未発表原稿を「定価0円の本」に! 塩野米松さんの『中国の職人』をみんなで読もう。

塩野米松さんのプロフィール

塩野米松(しおの・よねまつ)

1947年(昭和22年)、秋田県角館町(仙北市)に生まれる。
東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。
近年は故郷角館に仕事場を置き、半分はここで執筆。
芥川賞候補に4回も(もらわず)、
小説と職人の聞き書きを中心に執筆活動を行っている。
法隆寺・薬師寺の棟梁であった西岡常一氏や
その弟子の小川三夫氏、
さらにその弟子の若者たちの聞き書き
『木のいのち木のこころ』(新潮文庫)などベストセラーも多い。
古老たちや職人、漁師、農民などの生き方や教育法、
技の伝達や職業倫理に関心を持ち、
そうした人々の生き方を追った著書も。
『木の教え』『手業に学べ(心)(技)』
『にっぽんの漁師』(ちくま文庫)、
『失われた手仕事の思想』(中公文庫)、
『刀に生きる』(KADOKAWA)など多数。
絵本『なつのいけ』(絵・村上康生)で日本絵本大賞。

田中泰延さんのプロフィール

田中泰延

コピーライター。
1969年大阪生まれ。ひろのぶ党党首。
24年間勤務した電通を退職し、
2017年よりフリーに。
「街角のクリエイティブ」
「田中泰延のエンタメ新党」を連載中。
Twitter:@hironobutnk

作家の塩野米松さんが、未発表の原稿を「定価0円の本として出版できないか?」と、持ってきてくださいました。タイトルは『中国の職人』です。急須や人形作りの名人6人に、塩野さんが「聞き書き」した作品です。これが、なんともおもしろいのですが、どうして、0円で、ほぼ日に?何かと物知りで濫読家の田中泰延さんと、糸井と、塩野さんと3人で、原稿を真ん中に話してもらいました。なお『中国の職人』は、塩野さんのご意向で全文を無料で公開しています。みなさんも、この3人の座談会をガイドに、ぜひ、読んでみてください。作家の塩野米松さんが、未発表の原稿を「定価0円の本として出版できないか?」と、持ってきてくださいました。タイトルは『中国の職人』です。急須や人形作りの名人6人に、塩野さんが「聞き書き」した作品です。これが、なんともおもしろいのですが、どうして、0円で、ほぼ日に?何かと物知りで濫読家の田中泰延さんと、糸井と、塩野さんと3人で、原稿を真ん中に話してもらいました。なお『中国の職人』は、塩野さんのご意向で全文を無料で公開しています。みなさんも、この3人の座談会をガイドに、ぜひ、読んでみてください。

第4回 ニコタマに道産子。

糸井
人の手から人の手へと伝えていくものを
塩野さんは、
たくさん見てきたわけですけれど、
当然、残るものもあれば、
残らなかったものもあったわけですよね。
塩野
目の前で消えていったものも。
糸井
ありましたか。
塩野
北海道に道産子という馬がいます。

あの馬を使って、
荷物を運んでいる人がいたんです。
糸井
ええ。
塩野
函館のちかくに住んでいたおじさんで、
馬は、ふだんは山に放しておくんです。

すると、勝手に笹を食って成長して、
ひと冬を越したら、
一頭、子馬が増えていたりするんです。
田中
へえ。
塩野
その馬に荷物をつけることを、
駄載(だんづけ)って言うんですけど、
炭俵何俵とか、丸太10本とか、
馬に嫌がられないよう、
ササッと積まなきゃならないんです。

しかも、右と左とで対称に積まないと、
馬が荷を蹴ったりして危ない。
糸井
つまり、そこに「技術」があると。
道産子って、ちいさい馬ですよね。
塩野
正式登録するためには、
寸法が「135センチまで」だったかな、
大きさの基準があるんです。

