全体的にまぼろしチックな体験。田附勝「朽ちてゆく写真展」を見てきた。(すでに少し朽ちてた)‥‥前編

こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。

さっそくですが、田附勝という写真家がいます。
(たつき・まさる‥‥と読みます)

アートトラック、いわゆる「デコトラ」と
全国のトラッカーたちを撮影した
その名も『DECOTORA』という写真集が
個人的に
あまりに超ストライクだったため
いつかお話を聞きたいと思っていた人です。



△この極彩色! ともに田附勝『DECOTORA』より。
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田附さんは「写真界の芥川賞」とも言われる
木村伊兵衛写真賞を
2011年度に受賞しています。

受賞作は『東北』。濃密な作品です。

この写真集、
「2011年」という年と「東北」というテーマから
直ちに連想される内容ではありません。

つまり「震災の写真集」では、ないのです。

そこに収められているのは、
田附さんが、2006年から東北に通っては
撮りためてきた、彼の地の姿です。

撃たれた鹿の、洞(うろ)のような目。
恐山の、数珠を握る、
なんだかソーセージみたいなイタコの手指。
皮を剥がされた熊の頭部。
まぼろしみたいな雪景色。
どこか正気を欠いたような、裸祭の男の目。




△上は「松本家の即身仏明海上人」。ともに田附勝『東北』より。
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そこには、きっと、「過剰」も「過小」もない、
東北の自然や人々の暮らしが
ありのままに写っているんだろうなと思います。


△左が『東北』、右が『DECOTORA』。
 被写体は、ぜんぜん、まったく、種類の違うものだが
 民俗学者の赤坂憲雄さんが「デコトラが青森のネブタ絵に見えた」
 と言うように、両作品にはどこか通底するものがあるような。


で、そのようにですね、
たびたびその動向をチェックしておりましたので
田附さんが、この9月から
東北で展覧会を開催しているらしいという情報は
なんとなく知っておりました。

なんでも、秋田県の山あいの村のなかでも
とくに住んでる人の少ない集落で開催してるとか。

そこは、行くのに、ずいぶん遠いらしい。

仕事の合間、思い出すたびに
インターネットで検索をしてみたりしたのですが
あまり情報が出てきませんでした。

夏の終わりくらいからでしょうか、
そんなふうに、たびたび検索をしていたら、
あるとき、信じられない
「展覧会の会場風景」を見つけました。

それが、これです。


©TATSUKI MASARU


‥‥‥‥‥‥‥。

展覧会場というか、トタン屋根の小屋です。
でもこれが、展覧会場。

実際には、集落の人が農機具をしまっていた
小屋だったそうです。

トタンは錆びついているし、扉の板は半開き。
このなかに作品を展示‥‥しているの?

