ぼくの歩く、まんが道。矢部太郎さんと糸井重里の、漫画談義。 ぼくの歩く、まんが道。矢部太郎さんと糸井重里の、漫画談義。

お笑い芸人の矢部太郎さんが描いた
漫画『大家さんと僕』が、
20万部突破の大ヒットを記録しています。
なぜこの漫画は、ここまで多くの人に
読まれているのでしょうか?

かつて漫画家にあこがれていた糸井が、
漫画家デビューした矢部さんと、
作品の制作秘話や、
日本の漫画が持つ可能性について、
ほどよい熱さで語りあいました。

作品の中では語られなかった矢部さんの
葛藤や苦悩などにも迫った、全6回。
どうぞごゆるりとおたのしみください。

描き直したエンディング。
糸井
ものすごく売れてるんだって?
矢部
はい、なんかそう、そうみたいで。
いま、20万部とかって‥‥。
糸井
もう、20万部?! 
はぁ、売れる速度がすごいなぁ。
矢部
糸井さんに推薦コメントまでいただいて、
本当にそのおかげだなって‥‥。
糸井
いやいや(笑)。ぼくはただ、
そのとおりのことを書いただけです。
この本を読んでいて、
本当に「永遠のように思えてくる」
と思ったんです。
矢部
ぼくも糸井さんの言葉を見て、
あらためて「永遠じゃない」ということを、
教えてもらいました。
糸井
ぼくのなかには、
この本が「どう終わるんだろう」と
「永遠のように思えてくる」という気持ちが
交差していたんです。
矢部
ぼく、あの家には8年前からすんでいて、
あたり前のことなんですが、
ぼくと大家さんの関係も8年になるんです。
糸井
そうですよね。
矢部
大家さんはいまもお元気なんです。
お元気なんですけど、
やっぱりちょっとずつ大家さんにも、
ぼくにも変化があって‥‥。
糸井
うん。だって、8年って短くないですもん。
矢部
はい。
糸井
矢部さんは、
ほんとに「大家さん」って呼んでるの?
矢部
いえ、本当はちがうんです。
はじめのころに大家さんから
「名字で呼んで」っていわれて、
それからは‥‥。
糸井
「大家さん」だと、
ちょっと仕事っぽいもんね。
矢部
なので、そこが漫画のなかの
いちばんのウソですね(笑)。
糸井
いや、その感じもいいと思いますよ。
現実よりちょっと宙に浮かせて、
人が見てもいいようなものに
しなきゃいけないわけだから。
矢部
はい。
糸井
人が見ているところでの仕事は、
やっぱりその人を成長させますよ。
矢部さんもこの1冊のなかで、
あきらかに絵が上手くなってるし。



漫画は、昔から描いていたんですか?
矢部
いえ、まったくでした。
でも、絵を描くのは好きで、
いつも台本に落書きをしてました。
糸井
普通、まったくの素人が漫画を描くと、
背景をななめにするとか、
奥から人が迫ってくるとか、
そういうことを考えないまま、
終わっちゃうんです。
矢部
あぁ、なるほど。
糸井
でも、矢部さんの場合、
はじめから「どうすれば伝わるだろう」とか
「こんな絵、自分に描けるだろうか」とか、
そういうところから出発してますよね。
矢部
あぁ、そうかもしれないです。



じつは、いちばん最初に
新潮社さんに持ち込んだものを、
きょう持ってきていて‥‥。
糸井
へぇ、どれどれ。
矢部
やっぱり、絵がまだまだ‥‥。
糸井
あぁ、あぁ、なるほど。



