けている。

祭り、森の暗がり、縄文土器、恐山のイタコ。
田附さんが
「俺が見てきたのなんて、たったの数年だから」
という東北の、ヒト・モノ・コト。

写真について偉そうなことなど言えないが
眺めていると
すーっとしていて「気負いがない」と思う。

でも、
「自分は、最後の最後は写真を撮る側の者だ」
という意識があるのだろうか、
「土地」や「人々」や「祭り」や「信仰」や
「皮を剥がれた熊」や「木乃伊」などに
真摯に向き合い、
深い敬意を払っているのが、よくわかる。

そして「記録に興味がない」というように、
そうやって見てきたものを、
田附さんは、
積極的に発表しようとする気配が、ない。

それは、もったいないんじゃないだろうか?
田附さんが東北で撮ってきたもの。
画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。
ようやく本題にたどりついたが、
そんな記録係のおせっかいではじめるのが、
この、きっと相当「不定期」になる連載だ。

田附さんは田附さんで
納得いくものしか出したがらないだろうし、
ぼくら「ほぼ日」も、
締め切りですよとせっつくことはない。

だから、たぶん、かなりの「不定期」です。
第2回目の予定も立ってはいないけど、
これから来る冬のうちに
1回か2回は更新したいと希望しています。
まずは、
青森の博物館の取材なんかどうですかね?
(これは、おもに田附さんへ)

というようなわけで、この第1回は
「このような人と、
 このような感じの連載をはじめます」
という、
「よろしくお願いします」の回なのですが、
せっかくなので、
田附さんの最新作 『おわり。』を紹介して
締めくくろうと思う。
田附勝『おわり。』より。 田附勝『おわり。』より。
2011年11月。

放射性物質の影響が懸念されるなか、
岩手・釜石の鹿猟に震災後はじめて同行し、
そのようすを撮った
『その血はまだ赤いのか』という作品。

たったの300部しか発行されず
今では手に入れることのできない幻の作品だが、
『おわり。』は、その続編。

というか、文字どおりの「おわり。」篇。

「もう嫌になった。鹿を殺すの。
 今までいっぱい殺してきた。
 もういい。
 それに食べられないなら、殺さない。
 殺したくない」

(『おわり。』の巻末に添えられた文章より)

そう言って、田附さんが
2008年くらいから同行してきた猟師さんが
猟銃を手放した日である
「2014年4月1日」を捉えた作品です。

(鹿肉からは、放射性物質が検出された)

今回も部数限定のようですが
いくつかの限られた本屋さんやギャラリーに
まだ置かれているようなので、ぜひ。
取扱店リストを、このページの下に記します。

なお、田附勝という写真家に興味を持ったら、
次の更新(いつ?)までに
以下のレポートも、ぜひ読んでみてください。

昨年、田附さんが秋田で開催していた
「個展」を見に行ったレポート(前後編)なんですけど、
展覧会の会場が「これ↓」だったんです。
展覧会の会場
<いつかの第2回に、つづきます>
2014-11-20-THU
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