第1回 お祭り広場って何! 朝日新聞には広場があります。ほらあれです、お祭り広場。楽しげですが実際は壮絶です。

はじめに

数か月前の、ある日。
朝日新聞社と「ほぼ日」のスタッフ数名は、
「いつか何かをいっしょにやりたいですね」
という漠然とした話をはじめ、
ほそぼそと交流をはかってきました。
そして、
「いちど会社を見学にいらっしゃいませんか?」
というお声がけをいただき、
糸井重里と「ほぼ日」乗組員は
朝日新聞東京本社を訪れることになりました。

新聞ができあがるまでの工程を追い、
新聞という世界に身を置いて
日夜働く人びとの姿を目にして、
我々は、現場の人たちが考えたり迷ったりしている
さまざまな問題に
ふれていくことになりました。

朝日新聞と
ほぼ日刊イトイ新聞。
歴史、働く人の数、読む人の数、
どれをとってもちがう
両「新聞」社。
また、同じインターネットの世界にありながら、
朝日新聞社が運営するニュースサイト
asahi.com」と「ほぼ日」では、
成り立ちも、考え方も、ちがいます。

しかし、糸井重里が
インターネットサイトを立ち上げようとしたときに
その名前を、ほかならぬ
「ほぼ日刊イトイ『新聞』」にしたのは、
いくつかの思いがあったようです。
創刊から12年が経過したある日、
糸井は、「ほぼ日」の「今日のダーリン」で、
こんなことも書いていました。

 

 「ほぼ日」はね、
 「ほぼ日刊イトイ新聞」って言うんだ、ほんとはね。
 だけど長いから「ほぼ日」って言うんだよ
 ‥‥なのですが、名前に「新聞」と付けたかった意味が、
 いまさらなんとなくわかったような気がしました。

 いまでも、新聞社って、恐竜の化石を呼んだり、
 野球の大会を開いたり、いろんな宝物を展示したり、
 映画にお金を出したり、ホールで落語をやったり、
 いろんな「出し物」の仕事をしてますが、
 歴史を掘り返してみたら、
 もっと、とんでもなく奇妙なことまで、
 いっぱいやってきてるんですよねー。
 
 新聞社勤めっていうと、なんとなく、
 典型的なホワイトカラーのインテリのって感じだけど、
 本来は、たくさんの人集めの「出し物」を打っていく
 危うくてダイナミックな仕事も、
 同じ根っこから出ていたはずなんですよね。
 そういうことを思い出したほうが、
 新聞というものの可能性を感じるんだよなぁ。
 
 「ほぼ日刊イトイ新聞」も含めて(あえて含めてさ)、
 新聞の可能性って、まだ探れてないような気がするなぁ。

         2010年7月2日 今日のダーリンより

 

大きなメディアも小さなメディアも
活字も放送もインターネットも、
どこへ向かっていけばいいのか、
少し迷ってしまうような時代です。

朝日新聞東京本社への訪問は、
糸井重里を含めた総勢12名で行いました。
12名といえば、東京糸井重里事務所社員の
約25%にあたる人数です。
見学前夜、訪問する乗組員は全員、
意気込みを作文にして提出しました。
こちらがその作文です。

では、朝日新聞社への訪問をはじめます。

こちらが、朝日新聞東京本社です。

入口にいざなう階段が
すでに「新聞」になっています。

まず我々は、
一般にも公開されている
見学コースの道順に沿って
朝日新聞東京本社内をめぐることにしました。
朝日新聞社の見学に訪れる人の数は、
年間3万人にのぼるそうです。

この不思議な扉は、編集局に通じる
エレベーターです。
新聞の記事のような柄が刷られています。

このドアは,
朝日新聞創刊100年を記念して
作られたそうです。
創刊100年となった1979年1月25日の各国の新聞記事が
エレベーターのドアになっているのです。
つまり、朝日新聞の創刊は1879年(明治12年)。
大阪で創刊されました。
(ちなみに、「ほぼ日」の創刊は
 1998年6月6日です)

