神業的ノミさばきを見に行こう!混んでも行くべき? 運慶展

第二回
運慶という人の個性

──
日本では今回の運慶展のように
仏像を並べて展示することが
めずらしくありませんが、
たとえば聖マリア像を集めた「マリア展」は
西洋の博物館にはないように思います。
どうしてでしょうか。
山本
日本における仏像の特別な意味を
表しているかもしれませんね。
仏教は東アジアに広がったわけですが、
日本人は仏教が好きで、
とりわけ「仏像そのもの」が好きです。
仏像が好きなのは、運慶をはじめ、
すぐれた作家がいたからです。
中国にも仏像の長い歴史はありますが、
日本のように仏像作家の名が
喧伝されてはいません。
──
中国の仏像作家は、どちらかというと職人的?
山本
そうですね。運慶は、作家の流れとしては
定朝(じょうちょう)から始まる
流れの中にあるわけですが、
定朝という存在はとても大きい。
藤原道長が作った寺の本尊を作った定朝は、
道長から法橋という高い位をもらいます。
お坊さんとしてかなり高い位で、
社会的にもとても高い地位です。
これによって、仏像作家、つまり仏師の地位そのものが
とても高くなったのです。
地位が高いから、その仏師の名が残る。
一方、中国の仏像作家はもっと職人的で、
それが日本と違うところです。
──
なるほど。
ということは、日本の仏像というのは、
宗教の対象としてよりも美術品として
とらえられているということでしょうか。
実際、運慶展に並んだ仏像を見て、
手を合わせて拝んでいる人は
いなかったように思います。
山本
博物館で拝むかどうかについては別として、
運慶の場合、「宗教を超えた祈り」を
感じさせると私は思っています。
たとえば、高野山の有名な
八大童子立像(はちだいどうじりゅうぞう)。
そのなかに手を合わせている
少年の像があるのですが、