それと、歩き方にも特徴があって、
多くの道産子は、
右なら右、左なら左の前脚と後ろ脚を
同時に出すんですよ。
糸井
へえ。
塩野
そうやって歩くことで、細い山道でも、
身体を揺らさず、
荷物を運んでいくことができるんです。

で、そうやって歩けないと、
道産子として正式登録できないんです。
田中
へぇー‥‥知らなかったなあ。
塩野
その函館のちかくに住むおじさんは、
馬の両足をつないで、
そうやって歩くように訓練する人で、
硬いロープで
あっという間に荷を積んだりできる。

で、あるときに、その人を
二子玉川の高島屋のホールに呼んで、
公開インタビューをやったんです。
糸井
へぇ、ニコタマに。
塩野
そのとき、おじさんには
道産子を、連れてきてもらったんです。
田中
道産子が! ニコタマのデパートに!
塩野
来たんです。3頭。

で、おじさんはいつもやってるとおり、
河原に道産子を放しました。
田中
うわ、多摩川に!?
塩野
「なんぼでも食え、草いっぴゃあある」
って言って。
糸井
最高(笑)。
塩野
そしたら誰かが警察に通報したんです。

馬が草を食ったら悪いのかどうか‥‥、
ぼくには、わかんないんだけど。
田中
「害」は、とくになさそうですけど‥‥。
塩野
そう、高島屋のホールへ行くのに、
馬をエレベーターに載せたら驚いちゃって
ウ◯コしたんですけど、
ま、害といえば、それくらいかな。
糸井
いい話だなあ(笑)。
塩野
で、そのおじさんが
馬に荷物を積むところをホールで実演して、
「こんなふうに、やるんだ」って。

おじさん、そのときに
「もう、俺以外にはできる人がいない」
って言ってたんですけど、
しばらくしたら、その人、
急に山の中で亡くなっちゃったんです。
糸井
ああ‥‥で、あとに何も残らなかった。
塩野
そう。

その人は現役で苗を運んでいたんです。
山奥の細い道は馬しか運べないんです。
田中
そんな人が、人知れず亡くなったから。
糸井
ぷっつり途絶えちゃったんですね。

はぁー‥‥そんな例は
きっと、山ほどあるんでしょうね。
塩野
ええ、後継者のいない仕事だらけです。
いまの職人の世界なんて。
糸井
現代って、塩野さんの感覚からすると、
伝統技術の継承という意味では、
最後の時代、という感じがしますか?
塩野
うん、1964年の東京オリンピックが、
ひとつの境い目だったと思います。
糸井
あ、そうですか。ひとつ前の東京五輪。
塩野
ぼくの聞き書きの仕事は、
ひとつひとつの職人の話がおもしろくて、
ここまで続いてきたんですが、
集めてみたら、徒弟制度の問題をはじめ、
いろんなことを感じるんです。
糸井
と、言うと?
塩野
たくさんの日本人を取材して思ったのは、
素敵な人たちだなあ、ということ。

日本人の、この素敵で生真面目な精神は、
どうやって生まれてきたのかな。
最初は「この人だからだ」と思っていて。
糸井
個人の問題だ、と。
塩野
でも、そういう人が20人も集まったら
「もしかしたら、
職人という人たちには、
似てるところがあるのかもしれない」、
100人になったら
「もしかしたら、
日本人だからってことがあるのかも」、
そう思うようになってきました。
糸井
なるほど。
塩野
同時に、ぼくら日本人に仕事を教えてくれた
中国の人たちはどうなんだろう‥‥と。
田中
そこが、あの原稿の出発点だったんですね。
塩野
そう、中国の徒弟制度を知っている人たちが、
存命のうちに、お会いしたかった。

そこで、日本の「人間国宝」にあたる、
たたき上げの職人時代を過ごした人を集めて、
日本人と中国人のあいだで、
「ものをつくる」という一点において
どこがどう、違うのか‥‥。
田中
ええ。
塩野
そういうことをまとめてみようと思ったのが、
あの原稿の、きっかけだったんです。

<つづきます>