こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
陶芸家・根本裕子さんと、
彼女の作品を紹介します。
多くは作家の空想上の生きものです。
それは、
はるか昔に絶滅した動物のようにも、
神さまのようにも見えます。
はじめて目にしたとき、
じいっ‥‥と見入ってしまいました。
そして、どうしてこんなに
じいっ‥‥と見入ってしまったのか、
説明しづらい魅力があります。
そのあたりのことがわかりたくて、
根本さんと会ってきました。

根本裕子(ねもと・ゆうこ)

1984年生まれ。

熱心な宗教を持つ家庭で育つ。

吹奏楽を通じて音楽に没頭する10代を過ごす。

東北芸術工科大学で陶芸を専攻する。

和太守卑良氏に師事し、影響を受け造形物を学ぶ。

中間のあやふやな存在
魂、使者、未確認生物、太古の生き物」 を
テーマにした作品「イムヌス」シリーズを発表する。

その後、山形市内にあり、
藝術家や建築家を目指す若手作家が共同生活するミサワクラス」で 
展示発表や地域活性化プロジェクト等を行う。

現在は福島県にて制作している。
手びねりによって製作する作品の多くは
動物の形を借りた架空の生きもので、
時間の痕跡となるシミ、皺、たるみを
粘土に刻み焼成している。

その他、お守りと称した作品制作や「SANZOKU」名義でオブジェ的な食器を
展開している。
山形周辺で、実験的な作品制作・発表のあり方を模索する
山形藝術界隈のメンバーでもある。

──
これとか、うわあーと思いました。

悲しみとか切なさとか通り越して、
何とも言えない気持ちになります。

根本
以前「イムヌス」シリーズといって、
ラテン語の「hymnus=賛美歌」という名の、
一連の作品をつくったことがあって。
──
賛美歌。
根本
「ここに存在しているようで、していない」
「ここに存在していないようで、している」
みたいな、
不安定であやふやなものを表現したんです。
──
いや、この作品から感じるのは、
不安定とかあやふやさ‥‥そのものですね。
根本
教会にいると、誰かのお祈りを聞く機会が
あるんです。

そこはまた、誰かの
切実な告白に触れるところでもありました。
──
ええ。
根本
今でも、浮浪者の人々だとか、
見向きもされないような
マイノリティの人のことを考えるときには、
心が揺れるんです。

そういう、不安だとか悲しみの気持ちって、
マイナスのイメージだし、
ちょっと目を背けたくなるんですけど、
じつは、人間にとって重要で、
本質的な感情なんじゃないかと思うんです。
──
目を背けたいけど表現せざるを得ない?
根本
そう‥‥ですかね。

七指の燭台

──
根本さんのつくる作品の魅力の源泉が、
まだよくわからないというか、
うまく言葉で表現できないんですけど、
いつごろから、
こういう作品をつくっているんですか。
根本
2008年からなので、
もう、10年くらいにはなります。

東北芸術工科大学という大学の卒展で、
いきなり、こういうふうになって。
──
いきなり?
根本
あ、それまで、わたし、
ずっと「壺」とかをつくってたんです。
──
壺‥‥。「ザ・陶芸」みたいな?
根本
そうです。
それもかなりベーシックな作品を。

これが卒展の会場風景なんですが。

イムヌス<王の隊列はすすみ>2009(撮影:姜哲奎)

──
壺から、急にこれですか。
根本
はい。
──
今よりさらに抽象性が高いです。
根本
もう「動物」と言っていいかどうかさえ、
わからないようなものばかりです。
──
担当の先生とか、驚きませんでした?
根本
あの、わたしの大学の先生って、
和太守卑良(わだもりひろ)さんといって、
手びねりの名手‥‥というか、
ものすごく有名な陶芸家だったんです。
──
ワダさん。和に太いって書くんですね。
すみません、不勉強で存じ上げなくて。
根本
わたしは、和太さんから、
ベーシックな手びねりを学んでました。

でも、大学を卒業する歳の9月に、
和太さんが、急に亡くなってしまって。
──
あ‥‥そうなんですか。
根本
膵臓癌でした。2008年に、64歳で。

陶芸作家として、
あぶらの乗り切っている時期でしたが、
わたしは、
頭の中が真っ白になってしまって。
──
卒展の相談とかもしたい時期ですよね。
根本
そう。だからどうしようって、
すこーーーーんと抜けちゃった感じで、
それで、
今までつくってきた壺やら何やらが、
急に、こういう生きものになりました。

