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・昨日は世田谷「砧公園」で、
 犬猫アプリ「ドコノコ」のオフ会だった。
 前夜、食事に出てどしゃぶりの雨に降られながら、
 この屋外イベントについて不安も抱いたけれど、
 朝が明けたら気分のいい晴天で、うれしかったねぇ。
 担当の「ほぼ日」乗組員たちが、早めに現場にいたら、
 予定の11時より前に、どんどん集まってきていたって。
 代々木公園でやったときよりたくさんの犬が集まって、
 それでも混乱やら、諍いやら、事故やらもなく、
 ほんとうにほかほかと楽しい時間が過ごせた。
 もうね、見た目も、年齢も、種類も、性質も、
 実にたくさん、まことにそれぞれの犬がいるものだ。
 みんなかわいい、みんなかわいい、みんなかわいい。
 ずっとそう思いながら、その場の時間を過ごした。

・犬や猫は、じぶんから
 「どういうふうに生きたい」とは言わないし、
 仮にそういう意志を宣言したからといって、
 そういうふうに生きることはむつかしい。
 なにに似ているかと言えば、赤ん坊に似ている。
 赤ん坊は、大人になるにしたがって、
 じぶんの考えた生き方に近づいていけるけれど、
 犬や猫は、そういうふうには生きられない。
 生きる条件のわるい「外」に逃げることはできるだけだ。 
 また、犬や猫は、米や麦にも似ていると思う。
 大昔からの野生の稲や麦と、いまの米麦はもう別物だ。
 品種改良につぐ品種改良をくり返してきて、
 人の都合のいいように変えてこられた米や麦は、
 人とセットで生きていて、
 人なしでは育たないものばかりになった。
 実は、バナナだって、にんじんだって、そうだ。
 それを、そのことを不幸と感じるかどうかは、
 まったくそれぞれ、その人しだいなのだと思う。

 犬の祖先は、オオカミとジャッカルだと聞いたけれど、
 いまの時代に、オオカミのように、
 人のいないところで「自由に」生きられるとしても、
 それはそれで、別の大きな困難があるだろう。
 だから、オオカミは絶滅が危惧されているわけだし。
 「人とセット」の生きものたちに、人は責任があるよな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人は生きものたちにとっての父の役を、引き受けなきゃな。
2017-04-24-MON
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