私と芸術、私の友情。細野晴臣+横尾忠則 私と芸術、私の友情。細野晴臣+横尾忠則
音楽家の細野晴臣さんと
美術家の横尾忠則さんが出会ったのは
1976年あたりのことでした。
そこからはじまる長いつきあいで、
対談回数はお互い「最多」相手なのだそうです。

はじめて会ったその日に
「いっしょにインドに行こう」という話になり、
ともに病気になり、YMOを結成しようともしました。
濃く薄く、かなったりかなわなかったりの交流を経て、
それぞれの世界で伝説化しているおふたりが
いま考えていること、抱腹絶倒の思い出話、
どうぞたっぷりおたのしみください。
取材協力:堅田浩二

編集:ほぼ日
第4回 YMOになるはずだった。
細野
いま横尾さんが描いていらっしゃる絵、
インドですね。
ああ、懐かしい。
いま、横尾さんの中でインドが復活してるんですか。
横尾
全然復活してない。
細野
そうじゃないんだ(笑)。
横尾
細野さんの音楽もそうだと思うんだけども、
音を反復させていくじゃないですか。
リメイクというのか。
細野
ええ。
横尾
ぼくもこれまでずいぶん
いろんなモチーフを反復させています。
その反復が、おもしろいんですよね。
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細野
だからぼくたちは何度対談しても、いつもあの
「インドのマドラスで病気が治った話」を
反復してしまうわけですよ。
横尾
うん。
出会ってすぐに
一緒にインドに行くことになるわけだけれども、
あれはさいしょに細野さんが
訪ねてきたんだよね。
細野
そうそう、1976年くらいかな。
横尾さんのおうちに押しかけていったんですよ、
面識もないのにね。
横尾
あまり覚えてないんだけどね。
細野
ぼくは覚えてますよ、押しかけたほうだから。
横尾
細野さんは、
ぼくが細野さんのことを
知らないと思っていたそうだけど、
もちろんぼくは認識していたわけ。
ちょうど細野さんの『はらいそ』
アルバムが出たあとだったんだよね。
細野
ああそうそう、あのときそう言われました(笑)。
「はらいそ」のジャケットを横尾さんが見て、
「自分のエピゴーネンが出てきたね」と。
横尾
アルバムのジャケットが、
ぼくの作品に非常に近かったんです。
細野
だって、真似してるんですから。
横尾
とにかくまぁ、細野さんが突然、
「はらいそ」のアルバムを持って
訪ねてきたんだけども、
それがまったく
ぼくの作品の影響を受けたみたいな絵で、
それで、ぼくは細野さんが何を考えてるか、
よくわかった。
細野
そうなんですよね。
横尾
ちょうどぼくはキングレコードから、
「インドへ行って、
なんでもいいから音を拾って、
作品を作ってほしい」
と言われていたタイミングだったんです。
そこへ細野さんが
舞い降りてきたというわけ。
細野
横尾さんがアルバムを作んなきゃいけないから、
ぼくはインド行きに誘われたんだね(笑)。
横尾
「これはいいタイミングで現れた!」と思った。
ぼくの仕事を細野さんに全部、
委ねてしまえばいいや、と。
細野
ぼくはそのとき
そんなことをまったく知らないから、
ただ一緒にインドについてっただけです。
けれども、途中でそういうことを徐々に言われて。
横尾
録音する人たちが皆、インドまで
一緒に来たでしょう? 
あれ全部キングの人だからね。
細野
あ、そうだっけね。
横尾
細野さん、そんなこと知らないで、
まんまとインドに来たわけだ。
ぼくはもう「ああ、これで助かった」ってな
もんですよ(笑)。
それが『COCHIN MOON』という作品に
なるわけだけれどもさ。
細野
そうなんです。
横尾
その『COCHIN MOON』は、
何年か経って海外で、ものすごく人気になるの。
いまでも人気だよね。
ポーランドかどこかに行ったとき、
レコード屋さんへ入ったら
『COCHIN MOON』があったよ。
ぼくをそのレコード屋さんに案内してくれた
ボーランド人もすでに持ってた。
びっくりしてたよ。
細野
マニアが多いんですね。
しかし最近は、マニアどころじゃないんですよ。
一般的に広がっています。
横尾
あの頃の音楽が
再評価されてるんでしょう?
細野
そうなんですよ。
横尾
皆そうだね。
美術のほうも、まったくそうです。
写真
細野
はじめて行ったインドで、
バスに乗って移動するとき、
横尾さんはいろんな音楽について
ぼくに教えてくれましたよ。
イギリスのオブスキュアという、
アヴァンギャルドなレーベルを
紹介してくれたりして。
横尾
いつも細野さんと一緒に、
横並びのシートに座っていたからね。
そのあいだずいぶん、いろんな音楽の話をした。
意外だったのは、クラフトワークの話をしたら、
細野さん、クラフトワークを知らなかったの。
その後にあれを超えるような音楽を作るくせに。
あの頃、ジャーマンロックはまだ
日本には輸入されてなかったからね。
細野
横尾さんは当時、
すごく音楽的な存在だったんです。
だからぼくはYMOのメンバーに
横尾さんを入れなきゃいけないと思っていたんです。
メンバーは4人になるはずだった。
逃げられましたけど(笑)。