この写真を見たとき、
自分自身がどんな感想を抱いたのかは
はっきり覚えてないんですが
衝撃を受けたことだけはたしかです。

なんと言いますか、
田附さんの「本気」が、伝わってきました。
冗談なんかじゃない‥‥という強い感じ。

というのも、田附さんには幾度か
実際にお目にかかったことがあるのですが
そのときの勝手な印象は
いつでも「本気の人」だったからです。

そして、そこに写っているガタガタの扉を
手前に引いて、足を踏み入れ、
中に飾られている作品を見てみたい‥‥と
こちらも本気で思いました。

さらには、田附さんが
「この小屋ごと、作品が朽ち果ててもいい」
と言っているらしいことも、
なぜだか、ものすごく衝撃的でした。

「自分の作品が朽ち果ててもいいって、
 どういう気持ちなんだろう?」

そこでさっそく、展覧会が開催されている
秋田県の上小阿仁(かみこあに)村役場に電話をし、
取材の申し込みをしました。

いろいろと予定が立て込んでいたのですが
「3日後」に行かなければ
次のチャンスは「1週間以上先」になることも
自分のスケジュールを見て確認しました。

そこで、急きょではありますが、
「みえないところに私をしまう」と題された
この展覧会を見にいくことにしたのです。

9月の半ば過ぎのことでした。
ちょっと「冒険」みたいな気分になりました。


目指すは住人20人弱の限界集落。
宿泊場所がないので
廃校になった分校の教室で寝る。


というのも、上小阿仁村は
なかなかに「遠かった」のであります。

取材を決めたあと、田附さんに連絡すると
よろこんでくださり、
親切にも
泊まるところまで手配してくれました。

展示を見るなら「夜の雰囲気もいい」と
田附さん本人が言っていたので
その日は、
どこかに泊まろうとしていたんです。

しかし、目指す上小阿仁村の八木沢集落は
現在「7家族・20人弱」が住むだけ。

宿泊場所などは、当然ありません。


△40分くらいかけて集落を徒歩でひとめぐりしてみたものの、
 すでに夕暮れどきだったためか、
 誰ひとりとして、住人のかたに遭遇しなかった。
 そのためか、今回の八木沢集落訪問は
 全体的に、どこか夏のまぼろしみたいな印象が残っている。


車で40分ほど走って街場に戻れば
民宿があるらしいのですが
田附さんは
「いや、もっとおもしろいところあるから」
と言って、連絡をとってくれました。

そこは「廃校になった分校」でした。

田附さんが
今回の展覧会用の写真を撮っていたとき、
一週間ほど
泊まりこんでいた場所だそうです。

廃校になった分校‥‥。

どんなところなんだろうとは思いましたが
自分ひとりだけの取材行ですし、
寝れればいいだけなので
ありがたく
ご好意に甘えることにしました。

こうして
東京駅から秋田駅まで新幹線で4時間、
秋田駅から
車でさらに2時間かかるという八木沢集落へ
取材に行ってきたのですが、
これが本当に、いろんな意味で刺激的でした。

その「てん末」を
前後編の2回にわけてお伝えします。


東京から秋田まで新幹線で4時間。
車で1時間走り、
そこから対面通行不可の山道10キロ。




まず東京駅から、新幹線に乗りました。

東北・秋田新幹線の
「はやぶさ7号+スーパーこまち7号」です。

これ、緑色した「はやぶさ7号」と
赤い「スーパーこまち7号」が合体したもの。
ふたつの新幹線は盛岡で分離し、
スーパーこまちだけが秋田方面に向かいます。

ともあれ、赤い新幹線には初乗車だったので
たいへんウキウキしました。

ふだん、気仙沼に行くときには
一ノ関まで「2時間半」くらいなので、
今回は、いちど寝て起きても
まだ「もうひと仕事」くらいできる感覚です。

実際、車内で原稿をひとつ書き終えまして
妙にスッキリした気分で秋田に到着。



すぐに、駅の近くでレンタカーを借りました。
今回の旅の相棒は、トヨタのヴィッツ君。

カーナビに
目的地の「廃校になった分校の住所」を入力、
あまり運転が上手じゃないので
お手柔らかにお願いしますという感じで出発。

秋田駅からほどなくすると
のどかな田園風景が、広がりはじめました。
一面の稲穂が風に揺れていて、綺麗でした。



このような道を1時間ちょっと走ったあたりで
ヴィッツ君のカーナビが
「そこの脇道を右に入っていけ」と言いました。

それは、このような道でした。



むむう。僕には少々、手ごわそうな。

右側は切り立った崖、
左側はけっこう下に川が流れているみたいな、崖。
これが「10キロ」くらい続くらしい。

対向車が来たら「アウト」な道幅なため
なるべく急ぎつつ、でも慎重に進みます。

2回ほど対向車に出くわしましたが
どちらかが
やっとすれ違えるくらいの場所までバックし、
道を譲り合いました。

そんなこともあり、終始ドキドキしながら
40分くらい走ったでしょうか。

突然、相棒ヴィッツ君のカーナビさんが
あろうことか、
このあたりで「目的地周辺である」と宣言し
「案内を終了」したのです。


△カーナビさん、我々はきっとまだ目的地に到着していないぞ。

‥‥‥‥‥‥‥。

あたりはうっそうとした樹々に囲まれ、
心持ちひんやりしており、物音ひとつしません。
ときどき、なんらかの鳥が啼く。

言いようのない不安に駆られましたが
冷静に考えれば、目の前には一本道が続くだけ。
真っすぐ進むしか、道はない。

そこで、さらに真っすぐ進んでいくと、
いつしか、僕とヴィッツ君の数メートル先を、
ハトのような灰色の鳥が
飛んでいることに気づきました。

スピードを出せば、衝突してしまうような高さ。

で、その高度を維持したまま、
上空に舞い上がっていくわけでもなく、
道路から逸れるわけでもなく、
僕とヴィッツ君を先導するかのように、
くねくねした道に沿って、ぱたぱた飛んでいくのです。

