第2回 歌いながら感動している。
第2回 歌いながら感動している。

──
ヤンジンさんが
チベット民謡を歌っている姿を見て、
猛烈に集中しているというか、
なにか、歌と一体化しているかのような、
そんな感じを受けました。
ヤンジン
まあ、ありがとうございます。
──
人前で、あんなに大きな、
あんなにきれいな声で歌えるなんて
さぞ気持ちいいだろうなあ、と。
ヤンジン
チベット民謡は「身体が歌ってる」んです。
──
身体が?
ヤンジン
どう言ったらいいんでしょう、
「勝手に」と言ったらおかしいんですけど
風邪をひいてたり、
今日は咽喉の調子が良くないなあとか
そんなことはぜんぜん関係なく、
歌が、身体から、
どんどん出て来るような感じなんです。
──
すごい。
写真
ヤンジン
コンサートでは、日本の歌も歌うんですが、
その場合は、
正直「頭で」歌ってることも多かったです。

今でも、歌詞を間違ってはいけないとか、
ここはこう表現して
こういう気持ちを伝えなければってことを
頭で考えて、歌っている場合が多いんです。
──
チベットの歌の場合は、ちがうんですね。
ヤンジン
いちいち歌詞を考えることもないですし、
嬉しいときには
身体が勝手に嬉しい反応を、
悲しいときには
身体が勝手に悲しい反応をしています。
──
コンサートでは「故郷」をはじめ
日本の歌も、もちろんよかったんですけど
チベット民謡を聴いたときに感じた
あの迫力・すごみ・一体感‥‥というのは
そのへんの違いなのかもしれないですね。
ヤンジン
ええ、チベット民謡を歌っているときは、
ふるさとの風景が
すぐ目の前に、立ちあらわれてきます。

子どものころに駆けまわった大草原や
そこを吹き抜ける風、
ああ、あの山は、あそこの山だ、
牛や羊を放牧してたっけたなあ‥‥とか。
──
ヤンジンさんは、チベット民謡を
ずっと、歌い続けてきたんですよね?
ヤンジン
でも、大学のとき、いちどイヤになって。
──
え、そうなんですか。
ヤンジン
大学時代、いじめに遭ったんです。
何て言うんでしょう、民族差別というか。

それで、「チベット出身」ということが
コンプレックスになってしまって
チベット民謡を歌うのが
ものすごくイヤになってしまったんです。
──
そうでしたか。
ヤンジン
あの当時、チベットから来たって言うと
「野蛮人」とか、なんとかって。

チベットの田舎の遊牧民の村から
何百キロも離れた
四川省の国立の音楽大学に来るなんて、
わたしもびっくりでしたけど
まわりのほうが、
もっとびっくりしてたみたいなんです。
──
つまり、そんな人は
それまでいなかったわけですよね。
ヤンジン
ええ、そのこともあって大学の一時期は
「西洋のオペラ」しか
音楽芸術じゃないとまで思い込んでいて。
──
じゃ、その時期は、オペラばかり聴いて
オペラばかり歌ってたんですか?
ヤンジン
そうです、西洋のドレスなんか着てね。
チベット民謡や
チベットの民族衣装にそっぽを向いて
オペラ歌手に、あこがれていたんです。

でも、わたしが、
独特な声質と大きな声が出せるのも
やっぱり
チベットの草原と山のおかげじゃないですか。
──
なるほど。草原と山のおかげ、なんですね。
ふるさとというのは、
今でもヤンジンさんに影響してるんですね。
ヤンジン
そう、そういう意味でも
「ふるさとをたいせつに思う」ってことは、
単なる言葉じゃなくて
わたしの「根本」にかかわることなんです。

どんなときも、ふるさとが心にあれば
そんなに大きく
正道からずれることはないと思えるんです。
写真
──
ご主人と結婚されて
日本にいらしたとのことなのですが、
歌手としての活動は‥‥。
ヤンジン
はじめは、ぜんぜん。
──
そうですよね、それは。
ヤンジン
ええ、両親に仕送りがしたかったので
日本に来て15日目、
まだ言葉もあまりわからないうちから
清掃と雑用の仕事をはじめました。

言葉がだんだん慣れてからは、
ロッテリアでバイトをしたりしてました。
──
音楽とは無関係の仕事ばかり。
ヤンジン
はい、日本に来た当時は
言葉もわからない、知り合いもいない、
わたしにとっては
本当に「真っ白な世界」でしたから。
──
わたしは歌が歌えるんだって‥‥。
ヤンジン
はじめは、誰にも、言えませんでした。
でも、あるときに、
主人の知人のパーティに出たんです。

その2次会の会場に
カラオケセットみたいなものがあって、
誰かが「この人、歌手よー!」って。
──
バラされちゃった。
ヤンジン
そしたらもう、みんながわあっとなって
「なんか1曲、歌ってよ」って。

正直、わたし、イヤだったんですけども
あんまりみんなが言うもんだから
もう、どうしようもなくなってしまって。
──
何を歌ったんですか?
ヤンジン
忘れもしません、中国のふるい歌ですね。
緑の島を、ほめたたえる歌。

