デヴィッド・ルヴォー対談 だから演劇はやめられない。 ──昔の日々と、今の日々。──  ゲスト 宮沢りえ[役者と演出家編]/木内宏昌[演出家と劇作家編]
 
[演出家と劇作家編]その3 ピンターは、おそるべき子ども。
木内 ルヴォーさんは、今回、ハロルド・ピンターの
作品を演出なさるわけですが、
たぶん、多くの日本人は、
演劇ファンでなければ多くの日本人は、
たぶんピンターを知らないと思うんです。
でも、もし「ほぼ日」のこの記事で、
演劇というものを初めて観ようと思う人がいたら、
観初めがハロルド・ピンターになる。
ルヴォー 観初めにピンター、ウォーッ!
木内 「演劇を観たことがない人」も結構いるんです。
目の前で生身の人間が演じているのが、
身につまされすぎるとか、
なんだか照れくさいと思う人もいて。
ルヴォー オモシロイネ。でも、それはわかる。完全にわかる。
映像など、もっと1対1のプライベートな関係のほうが、
居心地がいいんでしょう。
コンピューターとかバーチャルリアリティ的な
もののほうが、居心地がしっくり来るんでしょう。
すごくそれはわかりますよ。
木内 ルヴォーさんから、ピンターさんのことを
教えていただけますか。
ルヴォー ピンターはわかりやすい作家ではないです。
そのままでわかる作家ではない。
でも、こういうことを
他に言う人はいないかもしれないけれども、
ハロルド本人を生前よく知っていた者として、
すごくずば抜けた子どもが、子どものように世界を見、
劇作をした人じゃないかと思う。
木内 そうなんですか!
むしろ逆だと思っていました。
ルヴォー もちろん、その結果できる作品は、
ずば抜けた作品なんですよ。
そうなんだけど、洗練された化粧を施すような
表現者では、絶対になかった。
想像してみてください。
子どもがね、言葉の足りないことを言ってくるんだけど、
たった3言(みこと)でも、
それが大人にとって、ハッとすることだったりする。
子どもは、話題がポーンと飛んじゃうことに
なんのストレスも心配もない、平気で飛ぶ。
「なぜ?」の説明なんて要らないって、
子どもだから思ってるし。
「今怒ってます、そして、今は愛してます」みたいに、
瞬時に行けるでしょう?
たとえ一瞬にして怒りから愛に変わっても、
別に一貫性がないわけじゃないでしょう?
子どもにとっては、非常に理にかなってるわけです。
観念じゃない。
頭で考えてこねくり回していない。
で、聞いてる大人のほうが
ロジックを追っていかなきゃいけない。
ハロルドは、その子どもの法則を
大人の世界に当てはめた人なんです。
だから、子どものような目や子どものような考えで
世界と向き合ったことがある人だったら、
絶対ピンターを完全に理解できるはず。
木内 ああ、ピンターを理解しようとするときは、
もっと大人になろうとしてしまいますね‥‥。
逆のことを考えていました。
ルヴォー それもわかる。だから、むずかしい。
死ぬまで彼は、言葉であったりとか
物事と触れ合った時の反応みたいなものを、
子どものままでずっと行けた人だったんです。
だから、ぼくたちにとってもむずかしい。
ピンターという作家の作品に対して
今はすごくいろんな思いがあるけれども、
ちょっと驚きなのが、
学生当時はまったくこんなふうに
思っていなかったってことです。

▲『昔の日々』演出中のルヴォーさん (撮影:星野洋介)
木内 ピンターを理解して演出するには、
やっぱり年月がかかるんですね。
ルヴォー 15歳の時でしたよ、すごく優秀な先生から
「じゃあ、次はピンターをやります」
って言われて、読まされて、
「行と行の間が普通の本より広いなぁ」と思って。
木内 ピンターの作品って、日本でうかつに上演すると、
研究者や演劇に詳しい人から
「それはピンターじゃない」って
言われてしまいそうな作品なんですが。
ルヴォー (笑)「それはシェークスピアじゃない」
って言うのと同じ連中でしょ?
そういう人たちにはね、1個のルールしかないんです。
それは、「俺が退屈しないってことは、ピンターじゃない。
俺が退屈しているということは、本物のピンターである」。
「俺、なんか楽しめてるじゃん!
 てことは、これはピンターのはずがない」。
同じですよ、
「俺が退屈してるっていうことは、
 これは本物のシェークスピアである」と。
そういう人たちは無視するしかないんですよ。
木内 ううむ(笑)。
ルヴォー 若い世代で初めて演劇を観るというお客さんに
言いたいことがあって。
演劇の良さっていうのは、
あなたと同じくらい変な人生を歩んでる人たちと
出会えること、
「あ、なんだ、自分だけじゃないんだ」
って思えることだよ、と。
「俺1人じゃないんだ」って思えるよ。
そういうことなんです。
木内 「それが私」みたいなことが!
ルヴォー そう、「それが私」。
人生というのは不思議なものだというのは
みんな知っていると思うんですけど、
そんな人生の中で、ピンターは、
とても純粋な演劇体験ができる作家だと思います。
彼と出会って、密接に一緒に仕事をするようになってから、
「自分は彼から、遠くないんだな」と思って、
ちょっとそれが驚きだったんですよ。
彼の劇作が、ぼくが自分の母国語である英語を覚えた手順と
同じ順番で書かれていることに気が付いて、
「あ、そういうことなのか」と思ったんですね。
木内 えっ、どういうことですか?
ルヴォー ぼくは言葉の遅い子どもで、
5歳になるまで喋れなかったんです。
7歳か8歳近くなるまで、字も読めなかった。
木内 えぇっ?
ルヴォー 周りの大人からも子どもからも、
デヴィッドはいい子だけど、
頭は悪いと思われていた。
自分でもそう思ってました。
木内 他の子と違うなあと?
ルヴォー それを不幸せだとは思わなかったけど、
ぼくは頭がいいほうじゃないんだなって思ってました。
クラスの一番下で、こんなもんか、これでいいやって。
小学校に上がって、木曜の午後に読書の時間があって、
ひたすら与えられた本を読むんです。
ほかの子はもうみんな文字が読めるから
『ジャック&ジル』という、挿絵もあるけど、
字がたくさん書かれた本を与えられていました。
ぼくは遅れていたから、みんなが読んでる間、
色の付いたブロックみたいなものを与えられて、
木槌を渡されて、釘をトントン打っていた。
みんなが読んでる間に、飽きないようにとね。
でもね、ラッキーだったのは、
キャサリンっていう女の子の友達がいたんです。
本を読むのが上手で、同じ机に隣同士座ってた。
そんなぼくに、キャサリンが音読してくれた。
かわいい子だった。6歳くらいですよ。
6歳の割には非常に濃厚な関係でした。
木内 素敵ですね(笑)!
ルヴォー キャサリンが本を読んでくれてる間に
ぼくはブロックをトントン叩いていたでしょう?
だから、その言葉とブロックの音が、
自分の中で結びついたんです。

(つづきます!)
2014-06-09-MON
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