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第6回アメリカから日本へ。

糸井
手塚さんは、影だけじゃなく、
目の描き方にも変遷がありますよね。
そのひとつひとつを浦沢さんは
見逃してないんでしょうね。
浦沢
はい、そうです。
アトムって、こういう目をしてますよね。
糸井
はい。
浦沢
手塚さんは
『ビッグX(エックス)』のときも、
こういう目を描いていました。
『火の鳥』のヤマト編、宇宙編あたりで、
ちょっと‥‥こんなふうに。
糸井
横に伸びるんですね。
浦沢
1960年代後半あたりからでしょうか。
1970年に入って復活編にもなれば、
もっとタッチが変わっていきます。
糸井
うん、もう、ぜんぜん違いますね。
浦沢
手塚プロダクション編の
『原画の秘密』を見るとわかるんですが、
『ブラック・ジャック』第1回目の
初登場の原稿なんですが、
目を小さくする修正を
なさっているところがあるんです。
絵を時代に合わせていく、
手塚先生的なやり方だったんでしょう。
糸井
眉の形も変わっていきますね。
浦沢
時代が「劇画」になりつつあるところに、
手塚先生が、どのぐらいコミットできるか、
ということだと思います。
背景もどんどん
リアリズムのほうに歩み寄っていきました。
劇画というものと、いちおうは対向して
やっていく姿勢だったとは思いますが、
自分のなかでどこまでできるか、
チャレンジなさっていたんでしょう。
糸井
手塚治虫さんの、あの忙しさの中で、
新しい方向にちょっとでも向かおうとすることが
すごいですね。
浦沢
マンガ界の中で、手塚先生ほど
絵柄が変化した人は
いないんじゃないかなと思います。
すごくフレキシブルでした。
糸井
変わることで、
手塚治虫であり続けられた、
という人なのかもしれないですね。
この目‥‥いま、ここで気づいたんだけど、
戦後日本とアメリカの関係を
まさにあらわしていますね。
浦沢
はぁ、あの‥‥?
糸井
あの‥‥えーっと。
浦沢
糸井さん、描いてみてください。
糸井
本職の前で‥‥。
浦沢
いやいや。
糸井
じゃあ、描きます(笑)。
おおもとに、この目があるんですね。
浦沢
はい、はい。あります、あります。
糸井
ミッキーの目ですね。
で、これをマルで囲むと、杉浦茂さんになります。
ミッキーの最初の頃は、
目がパックマンみたいだったりするんですね。
で、手塚さんの初期は、
このミッキーの、パックマンの流れだと思います。
浦沢
そうですね。
糸井
これがどんどんどんどん、
劇画を媒介にして、
『ゴルゴ13』のような切れ長に至るわけです。
マンガの中の動きも、ギャグもぜんぶ、
アメリカの動画の描法でした。
そこから手塚さんが離脱していくプロセスが
見てとれるような気がします。

それはマンガだけじゃなく、
電化製品から何から、
全部がそうだったのかもしれない。
アメリカのデザインで、
アメリカから来たものをそのまま使っていました。

それが唯一の価値だった時代から、
日本ならではのデザインや生活を作っていく。
その歴史と手塚さんの「目」の変遷が
重なるんじゃないかなぁ。
浦沢
いわゆる、日本マンガの
オリジナルなかたちになっていく、
ということですね。
糸井
はい。
いまの日本のマンガは、
途中からアニメーションが入ったことで、
もうひとつ分岐があると思います。
アニメーションは、
大量生産するための記号化が含まれますからね。

でもそれ以前の、
個人がマンガ家として描いてきた絵の変化は、
アメリカと日本の関係に
とても符合するんじゃないでしょうか。
浦沢
アメリカから取り入れた
「初期のマンガの絵」は、
1枚でもTシャツのイラストになる感じがしますね。
糸井
なりますね。
浦沢
マンガひとコマを取り上げて
カレンダーになったりもします。
『タンタン』もそうです。
1個で充分イラストになるような、
「一枚絵」として存在感が強いのが、
アメリカやヨーロッパのマンガです。
糸井
ああ、まったくそうですね。
浦沢
けれども、
日本のマンガは「連なり」なんです。
糸井
うん、うん、そうですね。
浦沢
1枚ずつ絵を取り出しても、それでは弱い。
くり返しめくっていくことで魅力が出ます。
日本の場合は、連なりになればなるほど、
ページ単位で成立させていく。
そういう方向に、日本のマンガは
どんどん向かいはじめました。

(最終回に、つづきます)

2016-08-09-TUE