そうしたら、たまたまそこに、
阪神淡路大震災で
チャリティのコンサートを開催している
クボタさんっておじいちゃんがいて、
「ボランティアなんだけど
 今度、歌いに来てもらえないか?」と。
──
お声がかかったというわけですか。
ヤンジン
そのときには
ボランティアの意味もわからなかったけど
とにかく、
わたしの歌を聴いてもらえるなら
嬉しいと思って、
会場の体育館に出かけて行ったんです。
──
ええ。
ヤンジン
わたし、そのとき、すごく恥ずかしいですが、
チベット民謡を歌うのが不安でした。
──
と、言いますと?
ヤンジン
だって、みんな意味がわからないんですから。
──
ああ、なるほど。
ヤンジン
でも、あのクボタさんっておじいちゃんが
「いいから歌ってみてや、歌ってみてや。
 大丈夫やから、歌ってみてや」って。

チベット民謡ですから
伴奏どころか、カラオケも何もありません。
だから、アカペラで歌ったんです。
写真
──
体育館で、アカペラで。
ヤンジン
忘れもしません、
神戸市の避難所になっている学校の
体育館の壇上で、
マイクもなしで、アカペラで歌ったんです、
チベット民謡を。

そしたら、お客のおばあちゃんたちが‥‥。
──
はい。
ヤンジン
何が伝わったんでしょうか、
もう、涙をぽろぽろ流してくださった。

「いい歌やわあ、いい歌やわあ」
「意味はわからへんかったけど、
 なんか、なつかしいわあ」
って、泣きながら言ってくれたんです。
──
それは、嬉しかったでしょう。
ヤンジン
はい、とっても、嬉しかったです。

けれども、最後の最後に
「いいわあ。やっぱり、いいわねえ。
 モンゴルの歌」
と言われまして(笑)、
「ズコーッ」となったんですけれど、
それでも、嬉しかったです。
──
それは‥‥すみません、というか(笑)。
ヤンジン
大げさじゃなく、
歌が、言葉や民族や国境を超えたんです。

言ってる意味なんかわからなくても
チベットの民謡が
日本の人の心に通じたんだと思って。
──
そうですよね。それも、泣くほど。
ヤンジン
このときのことが
「日本でチベット民謡を歌おう」と決心する、
ひとつのきっかけになったんです。
──
歌が、橋渡ししてくれたってことですね。
すごいものですね、歌って。
ヤンジン
みなさん、口々に
「なつかしい」とか「草原の風を感じた」とか、
言ってくださって
はじめは「ええー、本当かな?」と思ったけど、
でも、考えてみると
わたしも日本の歌で、よく泣くんですよね。
──
それは、どんな歌でですか?
ヤンジン
たとえば‥‥そうですね。

「かあさんはー夜なべーをして
 手ぶくーろ編んでくれた~」
──
ああ、『かあさんの歌』。
ヤンジン
あの歌を聞くと
もう、泣けて泣けて、しかたがないんです。

それとね、あとは
「しらかばァ~、あおぞぉら~」‥‥とか。
──
『北国の春』ですか。千昌夫さんの。
ふるさとを思う歌ですよね。
ヤンジン
はい。
──
すみません、曖昧な質問なんですけど、
ヤンジンさんにとって
歌って、どんなものだと思いますか?
ヤンジン
わたしにとっては、歌を歌うということは、
今みたいに、こうやって、
誰かと会話しているのと同じ感覚なんです。
──
それは「コミュニケーション」ということ?
ヤンジン
同じ歌でも、
歌手によってちがってくると思うんです。
ですから私は
自分の声で、自分の身体で、自分の心で、
自分の思いを伝えているのです。

なんだか「芸術」と言ってしまったら
身にあまる気がするけれども、
自分のよろこび、
自分の悲しみ、
自分のふるさとへの思い、
自分の親への思い、
そういう自分の思いを伝えています。
写真
──
なるほど。
ヤンジン
わたしはね、いつでも、こう思うんです。
歌っていうのは
自分が生きてきたそのままなんだなって。

ですから、
わたしの人生になかったようなものは
どんなに美しい歌でも、歌えない。
──
ええ、ヤンジンさんの歌を聴いていると
そうなんだろうなって気がします。
ヤンジン
歌というのは、まずは自分が噛み締めて、
自分が感動してはじめて
みなさんを
感動させることができるとと思うんです。
──
じゃ、歌いながら、感動してるんですね。
ヤンジン
もちろんしてます、感動。

わたしは、いつでも、
歌いながら感動しているんです。

<つづきます>
2015-08-05-Wed
笑えて、じーんとして、はっとする。バイマーヤンジンさんの新刊です。

笑えて、じーんとして、はっとする。バイマーヤンジンさんの新刊です。

バイマーヤンジンさんの本が出ました。
ふるさとチベットのこと、
ご両親のこと、歌のこと、
子どもたちや学生を支援していること。
今回のインタビューの話題を
さらに、くわしく語った内容です。
進学するヤンジンさんのために
学校には行かず、
はたらいてくれたお兄さんのこと。
はじめてあったとき、
60歳に近いのに「金髪」だったという
義理のお母さんとの
(こう言ってはなんですが)
まるで漫才みたいなやりとり。
外国人のことが「きらい」だった
義理の祖母と、時間をかけて
少しずつ仲良くなっていくくだり‥‥など
ヤンジンさんの素顔や人柄が伝わる本です。
ご興味持たれましたら、ぜひ。

バイマーヤンジン著
『幸せへの近道
チベット人の嫁から見た日本と故郷』