100年以上の歴史をしみじみ感じつつ、
エレベーターを降りた我々は、
編集局に足を踏み入れました。
「ドラマの中の新聞社とおんなじ!」
と感激する一同です。

新聞社は情報を扱う現場であり、
編集局には発表前の資料などもあることから、
原則的に、社屋内の写真撮影はしませんでした。
そのため、ここからしばらくは
イラストをおりまぜてお届けいたします。

編集局のフロアは、ほとんど仕切りのない、
広い空間でした。
すっきりと片づけられた机に
Windowsのパソコンが並んでいて、
人びとが静かに作業をしていました。
そして、天井から
「政治」「経済」「文化」「国際」
と書かれたプレートが下がっていました。
扱う記事内容で部署が分かれているようです。


ひと目で、どんな記事を扱う部署かわかる。
何もかも整理されている。

「ほぼ日」のシステム部(通称:宇宙部)の佐藤は、まず
「机の上にものを置かないんだね」
「時間に追われる厳しい仕事だから、
 机の上が散らかっていたら
 やってられないんじゃないかな?」
とつぶやいておりました。
それは、我々編集部(読みものチーム)のメンバーへの
あてこすりでしょうか。
(宇宙部は、精密機器を扱うため、
 ケーブル類の処理、ほこり、静電気、
 人の転倒などに厳しいのです)

天井から下がるプレートの中に、
不思議なものがありました。
「お祭り広場」というプレートです。
お祭り広場‥‥?


お祭り広場。たのしそうな広場。

案内をしてくださっている
朝日新聞社の方に、訊いてみましょう。

「お祭り広場ですか? 
 はい、なんだか楽しそうな名前が
 ついているんですけれどもね(笑)。
 ふつうは、政治の記事であれば
 政治のグループの人が、
 文化的なニュースなら文化のグループの人が
 記事を担当します。
 けれども、
 世の中の誰もが気になるような
 大きなニュースや複雑なニュースについては、
 担当関係なく集まって
 グループを越える話し合いが行われます。
 その様子がワイワイガヤガヤにぎやかで、
 まるでお祭りのようだということで、
 “お祭り広場”という名前がついているんです。
 ただ、実際には‥‥お祭り広場というよりは
 ほんとうにたいへんな現場となります」

名前は楽しそうですが、じつは壮絶な。

「‥‥はい。そのとおりです」


じつはたいへんな広場(想像)。

そのお祭りが
盛り上がりを極めた際‥‥って、
ありますよね。

「はい、ありますね」

それを収める人は誰なんでしょう。
朝日新聞には、
編集長はいらっしゃるんですか?

「当番編集長というプレートが
 あちらに下がっているのが見えますか?」

はい。
‥‥ということは、編集長が、
当番制なんですか?

「はい。朝日新聞東京本社には
 4人の編集長がいます」

そうなんですか!

「新聞には朝刊夕刊があって、
 ほとんどお休みはありません。
 編集長を当番制にしているのは、
 体力的にたいへんである、ということと、
 考えに偏りが出てしまうことを防ぐ、
 という理由があります。
 いろんな考えを持った4人が
 日替わりで編集長になることによって
 偏りのない紙面を作ることができるのです」

なるほど。

「朝日新聞には、東京以外にも本社があるのを
 ご存知ですか?」

本社がほかにあるんですか?

「東京、名古屋、大阪、西部、
 全部で4つの本社があります。
 “本社”と名前のつくところで
 それぞれの新聞の編集を担当していますので、
 作る地域によって紙面がまったく違う
 ということもありえます。
 それぞれの地域で、話し合いが
 どういう結果になったのか、
 電話でやりとりをしています。
 『東京本社ではこういう話し合いをしました。
  西部本社さん、大阪本社さん、どうでしたか』
 というように、共有をしています」

スピードも必要ですから
電話で共有するんですね。

「夕方から夜中まで、朝刊が出るまでのあいだに
 3回くらいデスク会が開かれます」

糸井はフロアを見渡して、
こう言いました。

「人んちって、おもしろいなぁ」

はい。真剣で切実な職場は、
たくさんの考えがあちこちに見えます。


(訪問、次回につづきます。次回は、鳩が出ますよ)


2011-01-11-TUE
イラスト:イリアヒム・カッソー