第1回 日本の魚は「世界一」じゃない。   2014-06-16-MON
第2回 個別漁獲枠制度。   2014-06-17-TUE
第3回 はじめはみんな猛反対。   2014-06-18-WED
第4回 魚食というソフトウェア。    2014-06-19-THU
第5回 楽しめる「魚ムーブメント」に。   2014-06-20-FRI
第6回 三陸から漁業を変える。    2014-06-23-MON
第7回 「誇り」が商品力を上げる。   2014-06-24-TUE
第8回 やっぱり魚が好きだから。    2014-06-25-WED
 
糸井 まず、ここにいる社員たちに
ちょっと質問してみたいと思います。

「日本の魚が、いちばん品質が高い」
と思っている人‥‥? 
会場 (ほとんどの乗組員が手を挙げる)
糸井 おおー‥‥おみごと。
勝川 はい。
糸井 では、品質が高いのは
ほんのごく一部でしかないと思っている人?
会場 (数名が手を挙げる)
糸井 今のは、わりに知識のある人ですね。
勝川 そうかもしれないです。
糸井 で、「最初の質問に手を挙げた人」は
「まちがってる」んですよね。
勝川 残念ながら。
会場 (ざわざわ)
勝川 今、北欧のノルウェーから
大量に「サバ」が輸入されているんです。

もちろん、
日本でもおいしいサバは捕れますけど、
値段を比較してみると
日本のサバより
ノルウェーのサバのほうが、ぜんぜん高い。
会場 (ざわざわざわ)
勝川 というより、
日本も、サバを輸出しているんですが、
世界でいちばん安いです。
会場 ええー!
勝川 なぜかというと、
日本では「漁獲規制」がほとんどないので、
「ローソクサバ」といって
未成魚、つまり0歳の状態で捕ってしまう。

でも、そんなやせ細ったサバなんて
日本人、食べないでしょう?
だから海外に売るか、
マグロ養殖のエサにするしかないんですね。
糸井 なるほど。
勝川 すると「1キロ80円」とか、
そんな安い値段に、なってしまうんです。

つまり、
せっかく「サバ資源」を持っているのに
それらは食べずに海外へ売り、
ノルウェーから
「1キロ300円のサバ」を買っている。
糸井 うーん‥‥。
勝川 これは、実にもったいない話です。

なぜなら、
ノルウェーと同じ捕り方に変えてやれば
日本のサバだって
質の高いものになるからです。
糸井 捕り方とは「ルール」のことですね。
それ次第で「質」を変えられる?
勝川 はい。
糸井 そのことについては
おいおいうかがっていくとして、
まず、たぶん、みなさんがイメージしている
「日本の漁業」って
誇り高く、技術にもすぐれた漁師さんたちが
少しでもたくさんの魚を狙って
男らしい競争を繰り広げて‥‥みたいな。
勝川 ええ。
糸井 そして、消費者であるぼくら日本人は
最高に鮮度のいい、
よその国では、ちょっと出てこないような
おいしい魚を食べている。

そう思い込んでいたけど、ちがうぞと。
勝川 1970年代までは、そうだったんです。
糸井 ずいぶん昔、なんですね。
勝川 ええ、今のは「40年前までの話」です。

ぼくが小学生くらいまでは、
今、糸井さんがおっしゃったような認識で
まちがいじゃなかったんです。
糸井 それが、どうして?
勝川 日本の漁業の歴史をふりかえると、
まず、戦後の食糧難で
とにかくタンパク質が足りませんでした。

穀物すら不十分な時代に
肉なんて生産できるはずもないですから
日本人は、
海へ魚を捕りに行くしかなかったんです。
糸井 ええ、ええ。
勝川 だから国を挙げて、漁業を推進しました。

世界中の海へ
冷凍技術を発達させた日本の漁船が
出かけて行っては
たくさん魚を捕って帰ってきたんです。
糸井 そうやって、国民の胃袋を満たしていたと。
勝川 日本の漁業がものすごく良かった時代、
ずっと右肩上がりで
日本漁業の黄金時代と言っていい時代。
糸井 そんな時代が、1970年代に終わっちゃう。
勝川 当時は、新しい漁場と未利用資源が
ふんだんにあったから、
捕れるだけ捕って、
魚がいなくなってしまっても
別の漁場へ行けば問題なかったんですよ。
糸井 近場の資源を取り尽くしちゃっても
遠くへ足を伸ばせば、それでOKだった。
勝川 戦後、飢えた国民のところへ
たくさんの魚を捕って帰ってくるというのは
本当に、大切な仕事でした。

漁業に知恵や技術を総動員することは
国益にもかなうことだったんです。
糸井 そうでしょうね。
勝川 高い国内需要と、世界の資源を使えたこと。

そのふたつの要因が
国民の食生活を支える産業としての漁業を
発展させていきました。
糸井 それは、日本が「工業化」していく歴史と
シンクロしているわけですよね。
勝川 でもその一方で‥‥
海の水産資源の「持続性」に関しては、
意識すらされてこなかった。
糸井 ‥‥なるほど。
勝川 当時の食糧事情を考えれば
あるていど、
やむをえなかったことだとは思います。

その時代の海には
「公海自由の原則」がありましたから
他国の沿岸3海里‥‥
つまり5キロくらいの海域まで入って
自由に魚が捕れたんです。
糸井 だから「世界中」へ行けたんだ。
勝川 ノルウェーやロシア‥‥当時はソ連ですが、
他の漁業国も、
日本と同じような捕り方をしていました。
糸井 つまり「競争」ですね。
勝川 そうした「早捕り合戦」のなかでも
日本は、世界でも圧倒的に強かったんです。
糸井 ぼくが子どものころに
よく「オリンピック方式」という言葉を
聞いたんですけど‥‥。
勝川 はい、オリンピック方式というのは、
全体の漁獲枠が決められていて
その枠内での「早い者勝ち競争」なんですが
当時は、漁獲枠も規制もない。

もう、ルールなしの‥‥無限の競争。
糸井 なるほど。
勝川 でも、水産資源は無限じゃありません。
糸井 はい。
勝川 よその国の大型船が沿岸までやって来て、
ごっそり捕って帰っても
それを防ぐルールや法律が、なにもない。

だから、沿岸国にできることといえば
自分たちも負けずに捕るか、
指をくわえて見ているか‥‥どちらか。
糸井 だったら、捕っちゃいますよね。
勝川 そうやって世界中の漁場が
どんどん、枯れていってしまったんです。
糸井 結果として、「日本漁業の黄金時代」も
終わりを迎えてしまったと。
勝川 そうなんです。
(つづきます)
2014-06-16-MON
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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN