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・なにがタダか、ということを、
 おりにふれて考えてきた。
 
 公園やら神社やら、そしてときには道路に、
 たくさんのギンナンの実が落ちているのを見て、
 「これ、拾って帰ってタネを出して乾燥させて、
 煎って食べたいものだなぁ」と思った。
 拾ったギンナンを食べるのは、
 ずいぶんめんどくさいことなのである。
 そのめんどくささを乗り越えたものは、
 タダでギンナンがおいしく食べられるのである。
 そう考えていたが、法律に詳しい人の説明を聞くと、
 なかなかめんどくさいものでもあるようだ。
 つまり、公園や神社や道路に落ちているギンナンは、
 タダであると言いきってはまずいということだ。
 
 ゴミ集積所にある段ボールを集めている人がいる。
 あれはあれで、売り先があってお金になるのだろう。
 しかし、あの段ボールをタダと言うのはむつかしそうだ。
 公園の水飲み場の水は、じぶんで飲むにはタダだが、
 それをなにか商いに使おうとしたら問題になるだろう。 
 都会にいようが、山のなかにいようが、
 ありとあらゆるものが、だれかの所有物である。
 なにひとつタダのものなどない、と言えそうだが、
 なにかしらタダのものはないものだろうか。
 
 空気は、どうやらタダである。
 水はタダではない。
 日本のレストランではコップに入れた水が無料で出るが、
 それはそれで、なかなか珍しいサービスであるらしい。

 ぼくは、ほんとうにじぶんが困った状況になったときに、
 どうやって生き抜くことになるのか、考えるクセがある。
 なにかしらタダのものから、身を興していきたいのだ。
 空気から「わらしべ長者」をねらうのは無理だとすると、
 やはり、「不用品」やら「不用金」みたいなものを、
 「片づけてあげましょう」という商いがいいのだろうな。
 「不用力」とか「不用美」なんかも回収してやれそうだ。
 道のギンナンより、そっちのことを考えるべきだな。
 生き抜くことの出発点は、やっぱり「考える」ことだな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほんとは、「バカみたいに安い」が、タダに近いんですね。
2017-07-23-SUN
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