最初、新潮社のどこに
持っていかれたんですか?
矢部
もともと知り合いだった
漫画原作者の倉科遼さんという方に。
糸井
へぇー。
矢部
その方が、
大家さんとぼくの関係を
おもしろがってくれて、
「なんか作品にさせてよ」って
いってくださったんです。
糸井
倉科さんが?
矢部
はい。それで
「プロットみたいなの、描いてみてよ」
といわれたので、
4コマみたいにして描いたんです。
そしたら倉科さんが
「これいいね。漫画にしなよ」って。
糸井
そこが鋭いなぁ。
矢部
「下手だけど、いい感じだよ」って。
糸井
つまり、はじめは「絵コンテ」だった?
矢部
そうです。
糸井
単行本になっても、
まだその雰囲気は残ってますよね。
ぼくは、文章と絵コンテでは、
作品から出る生々しさって、
ぜんぜんちがうと思うんです。
矢部
はい。
糸井
よく伝わってくるのは、
絵コンテなんです。



たとえば、矢部さんは、
大家さんの眼鏡の奥、
目を描かずに表現してますけど、
これを不気味にしないで描くのって、
けっこうむずかしいと思うんです。
矢部
あぁ、はい。
糸井
なのに、矢部さんは
「この人は不気味な人じゃない」って、
最初から安心しきって描いてます。
矢部
はい(笑)。
糸井
そういうことって、
文章だけだと伝わりにくいんです。
「眼鏡の奥の目は見えないけど、
この人は私に安心感を与えてくれる」では、
あまりにも説明的すぎます。
矢部
ええ。
糸井
読者は矢部さんのことを、
なんとなく知ってますが、
大家さんに関してはそうじゃない。
だから、読みはじめは
「大家さんという人は、
なにを考えているんだろう」って、
ちょっとだけ気をつかうんです。
矢部
ぼくも最初はそうでした。
警戒心というか、
「こんな関係はあり得ないだろう」と
思っていました。



でも、気がついたら、
なぜか大家さんから
すごく誘われるようになっていて。
「矢部さん、お茶しませんか」って(笑)。
糸井
うんうん。
矢部
その頻度がすごく多くなって、
ぼくもそんなに忙しくないから、
けっこう応えられちゃって(笑)。



そこから、どんどん
大家さんの世界に興味が出てきて、
「もっと大家さんのこと知りたいなぁ」って。
糸井
最初、ぼくはこの漫画を
わたされたときに、
「その距離感がいいのかな」
と思ったんです。



だから、はじめは、
おもしろいとかつまんないとか、
あんまりなかった。
矢部
はい。
糸井
でも、読み進めていくと、
読者としての自分が、
知らないうちに大家さんに
「懐いて」いたんです。
矢部
あぁ。
糸井
ただ、物語としては、
大家さんと矢部さんが
すごく仲良くなることが
ゴールというわけでもないから、
どうなるのかが全然わからない。
矢部
そうですね(笑)。
糸井
そのよくわからない関係がおもしろくて、
読みながら「へぇ、これで成立するんだ」
という驚きがあったんです。
そうしたら、大家さんが入院しちゃって‥‥。
矢部
あ、はい。
糸井
あのとき
「うわぁ、『これで成立するんだ』とか、
そういうこと思ってゴメン!」って(笑)。
矢部
そうでしたか(笑)。



でも、なんていうんだろ、
入院は本当にしちゃったんです‥‥。
糸井
そうなんですよね。
矢部
本当のことをいうと、
もともとこの漫画は、
その「成立するんだ」で
終わらせる予定だったんです。
糸井
え、そうだったの?
矢部
はい。
連載をはじめたころって、
大家さんもまだまだお元気だったから。
糸井
あぁ、そうか。
つまり、興味深い他人のままだったんだ。
それが、突然‥‥。
矢部
はい‥‥。



じつは、単行本のエンディングは、
すでに別の話を用意していたんです。
なので、病気のことを描かなくても、
本としては終わらせられました。
ほんとはそうしようと思っていたんです。
糸井
うん。
矢部
でも、大家さん、
戻ってこられたから‥‥。あの家に。
糸井
うれしいよね。
矢部
もう、ほんとにうれしかった。
大家さんが戻ってこられたのは、
ぼくにとっても
けっこう大きな出来事でした。



それで「これなら描けるかも‥‥」って。
糸井
うん、描ける。
矢部
はい。
もう「描かせてください」って感じでした。
(つづきます)
2018-02-02-FRI