2014/03/11 21:26「あれから知った東北のこと」

カロリーメイツのみなさまに
「じゃんがら」をお勧めした者です。

掲載ありがとうございました。
本当に買っていただいたんですね!

美味しいと思いますので楽しんでください。
いわきには
ほかにも関東では手に入りにくい
美味しいものがありますので
機会がありましたらまたご紹介します。

(匿名さん)

2014/03/11 20:40あれから知った東北のこと

こんにちは。

あれから3年、
私は今年、東北に行くことができます。

体調、生活が不安定で
現地に行くことなど到底出来ないと
思っていました。

何かあったらぱっと動くのが
私の信条なのに、
それが出来ないもどかしさがつらかった。

あれから
大金持ちになりましたってわけじゃないけど、
気持ちが違うのかな。

仕事を休んでも生活は大丈夫、
体調も大丈夫って気持ちです。

3年前の東北との思いと言えば、
まだ
ボランティアの方々の組織が出来上がる前に
あるお魚屋さんの方と電話で話しました。

後に「ふんばろう」の窓口になられた方です。

いま必要なのは「金たわし」で、
なぜなら電気もガスもないから
マキで火をおこしている。
ススでお鍋が真っ黒になってしまう‥‥。

壊滅的な被災地の映像を見て
ショックを受けていたけど、
もっと胸が締め付けられました。

マキで火をおこすなんて、
私には楽しいキャンプというイメージしか
ありませんでした。

生活のために
マキで火をおこしているがいる。
同じ日本にいる。

金たわしをたくさん買って送りました。

魚の三浦さん、
というお名前だったと思います。

ネットでお名前を見るようになったのは
その少し後だったと思います。

やっと行けます、と言いたいです。

私と東北との繋がりといえば
たったこれだけです。
たくさんのことをやられてきた方々の前で
恥ずかしい気持ちがあります。

でもやっと、私の出番がきたんだと思って、
これから
東北との関わりを持っていきたいと
思っています。

(お団子)

2014/03/11 20:33「あれから知った東北のこと」

岩手県大船渡市赤崎町大立地区に、
「明日へのラブレター」
という
復興のモニュメントがあります。

言いだしっぺは
津波で自宅が浸水した地元のかた。

北海道在住の彫刻家を中心に
ボランティアや地元の方々が
がれきなどを材料に使い
手作業で制作を進めています。

震災1年後の
2012年3月11日から制作がスタートし、
全面にモザイクタイルを貼って
来年夏に完成、の、よてい。
ゆったりと制作しているようです。

おもしろいのは、
このモニュメントを作りに、
または、見に、
地元の人から全国各地、はたまた世界から、
歳も畑もバラバラな人たちが
集まってくること。

地元の人たちとよそ者が、
またはよそ者同士が、勝手に繋がっていくんです。

僕もそんなよそ者のひとり。
制作を手伝わせてもらったことがあるんですが、
初対面の人たちと
モニュメントの上で繋がっていく感覚を味わい、
今では完成が待ち遠しいような、
完成してほしくないような気持ちです。

まわりを海と山に囲まれた
二重らせんの不思議な形のモニュメントは、
子どもたちが遊ぶ滑り台にもなっちゃいます。

なにもないところですが(失礼)、
岩手県沿岸南部にお越しの際は、
ぜひ寄ってみてください。

ここには、暗くて悲しいことだけじゃなく、
楽しいことや
ワクワクすることがたくさん溢れています。

(北海道 ちゃんねこ)

2014/03/11 20:32「あれから知った東北のこと」

2011年5月、
はじめて石巻にうかがいました。

仕事で車をよく使っており、
道中の休憩で
道の駅「上品の郷」に寄りました。

もともと道の駅は好きですが、
同僚によれば、
そのときの私は
本当に目を輝かせていたそうです。

ずんだ餅、仙台麩、
土地の土で焼いたマグカップ、
手作りのトートバック‥‥。

その後も何度かうかがい、
たしか「涌谷の朝市」でしたか、
こちらも随分と楽しみました。

アンカーコーヒーさんにも、
何度も寄りました。
仕事が終わった後のお楽しみでした。
コーヒー豆をいつも買って帰りました。

そうそう、
アンカーコーヒーさんと「ほぼ日」の
コラボレーションを知ったのを機に
数年間御無沙汰していた「ほぼ日」サイトを、
またのぞくようになりました。

それまで東北地方には縁もゆかりもなく、
地図とメディアでしか知らない場所でした。

東北新幹線をよく使うようになってからは、
新幹線の座席に置かれている
JRの雑誌
「トランヴェール」のファンになりました。

平泉などの名所案内、
りんごや東北の桜の話、
知らないことばかりで新鮮でした。

当時連載されていた
角田光代さんのエッセイも楽しみでした。

(りー)

2014/03/11 20:30「あれから知った東北のこと」

最初に東北へ行ったのは、
東北新幹線が開通して、
井上ひさしさんに影響されていたころ。

遠野と宮古浄土ヶ浜に泊まり、
吉里吉里で写真を撮った。

あのときの、宮古のウニ。
小鉢いっぱいのウニを食べきれないので
ご飯にかけて、ガツガツ食べた。

本当に美味しかった。

はやぶさが走るようになって、
仙台のニッカへ行った。

売店で売ってた牛タンジャーキーが
何と言ってもうまかった。

(匿名さん)

2014/03/11 20:00「あれから知った東北のこと」

今、はたらいている会社の工場が
福島駅の近くにあり、
田舎のない(東京生まれ)の私にとっては
15年近く通っている福島が
ある種、田舎のような場所です。

福島訛りの言葉が震災以降、
メディアを通して聞こえるようになってきて
私の耳に馴染み深い福島弁が
同居の両親には理解できないとわかって、
いかに自分にとって
福島弁は親戚みたいに近しい存在だったのかと
再認識しました。

震災も原発も、他人事とは思えません。
いまだに考えます。
福島工場の人たちとも話をします。
きっと、これからも。

というわけで、福島を通過するのであれば
「ままどおる」も美味しいけど、
三国一の「黒糖まんじゅう」オススメです。
(間に合うかな?)