(※そのいきさつについてはこちらの鼎談 をごらんください)
横尾
ぼくは当時、美術から影響を受けるより、
音楽や映画からの影響のほうが
強かったですよ。
細野
だって、横尾さんのせいで‥‥というかおかげで、
『COCHIN MOON』を作ることになったとき、
ぼくははじめてコンピュータを使ったんですよ。
それまでの音楽活動とは
全然違うことをやりはじめたわけです。
その理由は、そこに
横尾さんという存在があったからです。
横尾
『COCHIN MOON』を制作するとき、
ぼくはわけわかんないことをワーワー言って、
そうとう細野さんを悩ませたよ。
音楽の技術がわからないから、
不可能なことまで
なんでも要求できるんです。
細野
けっこうシャレにならないくらいでした。
横尾さんはときどきスタジオに来ちゃあ、
文句言って帰るんです(笑)。
横尾
ぼくは紙に、
「ここに山があって、川があって、ここに谷がある」
みたいな、
グラフとも絵ともつかないようなものを書いて、
細野さんに見せました。
それがぼくの楽譜なんだけど、
細野さんはもう、チラッと見て終わりよ。
細野
(笑)そんなことないですよ。
横尾
全然惑わされないね。
細野
そんなことはないですよ。
横尾
あれは、細野さんでないと
できないアルバムだね。
ニコリともしないで、ブスッとしてさ。
細野
横尾さんはスタジオでちょっと聴いて、
「うーん、コワモテだな」なんて
ひと言、言うんです。
つまり「音が怖い」と。
うーん、そうなのか? と思うけど、
けっこうそのひと言がガツンと来るんです。
横尾
その結果が『COCHIN MOON』です。
あの音楽は本当に長く、世界的に、
いろんな影響を与えたね。
細野
自分としては、
あの作品は評価できないです。
混沌としてて、いまだに
なんだかわかんないんです。
自分の頭の中にあるものではないんですよ。
(明日につづきます)
2021-08-24-TUE


※細野さんと横尾さんのこれまでの対談をまとめた本
(いったい何回分の対談を掲載しているのでしょうか!)が
近日刊行予定だそうです。
発売日が決まったら、
ほぼ日のTwitterなどでお知らせします。
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『YOKOO LIFE』
横尾忠則(著)

糸井重里(聞き手)

1,320円(税込)



打ち合わせや旅のあいだのおしゃべりが、
宝もののようで、聞き逃がせなかった。
だから録音機をできるだけまわした。
どうおもしろいのか、説明はできない。
そんなふうにおそるおそるはじまった、
横尾忠則と糸井重里による
「ほぼ日」のおしゃべり連載は、
通な方々のあいだでじわじわと話題となった。

「あれ、本にすればいいのに!」
という声をいただくも、
編集方針について迷いに迷い、数年経過。
この記念すべきYOKOOイヤーに、
思い切って追加の対談を収載し、
奇跡のような本を誕生させます。
本になって、さらに宝もののような、
貴重な内容です。
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2021年7月17日(土)→10月17日(日)

東京都現代美術館 企画展示室1F/3F



2021年7月21日(水)→10月17日(日)

21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3



2021年7月17日(土)→9月5日(日)

丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング



ジャケットとパンツを
2021年7月1日(木)から順次発売

ISSEY MIYAKE SHIBUYA(渋谷PARCO2階)、
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / AOYAMA、
ISSEY MIYAKE SEMBA、
ISSEY MIYAKE MARUNOUCHI、
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