(7) 「全然おもしろい」
糸井
言葉の歴史について聞いていると、
その時代ごとにフィットする
説明があったりするんですね。
飯間
時代によって、これが正解だと思われていた言葉も、
あとで研究してみると、じつは根拠がなかった、
ということは、いくらでもありまして。
糸井
どんなことでしょう。
飯間
例えば、「全然おもしろいです」という言い方。
「それは俗な用法ですよ」と、学校でも言われてきた。
「全然」の下は否定がくる、ということなんですね。
「『全然おもしろくない』ならいいですけども、
『全然おもしろい』っていう言い方はないですよ」と。
ところが、研究者が調査してみたら、戦前から
「全然おもしろい」に類する用例があるわけですね。
夏目漱石の『坊っちゃん』を読んでみたら、
数学教師の主人公が生徒にいたずらをされて、
職員会議の場で「一体生徒が、全然悪いです」
ということを言っているんですよね。
「全面的に」という意味で「全然」というのは
昔から使われているので、
「もう全然頭に来ちゃったわ」も伝統的用法なんです。
糸井
どっちも伝統だったと。
飯間
「全然わからない」も伝統的だし、
「全然頭に来た」も、じつは伝統的なんです。
ところが、「全然わからない」という
否定用法がだんだん広まってきた。
その結果、「全然頭に来た」という用法が廃れて
昔は普通に使われていたことも忘れられまして、
「『全然頭に来た』は俗な用法だよね」
ということになっちゃったわけなんです。
糸井
そうだったんですねえ。
飯間
今は少なくとも大学の日本語の授業では、
「『全然おもしろい』という言い方は間違いです」
という先生はいないはずです。
糸井
「はず」ですね。
飯間
もしいたら、モグリですから(笑)。
一同
(笑)。
糸井
でも、巷には無数にいますよね。
飯間
研究者が調べて、学界では通説になっていますけど、
学界の通説って、なかなか世の中に浸透しませんから。
例えば、作文の宿題なんかで、子どもが、
「運動会で転んだけど全然平気でした」と書くと、
「『全然平気だ』はダメ」と大人が言う。
糸井
ダメっていうほうが利口そうに見えるんですね。
飯間
「これは間違いだよ」と言ったほうが優位に立てますね。
ここで「間違いという根拠はないよ」と
もう一方の人が言えればいいんですけど、
学者ではありませんから言えないんですね。
調べてみたら、「この言い方は誤りです」ということの
多くはね、じつは根拠がないんです。
糸井
流行しただけなんですか。
飯間
「それは誤りですよ」と指摘する、
その説が流行しただけなんです。
糸井
それで思い出したのが、「すべからく」の話ですね。
「すべからく」は「べし」に必ずつながるから、
「べし」以外で「すべからく」を使ってはいけないと
呉智英さんがエッセイで書いたら、
みんなが指摘するようになった。
飯間
「すべからく警察」みたいなものですね。
一同
(笑)。
糸井
そうです。
飯間
「すべからく」を「すべて」の意味で使う人はいます。
「すべ」の部分が一緒なので混同してしまう。
これは、できれば混同しないほうがいいんです。
一方、「こうすべきだよ」という意味で
「すべからく」を使うのは、べつに間違ってませんね。
何も「すべからく~べし」の形でなくてもいい。
「すべからく◯◯しよう」とか、
「すべからく好き嫌いはやめようね」とか言っても、
私はいいんじゃないかなと思いますね。
糸井
さっきの「すべからく警察」のように、
一本刀であらゆる場所に切り込む人が世の中にはいます。
つまり、どう言ったらいいかな、
この一つを見つけることだけで勝った負けたを考えている。
言葉尻を捉えることで、
勝っただの負けただの、騒ぎすぎじゃないかな。
飯間
まったく同感ですね。
他の人の言葉を批判するのに使う労力を、
自分の言葉を磨くことに振り向ければいいんです。
「すべからく」を「すべて」の意味で使うのも、
自分が使わなければいいだけの話です。
私自身は「ご飯をすべからく食べて、完食しました」
とは言わないんですけど。
でも、誰かが「ご飯をすべからく食べました」と
言ったとしても、それで意味はわかる。
「『すべて』ということだな」とわかりますよね。
じゃあ意味通じているじゃん、ということですよ。
糸井
うん、うん。
僕も、なんとかしたくて
しょうがない言葉が一つあります。
「こんにちは」の「は」を、
本当は「わ」で書きたいと思いながら、
我慢しているんですよね。
飯間
みんな、「は」で書きますからね。
糸井
そうですね。
でも、「は」で書いちゃうと
続きの言葉があるように見えるので、
できることならば「こんにちわ。」と、
丸を打っちゃいたいぐらい。
飯間
大変よくわかる考え方です。
糸井
「こんにちは」と書くときに
「は」であるのが正しいことになっているんだけど、
できたら「わ」を使いたいなあと思って、
たまに紛れ込ませているんです。
飯間
ああ、そうでしたか(笑)。
今の、現代仮名遣いという、
内閣で定めたルールを見てみましょう。
「こんにちは」を「わ」で書くなよとは
言っていないはずですが‥‥。
糸井
ほんとですか。
飯間
(現代仮名遣いを読みながら)
まず、規則として助詞の「は」は、「は」と書くと。
「あるいは」「または」「もしくは」
「惜しむらくは」「これはこれは」
「こんにちは」「こんばんは」、
すべて「は」で書く、となってますね。
糸井
はい。
飯間
あれっ、「こんにちわ」は許容されてない。
アウトですね。
糸井
アウト!(笑)。
飯間
ああそうだ、記憶違いでした。
「現代仮名遣い」というのは1回改定されてまして、
1986年から今のものになっているんです。
それ以前は、助詞の「は」は、
「『は』と書くことを本則とする」
とされていました。本則ということは、
「それわ」「こんにちわ」も間違いではない、
という姿勢だったんです。
糸井
僕も「これはいいはずだった」というような
記憶がちょっとあったので、
「好きなのはこっちだ」で選んでいたつもりでした。
飯間
今の「こんにちは」で言いますとね、
私が「わ」で書いてもいいかと思うのは、
「こんにちは」の上を略して、
「ちわー」という場合。
糸井
それは、「は」じゃダメだ。
飯間
ええ、これはですね、
「ちはー、三河屋です」と書くと、これは何だと。
これじゃあ読めませんからね。
「ちわー」は、絶対に「わ」ですよ。
糸井
最高ですね、これ。
飯間
そうであれば、「こんにちわ」も意外とアリですよね。
糸井
「こんばんは」をひっくり返した「わんばんこ」も、
「はんばんこ」ではないですね。
飯間
どうしたって「わ」で書かなきゃいけませんからね。
まあ、自分が本当に書きたければ、
その自由意志で書いていいと思いますしね。
糸井
自由意志で宣言すればいいんだ。
弊社は少なくとも、「ほぼにちわ」の「わ」を、
とやかく言われる筋合いはない、と。
だって、「ほぼにちわ」って言葉はないんだからね。
飯間
それはまさに、
「ちわー、三河屋です」と同じですよ。
糸井
ほんとですね。
飯間
「こんにちは」は、確かに現代仮名遣い。
内閣が出した文書にあるかもしれないけれど、
「ちわー、三河屋です」について、
何もルールはないし、「ほぼにちわ」もない。
一同
(笑)。
(つづきます)
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2017-01-19-THU