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ファイナルファンタジータクティクスアドバンス

 

ほぼにちは。今回の秘密基地は、
久しぶりの開発者インタビューです。
お話をうかがったのは、
GBAソフト「ファイナルファンタジータクティクス
アドバンス」
のプロデュースを担当した
スクウェアの松野泰己さん。
スクウェア初のGBAオリジナルタイトルです。
任天堂と組むということについてや
松野さんの仕事の方法、
初めて取り入れたシステムのこと、
このソフトに託された思い、など
いろいろ、お聞きしてきましたよ!
今回から3回にわたり、お届けいたします。


松野泰己(まつの・やすみ)
株式会社スクウェア業務執行役員開発担当、
及び第四開発事業部長。ゲームクリエイター。
「ファイナルファンタジータクティクス
アドバンス」のプロデュースを担当。
代表作に「伝説のオウガバトル」
「タクティクスオウガ」
「ファイナルファンタジータクティクス」
「ベイグラントストーリー」など。
ファイナルファンタジータクティクス
アドバンス




ゲームボーイアドバンスソフトの
シミュレーションRPGゲーム。
略称=FFT-A。

物語は少年マーシュがSt.イヴァリースという田舎町に
引っ越してきたところから始まる。
複雑な家庭の事情をもつ少年マーシュの周りには
気弱でおとなしい性格のため
いじめられっ子の男の子ミュート、
優等生だが勝ち気で敬遠されがちな女の子リッツが
集まるようになっていた。
そんな三人はある日、
FINAL FANTASYという一冊の古本を手にしたことで
St.イヴァリースの街を一変させてしまう。
それは、彼らが遊んでいたゲーム
"FINAL FANTASY"の世界そのものの
法と秩序が支配する剣と魔法の世界。
砂漠の国、人間ではないさまざまな種族、
白銀の騎士ジャッジ。
不思議な世界に紛れ込んでしまった三人は
それぞれの願望、葛藤、疑問を通して
三人の視点から、ひとつの物語を紡いでいく‥‥


※くわしくはオフィシャルサイトもごらんください。


■■去年の初夏に決まっていたこと。
ほぼ日 今回松野さんにお目にかかるにあたり、
ファイナルファンタジータクティクス
アドバンスの作品広報資料をいただいたんですが
それは昨年の初夏ごろに作られたもの
なんだそうですね。
松野 はい。
ほぼ日 これは、チームを統率する上での
何かお考えがあって、
最初にこういうことをきっちり作られて
いるんでしょうか。
松野 スクウェアもいろんなチームがあるので、
必ずしもスクウェア流ってわけでも
ないんですよ。でも自分のチームだと
タイトルとキャラクターとか
最初の導入部の使い方とか
そういうのは最初に決めますよね。

ほぼ日 制作期間のほんとに最初に
決めるんですか?
松野 そうですね。
企画書っていうのが基本的にまずありまして、
これがペラ(企画書の用紙)
2枚だったり10枚だったり
量は違いますけれど。
今回は3枚くらいのA4の紙がありました。
ゲームのベースになってる部分は
97年のファイナルファンタジー
タクティクスっていうゲームです。
その、言わば続編、なんだけど、
ゲームボーイアドバンスに合わせた
新作タイトルを作ろう、ということが
一番最初にありました。
あとは何を付け足して
何を省いてっていうところですが
このゲームの中心となるテーマが何で、
遊ばせたいところの骨組みは
こうなんだってことは大体書いたんですね。
それが最初の企画書です。
タイトルももちろん社内では
春くらいまでは「(仮)」で出てましたけど、
2(ツー)ではなくて、
かといって移植ではないので、
分かりやすくアドバンスっていう
タイトルを付けましょうってところは
わりと早めに確定しました。
ほぼ日 なるほど。
その企画書があって、
スタッフの意思統一ができるわけですね。
松野 ゲーム作りって、
人数が多くなればなるほど、
言葉では何となく理解できるんだけれども、
例えばインドって言った時の
インドのイメージって、
受け取る人によって多種多様ですよね。
でもこれが僕が言ってるインドなんだ、
っていうビジュアルを見せてあげるのが、
すごく重要なんですよね。
ほぼ日 ええ。
松野 スクウェアの場合ってわりといつも
大人数で作るので、
そういう意味で先にまず
ビジュアルをボンと作って
「あ、松野さんの言ってるインドって
 こういうインドなんですね。
 じゃあこういう物が合いますね」
と、意思を統一することが大事だと
思っているんです。