‥‥って、はしょりすぎですね(笑)。
──
ただ、いずれ動物になりそうな気配を、
壺の作品からも感じます。

根本
そうなんです。今から思えば。
──
でも、いきなり、こういう生きものに
なっちゃった理由は、
自分でも、わからないって感じですか。
根本
うん‥‥何でなんでしょうね。
──
師匠が亡くなったことは、
当然、大きなきっかけだと思いますが。
根本
はい、もちろん関係してると思います。

結局「生と死の境界」みたいなことを
卒展のテーマにしたんですけど、
準備している間中、ずっと、
和太さんが亡くなったことばかりを
考えていたので。
──
そうですか。それほどまでに。
根本
キリスト教の家で育ったせいか、
ちいさいころから、
愛と死について、考えさせられます。

で、何て言ったらいいのか‥‥
きっと、
そのへんに和太さんはいるだろうとか、
ずっとつながっていたいというか。
──
ええ。
根本
そんなふうな心の状態だったときに、
あるとき
「動物にしちゃったらおもしろくない?」
と、何だかできるような気がして、
子どものころから
動物図鑑をずっと見ていたこともあって。

わたしは彫刻家ではないので、
骨格とかディテールとかを気にしないで、
ぴゃーっと一気につくったんです。
──
こういう、ふしぎな動物たちを。
根本
人間ではない生きもの‥‥です。

瞑想の森ー成人60×35×20cm 2016②(撮影:根岸功)

──
そこから一気にこちらの世界に。
でも、この風景、和太先生は見てないんだ。
根本
見ていません。もう、見せられない。
──
まさか、こうなってるとは‥‥。
根本
和太さんが生きていても、
こっちの方向になったかもしれないけど、
和太さんが生きていたら、
ここまで開放的には、ならなかったかも。
──
何ておっしゃるでしょうね。
根本
何て言うだろうな‥‥。

当時、現代アートにすごく興味があって、
そういう展示を
同級生たちがやりはじめていたので、
和太さんのまえで、
「いいなあ」って言ったんです、わたし。
──
ええ。
根本
そうしたら、和太さんに
「根本さんは、
あちらのほうに行きたいんですか」
って聞かれたんです。

で、「なんでですか」って答えたら、
「わたしには、
こちらの側しか教えられませんよ」
って言われたので‥‥。
──
はい。
根本
「わたしは、行きませんよ」って。
それが、たぶん最後の会話。
──
うわあ。
根本
おそろしい(笑)。
──
来ちゃったわけですもんね、こっち。
根本
最後、大学から駅まで送っていって、
そのまま夏休みに入って、
それから、2週間後くらいでしたね。
──
膵臓癌って。
根本
はやかったです。
そういうニュースが流れてきました。
──
信じられなかったでしょう。
根本
信じられなかったです。

でも、何だろう、ふしぎな気持ちで、
あの自由な和太さんが、
もっと自由になってしまったような。
──
気がした?
根本
和太さんが、
ずっとずっと楽になったような‥‥
んんー、なんだろう。

どう言っていいかわからないです。
──
はい。
根本
感情を「言葉」に置き換えるのは、
やっぱり、難しいです。

野良犬 b(撮影:鈴木一成)

<つづきます>

2018-11-28-WED

岩手県盛岡市の
ギャラリーCygで

根本裕子さんの
個展を開催中です。

展覧会のなまえは「豊かな感情」です。

根本さんが関心を寄せる
「感情」というふしぎなものを、
分子記号と野良犬の顔で表現したそう。

会場は盛岡市のCygというギャラリー。

根本さんの作品、
実物に会うと、さらにグッときますよ。

会う、という感じがぴったりなんです。

「『感情』を、その成分である
ホルモンの分子記号(おそらく中身)と
野良犬の表情(表面)で表しています。
お近くにいらしたさいには、
ぜひ、お立ち寄りくださいませ!」
(根本さん)

会場:Cyg art gallery

会期:12月16日(日)まで

時間:11:00–19:00/無休

住所:岩手県盛岡市内丸16-16 大手先ビル2F

※展覧会の公式サイトはこちらです。
写真:大槌秀樹