なんだか、不思議でした。

カーナビさんが「案内を終了」した今、
僕とヴィッツ君は、その鳥に導かれるようにして、
一本道を進んでいきました。

やがて、だんだん視界がひらけてきました。

ほどなくすると、本日の「宿泊場所」でありつつ、
その敷地内に
田附勝「みえないところに私をしまう」展の
会場を有する、
かつての「沖田面小学校八木沢分校」に到着しました。

灰色の鳥は、いつの間にか、いなくなっていました。




△廃校になった分校。現在は集落の公民館としても機能。

さっそく元の「校庭」にヴィッツ君を停め、
荷物をおろし、
今回の滞在でなにかとお世話になる予定の
桝本杉人さんを訪ねます。

田附さんが「村では、この人に頼るといい」
と、紹介してくださった人です。


△こちら桝本さん。
 夕飯は、土地のもの(巨大な夕顔など)をつかった
 おいしい手料理をごちそうになる。


桝本さんは
この八木沢集落の「地域おこし協力隊」として
4年前に京都から来られ、任期終了後は
「地域活性化応援隊」として
さまざまな活動に従事されています。

掃除や草刈りなど集落内のメンテナンスから
住人20数名の「限界集落」ですので
お年寄りを車に乗せて
街へ買い物にお連れしたりなど、さまざまな。

4年前、立命館大学からやって来て以来
この元分校に「住んで」らっしゃるそうで、
上小阿仁で行われているアートプロジェクトでは
実行委員として
八木沢会場の管理と運営を担当されています。

今日はよろしくお願いしますとご挨拶すると
まずは荷物を置いたらと
今夜の「寝床」に、案内してくださいました。



そこは、かつての「教室」でした。

ですので
頭上には「大きな黒板」がありました。

不思議な気分になりました。
今夜は、どんな夢を見るのでしょうか。



おおっと、こちらは時間割、ですね。

そうそう、
むかしは土曜日も授業あったあった。



ちなみに、僕の寝床の隣の部屋には、
現代美術家の方のアートが展示されていました。



お、おお‥‥すごく精巧にできている人面です。

で、そのぅ、精巧なだけに、
夜中にトイレに起きちゃったら、大丈夫かな俺。

とか、そんなこと思いつつ廊下を進んでいくと、
あ、田附さん。

そして、え、もしかして、
その向こう、ガラス越しに見えているのが‥‥。



田附勝「みえないところに私をしまう」の
展覧会場。



これを見にきた。



<後編につづきます>
                    後編へ

田附勝「見えないところに私をしまう」は
上小阿仁村で行われている
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」
の一環として開催されています。

ことしで開催2年目となるアートプロジェクト、
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」。
昨年の第1回は「9000人」もの人が
住民20数名の八木沢集落を訪れたそうです。

田附勝さんの
「みえないところに私をしまう」展も
同プロジェクトの一環として開催されています。

取材者(ほぼ日・奥野)が
八木沢会場にうかがったのは
平日の夕暮れどきだったこともあって
住民のかたを含め
集落内では、まったく人に会わなかったのですが
秋田駅からの無料バスが運行する
休日の午前中などは
たくさんの人でにぎわっているそうです。

また、今回の取材では
「夜の展示会場を見たい」という理由から
レンタカーで行きましたが
道が狭かったり、
近くに宿泊施設がなかったりするので、
上述の、休日に運行されている
秋田駅からの無料バス(完全予約制)を
利用すると、いいかもしれません。

無料バスの日程やお問い合わせ先については
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」
サイトでご確認ください。

なお「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」は
2013年10月14日(月・祝)で終了です。

田附さんの展示も、同時に終了する予定とのこと。
ご興味あったら、ちょっぴり遠いですけど、
この機会に、ぜひとも足を運んでみてくださいね。
ちょっとおもしろい経験になると思いますよ!

(その後、羽田空港から大館能代空港へ飛び、
 そこから乗り合いタクシーに乗れば
 かなーり時間短縮できることが判明‥‥。)

なお「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」の
ホームページはこちらから、
田附勝さん展のメインページはこちらからどうぞ。

 

2013-10-02-WED