一生を、木と過ごす。
宮大工・小川三夫さんの「人論・仕事論」。
「これでも教育の話」より。

宮大工の小川三夫さんとの対談を、ぜんぶ掲載します。
ぼくが今年、法隆寺が観たくなってどうしょうもなくて、
突然早起きして行ってきたのは、
この時、小川さんの話を聞いたせいです。
飛鳥の時代の人が、どう考えどう動いていたのか、
小川さんは、建築物を見てリアルに想像できる人です。
たぶん、今日いま現在も、小川さんは棟梁として、
どこかで、木と話したり人を育てたりしているはずです。

第1回 休みは、仕事の中にある

第2回 ちょっと、緊張して寝てくれ

第3回 入りこめることが才能

第4回 酔って法隆寺を見たら……

第5回 「千年持つ」と思った人はいない

第6回 イヤイヤだと、できあがらない

第7回 精一杯やったことはわかる

第8回 人間の痕跡が残ってますわな

第9回 捨て育ち

第10回 教えないから、上がってくる

第11回 個室は悪い



木のいのち木のこころ 地
小川三夫
新潮OH!文庫
文庫: 215 p
出版社: 新潮社
ISBN: 4102900934

小川 一緒に住んでますと、
手が足りない時には、ほんまに仕事するのも、
夜、寝ずにしてますもん。そういう癖がつく。
そうなってくると、休みたいとか
そういう気は、誰もがなくなりますね。
糸井 もともと個人の持っている資質とは
関係ないと考えていいんですか?
小川 ないでしょうなあ。
仕事のおもしろみがわかったら、
もうそのまんまほっといても、
どんどん自分でやっていく感じですね。
「これをこうしなさい」とか言ったことないですよ。

自分の師匠も自分にかんなくず1枚だけでした、
手本を示してくれたのは。
「かんなくずはこういうもんだ」
と、ポッと見せてくれただけです。
あと何にも教えてくれない。ヘヘヘヘヘヘ。
糸井 そうですか。
そのかんなくずは、うれしいでしょうね。
小川 ああ、すごかった。
うれしいというよりも、
こういうかんなくずが出なくちゃなんないんだなと、
毎日毎日、夜に帰ると研いでは削り、
研いでは削りして練習するわけですよ。
だから、何にも言う必要ない。
かんなくずだけ見本に置いとけばいいわけです。
学校だったらば、こういうかんなくず出すのには、
かんなの台はどうのこうの、研ぎはどうのこうのいう。
そういうことはいわないんですよ。
そういう目指すものだけあればいいんです。
それに近づこうとするわけだから。
糸井 もらったかんなくずは、
小川さんは自分の寝る場所に
いつも置いとくわけですか?
小川 いや、仕事場のガラスに
張ってあっただけですけど。
窓にペタッと張って……。
糸井 国旗より大事ですね、そのかんなくず。
今、小川さんたちが一緒に暮らすというのは、
寮みたいな形になっているんですか。
小川 そうですね。
糸井 個室なんですか。
小川 大体大部屋ですね。ドアはないですね。
糸井 そこも大事そうですね、何か。
小川 そうですね。
来て1カ月ぐらいでやめる子は、
やっぱしそれに耐えられないんですね。
寝ても起きても隣で同じ顔があるというのに。

しかし、大部屋をやることによって
みんなと仲よくしなくちゃならないとか、
いろんなことを考えてくるわけですよ。
そうでしょ?

ですから、忍耐とか何かが
自然に養われてくるわけです。
自由な時間がない。そういう生活をしていると、
自分というのは優しくなければ、長い時間、
みんなと一緒にともに過ごすことができないぞ、
ということに気がつくわけです。

ですから、うちの子はみんな優しいですよ。
例えば物を持つのでも、力のあるような子は
重い方をスッと持ちますよ、2人で持つのでも。

で、料理でも、みんなの好む味になってきます。
それが大切なんですよね。
個室で育った子が来るわけだけど、
それで思うのは……個室が一番悪いですよね。
個室があれば、自分でそこへ入り込んで、
自分なりの考えをするでしょ。
それが一番「邪魔」ですよ。
だから、昔なんかは、そういう個室で
育ってない人たちは、やっぱし
それだけでも、修行するのが楽でしょうなぁ。

自分も、西岡師匠のところにいまして、
生活をしていたら、
仕事場から帰ってきて御飯を食うのも
何もかもが一緒ですから、
ずうっと寝るまで一緒ですよね。
寝ても緊張して寝てるようなもん。

ほんとに自分の自由になる時間は一切ないですよ。
そして、そこまで自由の時間が一つもない、
というものに追い込まれると、
自分の癖というものがよくわかりますよ。
自分の癖がわからないで、違うことをやってたら、
師匠に怒られたり何かするわけです。
「あ、これは自分の癖が悪いんだな」
とか、そういうふうに自然にわかってきます。

だから、自由な時間というものが
なくなるぐらいまでの生活をすると、
いろんなことを感じ取ることができますよね。
そこまで感じられないというのは、
自由な時間があるからでしょうね。

みんなと生活をするということは、
「自分の自由な時間」というのはないです。
少ないですよ。
しかし、それをみんなと一緒に生活していると、
「みんなと一緒にいる自由」
というのがわかるわけです。
糸井 へぇ、なるほど。
小川 自分の時間の、わがままな自由じゃなくて、
みんなと一緒に生活しないとやっていけない。
ということに、はじめて気づくわけです。

そうすると、例えば一つの建築をやるのにも、
穴を掘ってくれる人、屋根をふいてくれる人、
材木を運んできてくれる人、みんな、
この人らがいなかったらば仕事ができない、
ということに気づくわけです。

ですから、家族の自由というのはないですよね。
うちにも職人が常に
五、六人寝てますからね、奈良の方は。
子どもなんかはほんまに、勉強してると職人から、
「なんだ、勉強してるのか。
 勉強なんかやめてこーい!」
といわれて……勉強なんかないですよ、
そういう生活には。
糸井 日本国の法律と、ぜんぜん、
違うところで生きてますね(笑)。
小川 そんなことはないけど、しかし、
その中で楽しむ自由はあるんですな。
10人ならその10人が集まった中の自由で
やっていけるわけですよね。
糸井 テレビとかは、あるんですか?
小川 ありますよ。
昔、自分が西岡へ弟子入りした時は、
「これから1年間、テレビ、ラジオ、新聞、
 そういうものに一切目をくれてはいけない」
と言われましたが、
もう今は、自分は自由にさせてますけど。
しかし、みんな一緒の大部屋で寝る、
ということは一緒ですよね。
糸井 今どきの若い人たちであっても、
外からの刺激で揺れ動かないんですか。
小川 うん。
自分たちが修行したときと今の子は違うから、
自分たちと同じようにおさえつけても聞かない。
遊んではいけないと言ったらば、
「遊びというのはどういうものだろう?」
と、あこがれで遊ぶようになりますよ。

それじゃ、ダメですよね。だったら、
「遊ぶなら遊びなさい」と自由を与えてやると、
「遊びよりもやっぱし仕事の方が楽しい」
というふうになってくるんです。

放っておけば、ちょっとした先輩が
手本を示して、それを見習っていくという。
やっぱし師匠もいい師匠につけばいいし、
弟子もやっぱし一番先の弟子に左右されますよ。
まわりでいいのがいると、影響されるわな。
糸井 なるほどねぇ。

(おわり)

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2002-10-09-WED

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