お久しぶりです。
ご無沙汰してしまってごめんなさい。
『NEWS23クロス』という番組を
この3月で卒業し、
今は報道の解説委員という仕事をしています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
きょうは先日観た舞台のお話です。


父と子の冒険[1]

誰が好き好んで46歳で
新しい世界に飛び込もうとするだろうか。
ましてや子どものころからの鍛錬が
ものをいう伝統芸能、
そこには芸だけでない、
込み入った作法やしきたりが
がんじがらめに絡まっているに違いない。
それでも運命の糸に導かれたとき
人は清水の舞台から
飛び降りることができるのだろう。

その予感はあった。
香川照之は『キネマ旬報』に
映画への思いや
俳優としての体験談を連載している。
自分の仕事を楽しむだけでなく
共演した俳優や監督たちを観察し
敬意を持って描写していく姿勢に
いつも驚かされるのだが、
2006年2月に書かれた
「市川から遠く離れて」というコラムは
ふだんとは異質な濃密さに包まれている。

いま活躍している俳優のほとんどは
自分の血筋など意識せずに
毎日を生きているだろう。
しかし6代続く歌舞伎俳優の
長男として生まれながら
それを継ぐことなく、父親とも歌舞伎とも
離れて生きているとなると話は別だ。
このコラムの中で香川は
歌舞伎役者としての「自分自身の男の系譜」を
強烈に意識していることを告白している。
そして自らを
「綿々と受け継がれてきた家系の精神を
 繋ぐという男子の使命に出遅れた男」と呼び、
最後の一文をこうしめくくる。
「目を開ける。
 最近ますます父に似てきた私が、
 鏡の中にいる」


先月終わり、その香川を観るために
新橋演舞場に足を運んだ。
いやもはや香川照之ではない。
市川中車(ちゅうしゃ)を観るためだ。
もちろん2代目猿翁、4代目猿之助の
襲名披露という大きな節目の舞台でもある。
そのうえ香川照之が46歳にして
歌舞伎の世界に飛び込んで9代目中車を襲名、
その息子の初舞台も観られるとあって
チケットはすぐ完売になったという。



最初の演目である
「小栗栖(おぐるす)の長兵衛」の舞台が開くと
誰もが固唾をのんで市川中車の出番を待った。
そして幕が上がって
20分近くが過ぎたころだろうか、
いきなり花道から派手に登場する。

いかにも悪党という大仰な化粧に、きたない着物、
竹やりをかついでふてぶてしく闊歩する。
大きな拍手ともに、思わず笑いも湧き起こる。
酔って悪態をつく演技は堂に入ったもの
さらに長台詞もなんなくこなし、
さすがにその存在感は際立っていた。

おそらく考え抜かれた出し物なのだろう。
確かに歌舞伎の演目には違いない。
それなのに台詞もすべて理解できるうえに
村の鼻つまみ者がヒーローになるという
わかりやすい筋立て、
周りの人間たちの変わり身の早さを
描く展開も実に面白い。

さらには新歌舞伎と呼ばれる演目だけあって
古い歌舞伎の型をあまり感じさせず
見栄を切る場面もない。
要するに
歌舞伎の経験のなさを目立たせず
しかも俳優としての豊富なキャリアを
生かす舞台としては
これ以上のものはないと思わせる内容だった。
最後、馬に乗って勇ましく退場する姿に
惜しみない拍手が送られると同時に
どこかほっとした雰囲気に包まれた。

そして休憩をはさんで
みなが勢ぞろいする口上が始まった。
同じ姿勢をとっているはずなのに
中車の姿は違う趣をみせていた。

(続く)

2012-07-19-THU
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