一生を、木と過ごす。
宮大工・小川三夫さんの「人論・仕事論」。
「これでも教育の話」より。

第5回 「千年持つ」と思った人はいない



木のいのち木のこころ 地
小川三夫
新潮OH!文庫
文庫: 215 p
出版社: 新潮社
ISBN: 4102900934

小川 この仕事をやりはじめる前は、
「法隆寺みたいな建物を作りたい」
という憧れだけだったけど、
実際に仕事をしてきて今になると、やっぱし
1,300年前の人の気持ちがわかりますよね。
糸井 法隆寺のようなすばらしい建物は、
1,000年以上前の人にとっては、作る時に
「できるはずだ」と確信を持てたんですか?
何か根拠みたいなのを、持っていたのかなぁ。
小川 いや、その話については、自分は、
こういうことがいえると思うんです。

たとえば、法隆寺よりもあとの奈良時代だとしても、
奈良の都は60年でつくり上げるんです。
それを作るために熟練した工人というのは、
それほどたくさんは、いないですよね。
都をつくれるほどの工人はいないはずです。
何人かはそういう熟練して
知っている人がいたかもしれないですけども……。

しかし、奈良の都、
ものすごい数の寺院があったわけですよ。
それをつくり上げたんですよ。
そうなると、思うのは、やっぱし、
「つくり上げる精神」があったということです。

東大寺の大仏殿は、当時のほうが、
今よりも大きいものなんですから。
世界でどこも、あれだけ大きいものを
つくったことないんですよ。
しかし、日本人はつくり上げた。
実際に、つくり上げたわけですよ。

重力の計算したわけでも何でもないし、
それだけの大きな材料がそろうかと言えば、
揃わないかもわからない。
それでもやっぱりつくり上げたんですよね。

技術とか技能というのを
もしそこで知っている人がいたとして、
それにとらわれていたら、
それ以上のものはつくれない。
しかし、それにとらわれない、もっと
強い精神があったからつくり上げたんでしょう。

ですから、世の中には、
学ぶとかいろんなことがありまして、
学ぶことは確かにいいんですよ。
しかし、そこでとまったらだめですよね、みんな。
そうでしょ?
学ぶということ以上のものがなかったら、
あれだけのものはできないですよ。
しかし、実際につくり上げたんです。
糸井 実際にあるんですもんね。
小川 うん。
それは、誰もそれまで
つくったことのないものですよ。

1回つくったことある人がいたかというと、
そうじゃないんですよね。
ですから、その精神力というか、
つくろうと思う信念です。
それはやっぱり、すごいものがある。

自分たちの今持っている技術や技能や、
そういうこと以上のものを出すというか、
そういうものにとらわれないことですよね。
とらわれないでいるだとか、
今持っている技術以上の何かがなかったら、
できないですよね。

ですから、今の時代の
自分らだって、その精神だけを追いかけたら、
すごくいろんなことが感じられるんじゃないですか。
糸井 そうですよね。
小川 奈良の都は、60年間で
あれだけのものをつくったということが、すごい。
今の人は全然そういうことをできないですよ。
いろいろな事実に、とらわれ過ぎてるから。

それから、たとえば、こんなことも思うんです。
「法隆寺は1,300年もっているから、
 自分たちのつくったものだって、
 1,300年以上もたせなくちゃならない」
ということを言う人もいますが、それは違いますな。
法隆寺なんて、偶然で今まで持ってきているんです。
1,300年前の人たちは、それだけ持たせるために
作ったわけではないでしょう。
糸井 人間にとっては、
自分の命がものさしですもんね。
小川 そうでしょうな。
糸井 だから、
「死ぬまでに壊れてない」
ということはわかったでしょうけれども。
小川 その時点で「終わり」でいいんですよ、それは。
そこらまではもつだろうと思ってただろうけども……。
糸井 なるほど!
「1,300年もつだけの知恵を彼らは持ってたんですね」
という説明じゃ、実際とは違うわけですか。
小川 そうじゃないんですよね。
糸井 「もっちゃった」んですよね、それ。
小川 もっちゃったんですよ、それは。
ですから、建物でも、一生懸命みんなつくる。
技術というのも大切ですけど、
山から木を切り出して現場まで運んでくれば、
建物はできたも同然ですからね。
糸井 そっちの方が大事なんだ……。
小川 それの方が大変ですよ。それが大変。
ですから、木を倒して現場まで運んでくる。
そのときの動かす知恵があれば、
建物を建てるぐらいは、できますよ。
糸井 はぁー。
ものすごい分量のモノが、
かなり遠いところから運ばれていった。
小川 そうですよね。
糸井 「その木はどこにあるか?」
ということから始まるわけですね。
小川 そうですね。
しかし、昔はそれほど遠くからはないでしょ。
飛鳥時代あたりは、恐らく法隆寺の後ろの
山にあった木だと思いますよね。
糸井 だんだん後年になっていくと、
遠くからも運ばなければならなくなるという……。
小川 そうですね。
糸井 じゃ、江戸なんかはもっと大変だったんですね。
小川 ええ。そうですね。
だから、大きな建築は、なかなかできない。

建築でも、室町時代に
工具が発達してくるんですけれども、
つまり、江戸の建物というのは、
雄大な、大きい材料を使った建物でなくて、
手先の込んだ、装飾の美に走っていくんですね。

法隆寺みたいな構造の美から
装飾の美へと変わっていっちゃうわけです。
日光東照宮のようになっていっちゃう。
糸井 「大づかみ」でなくなるんですね。
小川 そうですね。
糸井 じゃ、法隆寺みたいな建物、
僕らが修学旅行的な目で見ると、
細かく繊細に思えちゃったりするんだけど、
もっと荒々しい、まるで
力仕事の山みたいなものなんですね。
小川 そうですね。
それと、あれだけのものを
組み上げるというその「工夫」ですね。
糸井 なるほど。
先人が知っていた技術が
もちろん伝承されるのかもしれないけれども、
その都度、新しい建物のたびに
新しい工夫がないとできていかない……
小川 うん、いかないですよね。

(つづく)

2002-09-25-WED

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