もくじ

第1回 ひとつのモチーフは、死。

──
前々作の『奇跡』にしても、
前作の『そして父になる』にしても、
監督の作品には、やはり
「家族」というモチーフを感じます。

そこで、もしそういうものがあるなら、
監督の「家族観」を教えてください。
是枝
ないですね、特別なものは。とくに。
──
ない‥‥ですか。
是枝
うん。
──
一般的、といったら
どんな家族観が一般的かとなりそうですが、
でもまあ、一般的な?
是枝
うん、特別な考えはないです。ふつう。

ただ、家族の姿を撮るときには
「やっかいだけど、かけがえがない」
ということを念頭に置いてはいます。
写真
──
かけがえのなさ‥‥というのは
わかりやすいですが、それだけじゃなくて。
是枝
うん、「やっかいさ」って、あるんですよ。
血がつながっているからこそ
むずかしいことって、たくさんあるでしょ。

その両面を描きたいなと思っています。
──
たしかに、これまでの監督の作品に出てきた
「家族」のなかには
いろいろ「やっかい」な感じが、ありました。

『奇跡』のときの夫婦関係とか。
是枝
でも、本当に、そのくらいです。
特別に何かを提唱したいわけじゃないんで。

それに、実際に家族を持ってみると、
思いのほか、
自分が保守的だったこともわかってくるし。
写真
──
保守的というのは、是枝監督が、ですか?
具体的には、どのような?
是枝
たとえば、
子どもの学校の運動会に行ったときなんか、
必要以上に
父親らしく振る舞おうとしたり(笑)。
──
それは、「ちゃんとした格好をしなきゃな」
みたいなことですか(笑)。
是枝
そう、まわりの人たちから
「きちんとした父親」に見られたい自分が
こんなところにいたんだ、というね。

破天荒になんて、なりきれないんですよ、
人って、なかなか。
内田裕也さんでもないかぎり(笑)。
──
はい(笑)。
是枝
なんだかんだ言って
自分も世間の枠組から外れられないのかあ、
と思うと、逆におもしろいなあと。
──
発見ですもんね。自分自身に対する。
是枝
幼稚園に子どもを送って行ったときとかに、
「何々ちゃんのパパ!」って‥‥。
──
言われますよね。
是枝
娘の友だちとか、その友だちのお母さんに
「何々ちゃんのパパ!」って呼ばれて、
「なんだ、その呼び名は」と思ったんです。
──
ええ(笑)。
是枝
でもそれが新鮮で、意外とうれしかった(笑)。

幼稚園の卒園ビデオ係になったことも
うれしかったし、
その「うれしがっている自分」に対して、
「そこ、うれしがるのかあ」と。
写真
──
気づかれたわけですね。
是枝
いろいろ、おもしろい発見がありました。

で、そういう、人ってけっこう
いろんな場面で保守的なんだってことを
きちんと認識したうえで
人を描いていけたらいいなと思うわけで。
──
発見は、作品に返ってくるんですね。
是枝
家族を持つまでは、
作品を通して世界とつながってるという
実感なり覚悟なりを
持っていたつもりだったんだけど、
家庭を持って、子どもができて、
自分も「ひとりの父親」になってみたら
若いころは
顧みもしなかった「自分の保守性」に
否応なく向き合う。
──
ええ。
是枝
だから、やっぱり、家族を描くうえでは、
そういう実体験のおかげで
机上の空論みたいな家族にならずに済んでる、
そういう部分は、あるのかもしれない。
──
たとえば『奇跡』に出てくるお父さんって
オダギリジョーさん演じる
「売れないロックミュージシャン」で、
つまり、一般的な家庭じゃありませんよね。
是枝
ええ。
──
それに、「父親」というには、
見た目とかも、すごくかっこいいですし。
是枝
うん。
──
ようするに
自分の父親とはぜんぜんちがうんだけど
それでも
「机上の空論家族」に見えないどころか、
「身近に、ありえる話」に感じるのは
さっきの
「やっかいだけど、かけがえがない」とか、
人間の「保守性」とか、
監督が「両面」とか「まるごと」を
描いているからなのかなあと思いました。
是枝
うーん、どうなんですかね。

少なくとも、特殊な状況も
特殊なものとしては描かないってことは、
あるかもしれないけど。
──
ああ、なるほど。

『奇跡』も『そして父になる』も
ともにかなりの「特殊な状況」ですけど
突飛な話に感じないのは
特殊なものとして、描いていないから。
是枝
今回の『海街diary』だって
起きてること自体は、すさまじいじゃない。
──
そうですよね。
是枝
だって、不倫して家を出て行った父親の、
腹ちがいの妹を引き取るって
自分の人生にそんなことが起こったらさ、
かなりの大事件だと思うんですよ。
写真
──
ええ。
是枝
で、そういう特殊な状況を
劇的に描かなかった理由は当然あって、
それは、
この物語のなかで起こるできごとって
「分量」としては、
それぞれ「日記の1ページ」なんです。

腹ちがいの妹と暮らすのも1ページ、
みんなで梅酒をつけるのも1ページ、
桜並木を自転車で走るのも1ページ。
──
わ、たしかに!
是枝
親しい人が死ぬのも、同じ1ページ。

そこに多少の「濃淡」はあるにせよ、
「等価」なんだよね。
人と出会うことも、人と別れることも、
サッカーの試合を観ていることも。
──
まさしく「ダイアリー」なんですね。
是枝
「生」も「死」も「出会い」も「別れ」も
すべてが等価なものとして
やってきては過ぎ去っていく物語なんです。

そんなふうに思うと、
じつは、映像化しにくい作品だったのかも
しれないんだけど
でも、吉田秋生さんの描いた
『海街diary』という物語の最大の魅力って
そんなところにあると思ってます。
──
たしかに、日記のページが
一定のスピードでめくられていくような、
そんな感じの作品だったなって
今のお話をお聞きして、思いました。

あらゆる出来事は等価なんだって考えは
どこか哲学めいてますけど、
監督のなかに、前からあった感覚ですか?
是枝
どうかな。

今はあるけど、昔からはないよ。
歳をとってからだと思う。
──
そうですか。
是枝
いや‥‥というよりも、やっぱり、
もともと、あの原作が持ってたものだよ。

もともと原作が持っていたものに
ぼく自身が、
近付いていったということかもしれない。
写真
──
なるほど。
是枝
自分は、もっとジタバタすると思うから。

でも
「生」も「死」も「出会い」も「別れ」も
すべて等価なんだっていう
どこか澄んだ感覚も、わかりはじめてる。
──
あ、本当ですか。
是枝
生きていくことって、
そういうことだったのかもしれないって、
最近、思うようになってきてますね。

<つづきます>
2015-07-27-Mon