国宝 八大童子立像のうち矜羯羅童子 運慶作
鎌倉時代・建久8年(1197)頃 和歌山・金剛峯寺蔵
写真:高野山霊宝館

その手を合わせている姿を見ると、
仏教の合掌だかなんだかわからない人にも
何かを祈っている少年だということは
はっきりとわかる。
これはもう、時代も国籍も民族も
すべて超えていると思うのです。
作者の運慶は、人体という素材をつかって、
永遠の祈りを表現している。
そういう世界のなかに観覧者もいるのだとすれば、
仏像の前で祈るかどうかとはもう、別のこと。
運慶がつくりだした仏像、仏教世界、
そのなかに観覧者は入り込んでいくわけです。
運慶にも、運慶の仏像を拝む人のなかにも
仏教の世界がある。
たとえば極楽浄土なら極楽浄土という情景があって、
それをまるで見てきたように表現できる運慶がいて、
その仏像をそばで見ている人たちは
まるで自分も見てきたかのように
感じることができる。
──
実感できる、ということですね。
山本
ええ。たんに見るのではなくて、
舞台で役者が演じている前にいるような、
さらにいえば一緒に舞台にあがって、
役者と同じ空間にいるような、そんな感じでしょう。
──
そういう世界を作り上げるというのが
運慶という仏師のすごさなんですね。
だからこそ、これだけの展覧会が企画され、
いまなお人気を博しているということですね。
山本
昔の仏師も、それよりさらに過去の仏像を見て
勉強するわけですが、目がいいかげんな人は
ちゃんとした形を模倣できない。
運慶のように、目がよくて腕がいい人だけが
過去の形を再現でき、
そこに何かをくわえることができる。
平等院鳳凰堂の本尊を見ると、
定朝もすごい人だったのだろうと思いますが、
残念ながら定朝はその人物像を
想像できる資料がほとんどなくて、
どういう人だったのかわかりにくい。
それに対して運慶は男の子供が6人いたとか、
ほかにも女の子もいたとか、
人生のいろんな部分がわかっていて、
そのあたりも人気の要因かもしれません。
──
運慶って、どんな人だったのでしょう?
山本
そうですね‥‥
感覚のすぐれた人ということは言えます。
また、作品を見ていると、
ある種の明るさがあります。
ですから、私は昔から、
長嶋茂雄みたいな人だったのではないかと思ってます。
──
長嶋茂雄(笑)!
山本
そう思うんです。
運慶は、しばしば兄弟弟子の快慶とあわせて、
「運慶・快慶」と並び称せられますが、
快慶という人は自分の決まった形をつくって
仏像を量産した人で、
そういう意味では、長嶋さんというよりは
王貞治さんに近いのではないかと思っています。
あ、いや、こういう言い方をすると
王さんに失礼かもしれませんけど(笑)。
──
「運慶と快慶」といえば、
今回の展覧会には出されていませんが
奈良の東大寺の「阿吽(あ・うん)」の
金剛力士立像の個性の違いが語られますよね。
山本
はい。ふたつの像の制作の分担については、
現在もたいへんな議論があるのですが、
とりあえず阿形を快慶、吽形を運慶とする
説にしたがってお話しましょう。
この2体、ずいぶん違いますよね。
──
快慶が担当したといわれる阿形像が端正なのに対し、
運慶が手がけたとされる吽形像はものすごい迫力です。
山本
そうですね。
写真でみると運慶の吽形の方はやや不格好だし、
右腕のあげかたも不自然な感じすらします。
ところが実際現地にいって、門のなかにいるのをみると、
快慶の阿形よりも運慶がつくった吽形の方が
はるかに迫力があって、
狭い門のなかで暴れているような印象すら受ける。
ポーズもよくみると不自然なのに、
この不自然さが狭い空間とせめぎあう。
それでとんでもない迫力を作るんです。
それは顔立ちにも言えることで、
運慶のつくった吽形は
おでこと鼻が大きな2つの矢印を形作っている。
前へ前へと飛び出していく方向性を強調している。
──
あああ、ほんとだ!
山本
快慶の阿形は、それに対してきれいです。
ヒゲもきれいに彫ってあるし、
血管も丁寧に彫り出している。
一方、運慶の吽形の方は、
「もう血管なんか彫ってる場合じゃない!」
というような感じで(笑)。
この違いが、運慶と快慶の違いだろう
というふうに理解できます。
西洋彫刻のような理想的な人体のプロポーション、
たとえばミケランジェロが写実であるとすれば、
運慶は一種の抽象といっていいくらいの強調です。
──
個性がはっきり出ているのですね。
山本
ただし、阿形という存在が
もともと持っている性格と、
吽形が持っている性格があるわけですから、
快慶は阿形像にふさわしい表現をし、
運慶は吽形像にふさわしい表現を選んだと
考えることもできます。そのあたりは、
まだいろいろ考える余地はあるだろうと思います。
──
そういう想像をしながら
像をながめるのもおもしろいですね。
山本
そうですね。また、こうした
わかりやすい対比表現がある一方で、
無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう)と
世親菩薩立像のように、微妙な対比表現もあるのです。

(左)国宝 世親菩薩立像、(右)国宝 無著菩薩立像 ともに運慶作
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
写真:六田知弘(2点とも)

この2体の像は「運慶展」では
360°どこからでも自由に、
後ろからも見られるように展示されていますから、
周りをぐるぐるまわりながら
いろいろと考えていただければいいと思います。
たとえば、「若さ」や「老い」の表現。
それは、顔のつくりだけでなく、
衣のひだの動きや、しわの違いなどによっても
表されるということがわかると思います。
運慶の作品においては、衣を表現することで、
衣の中にある肉体の年齢が表現されている。
さらに顔の角度といった微妙な違いによって、
上から光があたったときにどう見えるか、
といったことが計算しつくされています。
言われなければわからないような
とても繊細な表現によって、
見た人がさまざまなことを
自然に感じ取ることができるように
運慶の作品はつくられているのです。
──
それが、運慶の、人体の表現。
山本
はい。漫画のようにシワを描いて記号的に
おじいさんにしましたというのでなく、
体全体、肉体、肉体がまとっている衣などを
ぜんぶ動員して、自然に老年と壮年が
わかるようにしている。
それを美しくやってのけるのが運慶なのです。

(つづきます)

2017-10-24-TUE

プロフィール
山本勉(やまもと・つとむ)

美術史家。清泉女子大学文学部文化史学科教授。
日本彫刻史専攻。1953年、神奈川県生まれ。
東京芸術大学大学院博士後期課程中退。
24年にわたる東京国立博物館勤務を経て、
2005年より現職。著書に『運慶大全』
『仏像のひみつ』『運慶にであう』など。
共著に『運慶 リアルを超えた天才仏師』。