ほぼ日 そのスタッフというのは
97年のファイナルファンタジータクティクスを
作っていたメンバーとほとんど同じなんですか?
松野 あ、いえ。全然違います。
今回作っているメンバーというのは、
‥‥これちょっとディープな
話になっちゃうんですけども(笑)。
ほぼ日 いいですよ(笑)。
松野 僕がスクウェアに入る前に
クエストという会社がありました。
そこに、僕が抜けた後に入ったスタッフが、
「タクティクスオウガ外伝」っていう、
GBAのシミュレーションRPGを作りました。
その彼らがいろんな事情で
ゲーム事業をたたむことになって。
そこで縁あって
クエストからすべてのタイトルと
スタッフをスクウェアの方に移動したんですね。
その彼らと一緒に作りましょう、
というのが今回の
ファイナルファンタジータクティクス
アドバンス(FFT-A)というゲームだったんです。
ですけども、FFT-Aを作るために
彼らと一緒になったわけでは
決してないんですよ。
クエストとスクウェアの合併と
スクウェアと任天堂さんの雪どけが
たまたま同じタイミングで来たんです。
ほぼ日 ほお。
松野 もともと僕はGBAといいますか、
携帯ゲーム機には非常に興味があったので、
じゃあまあそれらをすべて
一緒にして一気にやっちゃいましょうと。
そういう意味でFFT-Aのスタッフは
すでにGBAで1本作ってましたんで、
ノウハウがありました。
ほぼ日 「技術」があったんですね。
松野 ありました。
ちょうど良かったんですね、
そういう意味では。
 
■■なぜ任天堂と組んだのか?
ほぼ日 任天堂さんと組むきっかけっていうのは
何だったんですか?
松野 確かにいろんな事情で任天堂さんと、
世間一般で言えば仲違いしてるような
感じがありましたけど、
開発側としてはハードメーカーさんと
特に何が、ここは嫌だからとか
そんなことがあったわけじゃ、
決してないんですよ。
僕らはやっぱり、どんなハードでも
ゲームソフトを作りたいと思ってますし。
先日宮本茂さんとも
ちょっとお話しさせていただいた時に
思ったんですけど、任天堂さんは
「いろんな遊びを提供する」会社ですよね。
ソフトっていう単体の意味ではなくて、
それをひっくるめた「遊びの文化」を
提供するっていう意味の
パイオニアだと思うんですよ。
ほぼ日 ええ。
松野 そういう意味では我々クリエイターにとっては、
任天堂さんというのは
ベースになっていると思うんです。
‥‥僕の子供の頃はこういうゲームって
なかったですよ。
ほぼ日 松野さんっておいくつですか?
松野 私は1965年生まれで、今年38になります。
ですから、小学校の時に
インベーダーゲームがあって、
これが不良が集まるところだったんですね。
ほぼ日 そうでしたね(笑)。
松野 僕が高校の時にゼビウスが出て来て、
やっと第一のゲームブームが来た。
「ドンキーコング」とかもあった。
そしてファミコンが出て来たのが83年でしたね。
そういうものを遊んで来たっていう意味で
一番最初に僕が触れてる電子ゲームは
任天堂さんのゲームなんですよ。
ですから、いろんな諸般の事情があって
任天堂さんとご一緒できなかったっていう
時期が何年間かありましたけども、
物づくりとしてはいつかもう一回
やりたかったっていう気持ちは強かったですね。
もちろん経営側の判断もありましたけど、
開発側の方から何とかそこを
もう一回ご一緒するように
経営側としても努力してくださいっていう
お願いはずっとしてました。
ほぼ日 なるほど、分かりました。
話はちょっと戻るんですが、
最初にスタッフたちに
「こういうゲームを作るんだぜ」っていう
一番の骨組みの部分は、
松野さんが一人で考えられるんですよね?
松野 そうですね。
ファイナルファンタジータクティクスという
前作のゲームはわりと人気がありまして、
「続編を作ってください」っていう
お願いをたくさんいただいてたんですね。
ただ、ぼくはまんま続編を作るって
いうことはあんまりしたくない人間でした。
ずっとそれを拒んでいた部分もあったんですよ。
やるんだったらやっぱり携帯ゲーム機で
やりたいと思っていたんです。

ほぼ日 ええ。
松野 ベースになった僕の企画書っていうのは、
前作が出来た後すぐに書いているんです。
97年くらいですかね、
「いつかはこういうゲームを作りたい」
っていうのが、ずっと僕の中であった。
それをつくるチャンスが来たのが、
今回なんですよ。
しまっていた続編用の企画書を
引っ張り出して来たんですが、
5年も前の企画書でしたから、
当然アレンジをし直して、
GBAだったらこうしたいっていうのを
もう一回付け足して一気に書き上げて、
それをスタッフに
「こういうのでどう?」
っていう感じでお願いしました。
それはスケルトン(骨組みだけ)なんで、
細かいところ(肉付け)は
勝手にやっていいよって感じで
お願いしました。

松野さん、ちょっとききにくいことまで
お答えいただいて、ありがとうございました。
次回はさらにディープな部分へと進んでいきます。
来週更新予定。お楽しみに!
2003-03-20-THU