HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
絵で無限を描く画家。荒木義明先生に訊く、エッシャーのこと。 絵で無限を描く画家。荒木義明先生に訊く、エッシャーのこと。

こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
だまし絵みたいな絵を描く、
エッシャーさんって、ご存知ですよね。
正しくは「版画」なんですが、
登っても登っても登りきらない階段、
永久に流れて落ちる滝‥‥など、
教科書で見たし、有名だと思います。
でも、そんなエッシャーさんが
「無限を描きたかった」ってこと、
ご存知でした、か‥‥?
表現のベースに数学があるってことも。
そのあたりのお話、
いかにもおもしろそうだったので、
エッシャーの生まれ変わりみたいな
数学者の荒木先生に、聞いてきました。

──
敷き詰め、テセレーションという学問には、
いわゆる「実用性」はあるんですか。
荒木
そうですね、昔から人類は、
敷き詰めみたいなことを繰り返して
生きてきたとは言えますね。



1万年くらい前にレンガを発明して、
建物をつくりはじめます。
それで、街を守る高い壁を築いたり、
遠くまで飲み水を運ぶ水道を
つくったりできたのは、
敷き詰めの恩恵ですね。
──
じゃあ、ピラミッドなんかも。
荒木
まさにそうです。



局所的に敷き詰めていくルールに則って、
最終的には、
大きなものをつくる計画が成立するので。
──
ああ、なるほど。
荒木
ですから、実用的には、
局所と大域がうまくマッチするような、
そういう仕組みが、
人間にとってハッピーなんでしょうけど、
「でも、それだけでいいの?」
というのが、エッシャーの問いかけで。
──
それで、
局所的には何気ない場面の描写なのに、
俯瞰して大域的に見ると、
想像を越えるような世界を描いていた。
荒木
そういう世界、そういう構造には、
どういうパターンがあるんだろう、
「版画」という手法で、
どこまで表現できるんだろうって、
エッシャーは、
どんどん楽しくなっちゃったんだと、
思うんですよね。
──
で、「やりきってやろう!」と。
荒木
そう、
「誰も見たことのないものを
 見て見たい!」
そういう気持ちが、
ぼくには、ビンビン伝わってきます。

▲《滝》1961年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com

──
自分の不勉強のせいなんですが、
正直、エッシャーさんが
そういう人だったということは、
まったく知りませんでした。
荒木
いわゆる「だまし絵」みたいな作品が、
どうしても有名ですからね。



でも、「どうやって驚かせてやろうか」
みたいな気持ちって、
そんなには、なかった気がするんです。
──
「エッシャーの気持ちになってみたら」
で考えると。
荒木
そう、本人は別に
みんなを驚かしたくて描いたわけじゃ、
なかったというか。

▲《対照 秩序と混沌》1950年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com

──
それより、好奇心の赴くままに‥‥。
荒木
そうですね。
──
「無限は描けるだろうか」と。
荒木
無限として表現する他に、
彼の追求したもうひとつのテーマが、
「局所と大域」です。
──
ミクロとマクロ。
荒木
はい、局所を積み上げていって、
ピラミッドのような
わかりやすい構造をつくりあげることとは、
また違った大域性があるんじゃないか‥‥。



たとえば、
タイルがちょっとずつ曲がっていて、
敷き詰めていくとはじめにもどって、
閉じて完結する、みたいな。

▲《魚で覆われた球体》

──
この立体作品は、
球面で魚の敷き詰めが完結しています。



「完結している」といえば、
階段の絵も、滝の絵も、そうですよね。
荒木
敷き詰め(テセレーション)を描く中で
見つけた発想を、
不可能図形などのテーマにも
展開していったのかもしれませんね。
──
宇宙と、人間の体内を往還する映像が
あるじゃないですか。



椅子で有名なイームズさんがつくった。
荒木
『Powers of Ten』ですね、はい。
──
あれって、ミクロとマクロは相似形で、
ふたつの世界を、
行ったり来たりするムービーですけど。
荒木
ええ、『Powers of Ten』では、
マクロとして
「観測可能な宇宙」と呼ばれる範囲までを
描いていますよね。



あれ、きっと、エッシャーだったら、
「観測できないその先」を
描こうとしたかもしれないなあと思います。
──
なるほど。
荒木
宇宙の果てのその先まで行ったら
はじめにもどって、
実は閉じて完結していたみたいな。
──
エッシャーさんは、そういう作品を
年がら年中、
毎日毎日、描いていたんでしょうか。
荒木
第二次世界大戦中は、
版画制作に集中できなかったようですが、
球面の「敷き詰め」を彫る作業に
没頭していたようです。



なんだかんだで、エッシャーはずっと
敷き詰め(テセレーション)を
やり続けていたんです。
──
敷き詰めとは、なんと底知れない‥‥。
エッシャーさんにとっては、
魔的な魅力があったと。荒木先生にも。
荒木
そうなんです(笑)。



でも、エッシャー以前には
敷き詰めを、
そこまで探究した人はいなかったんです。
──
どういうきっかけがあったのか‥‥。
荒木
エッシャーは旅好きだったんですけど、
スペインへの旅行中に、
まるで無限に増殖するかのような
アルハンブラ宮殿の
ムーア人のモザイク文様を見たことが、
ひとつの契機になったそうです。
──
ムーア人の、モザイク文様。
荒木
まさにエッシャーの敷き詰めみたいな
タイル文様なんですが、
これを、じっくり描きうつしたんです。
──
へええ。
荒木
そして、
2度目にアルハンブラを訪れたあとに、
作風が変わってくるんです。



また、お兄さんが地質学者で、
結晶の構造とかに詳しかったんですよ。
──
結晶の構造? 雪とかの?
荒木
とかの(笑)。
──
ああいう模様がお好きな‥‥お家柄?
荒木
子どものころには、パンの上に、
ちぎったチーズを敷き詰めていく作業が、
大好きだったんだそうです。
──
はあ、敷き詰まったら食べる‥‥(笑)。
荒木
そのような環境や原体験があったところに、
アルハンブラ宮殿の模様に出会って
「わあ、これだ!」って思ったんでしょう。



「オレ、やっちゃっていいんだー!」って。
──
それから数学の原理にも惹きつけられ、
数学者と交流して、
自らも数学を探究していったんですね。

▲《椅子に座っている自画像》1920年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com

荒木
そうです。



ただ、アルハンブラの文様を見たときは
「数学」というよりも、
自分自身の根源にかかわるような、
圧倒的なリアリティを感じたんだろうと、
思うんですけどね。
──
なるほど。
荒木
そもそも、エッシャーという人にとっては
文系と理系、美術とか数学という
カテゴリーなど、
簡単に横断できるようなものでしょうしね。
──
カテゴリーって、本来なかったというか、
あとからつくったんですもんね、人が。
荒木
ええ。
──
レオナルド・ダ・ヴィンチという人も、
数学者、建築家、音楽家、芸術家‥‥と、
いろんな肩書を持ってますが、
ダ・ヴィンチ本人は、
自分の興味のあることをしていただけで。
荒木
そう。エッシャーの場合は、
その道具として、
たまたま目の前に版画があったんですよ。
──
じゃ、音楽で無限を表現したバッハや、
版画で無限を彫ったエッシャーさんと、
数学者として、
新しい敷き詰め(テセレーション)がないかなって
考えている荒木先生は、
同じ問題を、
違う道具で解いているのかもしれない。
荒木
そうであったら、うれしいことです。
(つづきます)
2018-06-14-THU
背景の絵
《相対性》 1953年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland.  All rights reserved. www.mcescher.com