皮の黒糖味も、
餡子の控えめな甘さもちょうど良い、
サイズも、カロリーメイツの方々なら
「ひとくち」サイズだと思います。

ぜひ!

あと、みそパン
(薄い味噌味の蒸しパンのようなもの)と
薄皮まんじゅう!

福島、美味しいものたくさんありますよー

(コバヤスキーより)

2014/03/11 19:30「あれから知った東北のこと」

沖縄からの投稿です。

沖縄で新鮮な牡蠣が食べられる機会というのは
そんなに多くありませんが、
大好きな牡蠣が出回るシーズンには、
少ないチャンスをものにするべく
奮闘しています!

みなさんは牡蠣王と呼ばれた人物、
宮城新昌
(みやぎしんしょう/1884〜1967年)さんを
ご存知ですか?
(私もつい最近知ったんですが‥‥)

水産業の世界では有名な人物なので
知っているという方も多いと思いますが、
牡蠣養殖で用いられている
「垂下式養殖」を考案したのが
この宮城新昌さんなんですね。

沖縄県大宜味村出身の宮城新昌さんは、
アメリカとカナダで牡蠣事業に携わりました。

帰国後、
牡蠣養殖に適した地を探し出すべく
様々な海で試験を繰り返し、
その結果、
宮城県石巻にて本格的な牡蠣養殖事業を
スタートさせたそうです。

地元である沖縄県大宜味村でも
養殖を試みたそうですが、
海水温度の問題などもあって
うまくいかなかったようです。

東北と沖縄は
1800キロ以上離れていますが、
宮城新昌さんが沖縄出身であるということと、
日本の牡蠣養殖において
大きな役割を果たした地が
宮城県石巻だと知ったときは、
東北との距離が
ぐっと縮まったように感じられました。

今日、おいしい牡蠣が食べられるのも、
日々奮闘している
生産者の方々のおかげです。

今年も、一粒一粒味わいながら、
口いっぱいに
牡蠣をほおばりたいものです。

ちなみに、
宮城新昌さんの長女は
お弁当の定番・たこさんウィンナーを
考案した尚道子さんで
次女が
料理研究家の岸朝子さんだということにも
驚かされました。

やはり、親の生き様は
子どもに大きな影響を与えているんだなと、
宮城一家の歴史に心が揺さぶられました。

2014/03/11 19:21「あれから知った東北のこと」

ちょうど震災のころ、
ほんの少しだけ仙台に住んでいました。

仙台のお店で食べた、ずんだもち。

お土産用のものとは
ぜんぜん違う味で、びっくりしました。
甘さ控えめでとっても美味しい!
これこそ
現地でしか食べられない味です!

ずんだもちの虜になった私は、
ガイドブックに載っている
ずんだ餅屋さんを、食べ歩きました。

どれも美味しかったのですが、
イチオシは
「甘味処彦いち」さんのずんだもち。
また食べに行きたいです。

話題になっている
「ままどおる」の写真も添付します。

(さかい)

2014/03/11 18:50「あれから知った東北のこと」

3年半前に結婚して
苗字が「千田」といいます。

生まれ育った千葉では
「せんだ」と読み間違えられますが、
「ちだ」と読みます。

夫の父は、宮城の登米出身です。
ロンドンオリンピックで、
フェンシング団体でメダルを獲得したのが
気仙沼出身の千田選手。

そして「ほぼ日」で紹介されていたのも、
気仙沼三菱自動車の千田社長。

宮城のそのあたりでは
けっこうポピュラーな苗字なのかな、と
思っていました。

先日、娘を連れて
児童館で遊んでいましたところ
(そこでは
 親子で名札をつけるのがルールなのですが)
はじめて会ったママさんに
「チダさん? 私もチダです!」
と話しかけられました。

聞くと彼女は岩手出身。
やっぱりセンダ、と間違えられるそうです。
岩手にも多い苗字だそうですね。

まったくの千葉県出身の私ですが、
ちょっとだけ
東北のみなさんの仲間入りができたような
気がしました。

(ちだ)

2014/03/11 18:41「あれから知った東北のこと」

3年前のあの日は、
愛犬と一緒に長めのパリ旅行中でした。
日本の友だちから
「地震大丈夫?」って電話があって、
ネットで大地震を知りました。

帰国を1週間のばして、パリに滞在しました。
ついネットで地震情報を見て、
暗い気持ちになってしまうので、
貸し自転車でパリの街を走り回ったり。

写真は、そんな日の中、
ある夜の晩ごはんの帰り道、
区役所みたいな建物にかかっていたもの。

アパートに帰って、意味を調べたら、
「日本を助けよう!」って意味でした。
とても励まされました。

(じゅんこ)