第1回

なぜ、都営とメトロがあるのか。

ーー
お久しぶりです。

もう3年前のことになりますが、
蔵前駅の乗り換え問題について、
明確な回答をいただきありがとうございました。

今日は東京の地下鉄について、お話をうかがいに来ました。
井上
お待ちしておりました。

(分厚い青いファイルを取り出す)

▲東京都交通局のおふたり。
左が井上さん、右が大塚さん。

ーー
「都営交通トリビア」。

そのファイルは‥‥。
井上
東京の地下鉄や都電、バスの情報を
詰め込んだファイルです。

私が趣味で作っております(笑)。
ーー
趣味ですか!
井上
もうね、今の人は昔の話が分かんないんですよ。

せめて資料だけは後世に残そうと思いまして、
少しずつ作りためてきたんです。

▲左端は広報の市川さん。

ーー
わぁ、では今日はそのトリビアも
いろいろ教えてください。

井上さんと大塚さんは、
このお仕事をはじめてから何年になられるんですか?
井上
私は交通局に48年おります。
大塚
私も、もう32年。

でも井上に比べたら、短いです。
ーー
その間、異動などはなかったんですか?
井上
なかったんです。

昔はひとつの場所にずっといるのが、
特にめずらしいことでもなかったんですが、
今となってはめずらしいみたいです。
ーー
では、おふたりは、
東京の交通をずっと見続けてこられた‥‥。
井上
まぁ、そんなようなことでしょうね。
大塚
(井上さんのトリビア集をパラパラとめくりながら)
すごいですよ、これ。

ぼくもあとでじっくり見ていいですか?

ーー
(笑)
一緒に働かれている方まで、感心されていますね。

さっそくなのですが、
「東京の地下鉄」には、
都営地下鉄と東京メトロがありますよね。

どうしてふたつあるのか不思議なんですけど、
教えていただけますか。
井上
はい。
ご説明します。

日本では、北は札幌から南は福岡まで、
9都市に地下鉄が走っています。

このうち、東京以外の8都市は、
各都市が一元的に地下鉄を経営しています。

なぜかというと、
地下鉄の建設はお金がかかるので、
民間の会社はまずやらないんです。

海外を見ても、
かつてはニューヨークやロンドン、パリで
複数の企業が地下鉄を経営していましたが、
現在は、一元化されています。

二元的に運営している東京の地下鉄は
かなりめずらしいんです。
ーー
なんと、全国でも東京だけが。
井上
そう。

日本で最初に地下鉄ができたのは、
昭和2年に開通した
銀座線の一部、浅草―上野間です。

作ったのは「東京地下鉄道」という会社で、
社長の早川徳次さんは
「地下鉄の父」と呼ばれています。

銅像が東京メトロの銀座駅の中にありますので、
ぜひご覧になってください。

そのころ東京都も、
路面電車とバスを運営していたんですけど、
将来は東京の人口が増えるし、
もっと大人数を運べる交通機関が必要、
ということで、地下鉄を作る免許を取得しました。

ところが、大正12年に関東大震災が起き、
その復興にお金がかかって、
地下鉄を作るだけの余力がなくなってしまったんです。

それで、東京都が作るはずだった一部の区間の免許を、
「東京高速鉄道」の五島慶太さんという、
今の東京急行電鉄を作った偉い方に渡して、
渋谷から新橋までの路線を作ってもらいました。

つまり「東京高速鉄道」が渋谷―新橋までを作って、
また、「東京地下鉄道」が浅草―新橋までを作って、
相互乗り入れをして、今の銀座線になりました。

戦前の地下鉄はその一本だけ。

つまり、最初は私鉄の2社が地下鉄を作ったんです。
大塚
暗記してますね~(笑)。

ーー
まったく何も見ずに、
スラスラとお話になりましたね!
井上
いいですか? 続けますよ。

その後、太平洋戦争がはじまります。

戦時中、
「一般の私鉄や私バスに、
大事な鉄道やバス事業をまかせてちゃダメだ、
国が一元的にやらないと」
という話が出て、
昭和13年に、陸上交通事業調整法という
法律ができました。

そして昭和17年に「帝都高速度交通営団」
(営団地下鉄)を設立し、
そのときあった2つの鉄道会社を吸収して、
東京都の免許もすべて持っていって、
国が一元化して鉄道事業をやることになったんです。

そのかわり、地上の路面電車とバスは、
逆にうちの東京都交通局が全部買収して、
地下は営団地下鉄、
地上は東京都交通局というふうに
分かれて運営することになったんです。
ーー
まずは地上と地下に
分かれたんですね。
井上
はい。
その後、戦争が終わり、
都心に向かう交通需要が増大し、
輸送力が足りなくなりました。

地下は、営団地下鉄が
丸ノ内線を建設していたものの、
他の線まで新設する余力がありませんでした。

それじゃとても戦後の交通事情を
改善できない、ということで、
昭和31年に国の都市交通審議会が開かれまして、
「営団以外のものにも地下鉄を作らせましょう」
となり、東京都にも地下鉄を作る免許をもらいまして、
昭和35年に都営地下鉄の浅草線が開通しました。

その後、営団地下鉄は民営化して、
現在の東京地下鉄株式会社(東京メトロ)になり、
今も東京メトロさんと都営地下鉄と
2つの運営形態が続いてるわけです。
ーー
はぁー。

戦争など、いろんな経緯があって
今の形になったんですね。
井上
はい。

その後、昭和47年の都市交通審議会で、
「東京には地下鉄が13本必要」
という話になりました。

そこでさらに建設が進んで、
現在では都営地下鉄が4本、
東京メトロさんが9本を運行しています。

さ、次、どうしましょうかね。

(何でも聞いてください、という雰囲気)

そうだ、これはトリビアですけど‥‥
みなさん、こういう図は知ってますか?

ーー
見たことないです。

これは何でしょう。
井上
地下鉄を作るときに、
どんな型がいいかというのを
検討したものなんですよ。

地下鉄には
主にペターゼン型とターナー型という
2つの型があります。

ペターゼン型というのは、
基盤目状になっている路線です。

ターナー型というのは、
放物線と直線で成り立っている路線です。

ペターゼン型の地下鉄を使っている
代表的な日本の都市がありますが、
どこだかわかりますか?
ーー
え、どこでしょう。

‥‥難しいです。
井上
大阪なんです。
ーー
あぁー。
井上
このペターゼン型というのは、
早く目的地まで行けるんだけど、
碁盤目状の路線なので乗り換え回数が多くなります。

東京は、ターナー型です。

地下鉄を皇居がある都心でグーッと曲げまして、
多くの路線と交差をさせています。

路線ごとに少なくとも1回は別の路線と交差して、
乗り換えができるようにしています。

さらに、東京都の場合は、この図に加えて
大江戸線が環状にぐるっと回っています。

ーー
これに加えて、大江戸線がある。

たしかに。
井上
一応、2つの型が地下鉄にはある、
というトリビアでした。
大塚
ほおー(笑)。
ーー
すごいです。
大塚
これ、私はすっかり傍聴人ですね。

ーー
(笑)

※この取材は、2017年4月に行われました。

(つづきます)

2017-07-19-WED