全体的にまぼろしチックな体験。田附勝「朽ちてゆく写真展」を見てきた。(すでに少し朽ちてた)‥‥後編

目の前に、あの展覧会場が建っています。

新幹線で4時間、
そこからレンタカーで、さらに2時間。

最後は、対向車とすれ違えないほど
ギリギリな崖っぷちの山道10キロを抜けて
ようやく、やっと、たどり着きました。

ここが、
田附勝「みえないところに私をしまう」の
展覧会場です。

東京の仕事場のパソコンの画面で
「この中‥‥いったいどうなってるんだろう?」
と気になってしかたなかった
トタン屋根の小屋が、目の前に建っています。



近づくと、思った以上にコンパクトな佇まい。
いっぺんに何人くらい入れるのかな?



‥‥「おひとりずつ」でした。

会場に入ったら
扉を閉めて鑑賞してくださいとあります。

入場無料。



念のため、展示会場の「後ろ側」も確認。

異常なし。

本当に、まったく、
農家のお宅にはめずらしくもないであろう、
何の変哲もない、古びたトタン小屋。

そして、
その「何の変哲もない、古びたトタン小屋」
のなかに
木村伊兵衛賞作家の作品が展示されている。

そのことを想像したとたんに
なぜだか、ものすごく、心がざわめきます。

だって、隙間だらけだし、
トタンは錆びていっぱい穴が空いているし、
雨でも降ったら
会場内の作品が濡れてしまうんじゃないか。

しかも、田附さんは
「この小屋ごと、作品が朽ち果ててもいい」
と言っているらしいんです。

実際の小屋を目の前にすると、
その言葉が、現実味を帯びて迫ってきます。

これは、放っといたら、そう遠くない将来、
本当に朽ち果ててしまう。



ともあれ、他に来場者もいないようなので、
会場に入ってみることにします。

6時間以上もかけて来ているものですから、
「ありがたいものを拝む」的な気持ちに
なってしまいそうなのですが、
なんとなく、なんだか、
「いや、そういうもんでもないからさ」って
田附さんは言うかなあと思いました。

ぎい‥‥と、扉を開けます。中へ入ります。
裸電球が一個、灯っています。
後ろ手に扉を閉めます。
狭いです。人ひとり立ったらギュウギュウ。
そして、ちょっと蒸し暑いです。空調なし。

足元を見ると、床板の隙間から、
コオロギくんが出たり入ったりしています。



作品に、囲まれる感覚。

しかも、「人物」の写真が多いので
四方から視線を感じるというか、
なおさら「囲まれた感」があります。

集落の住人のみなさんの写真だそうです。

いちばん大きく展示されているのは
むかしマタギだった、集落の長老の写真。

画面いっぱいに写し取られた長老の顔が、
人の背ぐらいの大きさにまで
引き伸ばされています。

そこには、ぜんぶで50枚ほどの写真が
コラージュのように展示されていました。
当たり前のことを言うようですが、
こんなふうに写真展を「体感」したのは初めてです。

狭すぎて、会場全体をカメラに収めることが
できなかったため
「ところどころ、切れ切れ」ですみませんが
どうぞ、ごらんください。

会場で感じた、あの異様な迫力・静寂・視線の
何十分の一も伝わらないと思いますが
これが、
田附勝さんの「みえないところに私をしまう」
です。



















写真は、やはり、すでに傷んでいました。

とくに、床板にじかに置かれた作品は
雨にさらされたのでしょう、
表面が剥げ落ちて、かなり損傷が激しいです。

ボランティアに来ていた美大の学生さんは
この状態を見て
「雨のせいで」とは言わずに
「雨のおかげで」と、表現していました。



「この小屋ごと、作品が朽ち果ててもいい」

展覧会場の「佇まい」に加え、
田附さんの「その言葉」に心をかき乱されて
この集落までやってきました。

自分の感覚としては
誰か写真家の作品が「朽ち果てる」と聞いたら
「とんでもない!」と思います。

写真とは「残すもの」だと思っていたし、
だからこそ
「朽ち果ててもいい」という言葉に、
そして、田附勝さんという好きな写真家が
そう言ったことに、
気持ちがざわめいたのかなと思いました。

あるいは「作品が朽ち果てる」と聞いて
「とんでもない!」と思うのって
すこし人工的な感覚なのかなあ‥‥とも。

十五分くらいそこにいて、退出しました。

その後、アートプロジェクトをやっている
集落内をひとめぐりし、
夜は、桝本さんのつくってくださった
夕ごはんをいただき、
すこしお酒を飲みながら話して、寝ました。

夢は、とくに見ませんでした。



会場へ足を運んでみてハッキリわかったのは
「この展示は、放っといたら、
 遠くない将来、本当に朽ち果ててしまう」
ということでした。

だからこそ、
「この小屋ごと、作品が朽ち果ててもいい」
と言った写真家の真意を
ご本人から、聞いてみたいと思いました。

そこで、東京に戻ってから、
田附さんにふたつの質問をしてみました。

田附さんからは、
時間を置かずに、答えが返ってきました。

── 今回の展覧会について
「この小屋ごと、作品が朽ち果ててもいい」
と思うのは、なぜですか?
田附 「写真」って、いったい何なんだろうか。
俺ら写真家は、ホワイトキューブの部屋の中で
展示することがすべてか。
写真に詰まる記憶はどこまで存在し、
消えかかる写真は、どこまで力を失せないか。
朽ちることは、嫌なことか。
いや、
そこにあったという記憶だけでも十分ではないか。
もし、朽ちてしまっても
観た者感じた者の記憶に残り、生き続けると思う。
そうやって、長い歴史を
我々は生きてきたんじゃないのかと感じている。
── 東北を撮り続けているのは、なぜですか?
田附 東北を撮り始めてから、たかだか6年。
たった6年で
東北のことなど理解できるはずもない。
だから、今も撮り続けている。


秋田県上小阿仁村、八木沢集落。

最後に、八木沢集落で撮った写真をざっと並べて
このレポートを終わろうと思います。

現在、この集落では
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」
という
アートプロジェクトが行われているため
集落のあちらこちらに
現代アートの作品を見ることができます。

今回、訪問したのが
「平日の夕暮れ」だったこともあって
集落を徒歩でひとめぐりする間、
誰にも、ただのひとりも、遭遇しませんでした。

そのことと、あぜ道や小高い丘などに
突然「有名な黄色いカボチャ」とか出てきちゃう、
そんな不思議な雰囲気があいまって、
この取材の旅は
全体的に、なんだか「まぼろし」みたいな感じで
心にしまわれることになりました。

もちろん、すべては現実なんですけれども。

























あ、そうそう、今回の取材の旅を
「日帰りにしなかった理由」がありました。

それは「みえないところに私をしまう」展、
夜になったら
またちょっと違う雰囲気でイイよと
田附さんが、教えてくれたからなのですが‥‥。

それは、ほんとでした。



©TATSUKI MASARU

<終わります>

前編へ

田附勝「見えないところに私をしまう」は
上小阿仁村で行われている
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」
の一環として開催されています。

ことしで開催2年目となるアートプロジェクト、
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」。
昨年の第1回は「9000人」もの人が
住民20数名の八木沢集落を訪れたそうです。

田附勝さんの
「みえないところに私をしまう」展も
同プロジェクトの一環として開催されています。

取材者(ほぼ日・奥野)が
八木沢会場にうかがったのは
平日の夕暮れどきだったこともあって
住民のかたを含め
集落内では、まったく人に会わなかったのですが
秋田駅からの無料バスが運行する
休日の午前中などは
たくさんの人でにぎわっているそうです。

また、今回の取材では
「夜の展示会場を見たい」という理由から
レンタカーで行きましたが
道が狭かったり、
近くに宿泊施設がなかったりするので、
上述の、休日に運行されている
秋田駅からの無料バス(完全予約制)を
利用すると、いいかもしれません。

無料バスの日程やお問い合わせ先については
「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」
サイトでご確認ください。

なお「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」は
2013年10月14日(月・祝)で終了です。

田附さんの展示も、同時に終了する予定とのこと。
ご興味あったら、ちょっぴり遠いですけど、
この機会に、ぜひとも足を運んでみてくださいね。
ちょっとおもしろい経験になると思いますよ!

(その後、羽田空港から大館能代空港へ飛び、
 そこから乗り合いタクシーに乗れば
 かなーり時間短縮できることが判明‥‥。)

なお「KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013」の
ホームページはこちらから、
田附勝さん展のメインページはこちらからどうぞ。

 

2013-10-03-THU