その3
ピカソもクレーもできなかったこと。
岩立
手仕事が全部なくなってしまったら、
どうなっちゃうんだろう? と思うんですね。
やっぱり私たちはそういうふうに心が聞こえる、
人間のいちばんほんとうに大切なこととか、
自然だとかが「宿って」いるようなものを、
忘れていいのかな、と思うんですね。
布にしても、器にしてもそうなんです。
しっかりと、それを育ててきたんですから。

けれど、あちら(ラオス)だって近代化に迫られていて、
若い人の職業の選択肢も増えましたから、
手仕事を離れる人もいますよね。
それはしかたがないのかもしれない。

そんななかで、
谷さんがいままで築いてきた16年間の成果があっても、
続けていくのが難しいっていうことになると、
人類にとっては一大事ですよね。
私、ちょっと大袈裟な人間なので
そんなふうに言いますけど、
ほんとうにそうなんですよ。
今回、谷さんとお話しする場に出たのは、
この活動をやめてもらいたくない、
今のまま続けてほしいという気持ちがあるからです。

私が見てきたところでは、インドでも、
物のない時代の手仕事が、いちばん面白かったんですよ。
ちょっとずつ豊かになってくると、
手仕事って減ってしまうんですね。
輝いていたはずのものから、光がなくなってしまう。

そういうことは、よくわかるんです。
私たちだって、いつのまにか、着物を着ることは
ほとんどなくなってしまいましたよね。

ラオスの山のなかだって、
いま谷さんが関わっている40代、50代の
つくり手の方たちが亡くなられた後、
この手仕事は、村の人たちだけの力では
守れないと思うんです。
そうしたときに、谷さんの経験が
すごく大きくこの世の中に
残せるんじゃないかと思うんです。
記録とか、そういうものでね。
それが実際に活かせるかどうか、
っていうことまではわかりません。
けれども、後につなげる仕事。
それは、みんながすごく
求めてることじゃないかなと思うんです。

たとえば、もし谷さんが、
「もう限界、疲れちゃって嫌だ」って言うのなら、
それはそこで終わりなんだと思います。
それもまた仕方のないことです。
ですから、これはただ私の望みです。
手仕事で、ここまで、こういう、いいものを発見できた。
そんな人は非常に少ないんですよ。
そういうわけで、
勝手にはっぱをかけてるような状態なんです。
鈴木
谷さんとは、会って何年ぐらいになるのか
忘れちゃったけど、ほんとうに最近の話なんですよ。
失礼ながら、自分も全然、
存知申し上げていなかったんです。

私はやきものをやっていますけれど、
日本人っていうのはやきもの好きっていうのかな、
茶道なんかの影響も多分にあって、
手仕事のなかでは、やきものは、
ある面で非常に優遇されてると思うんです。

いろいろなやきものつくりのようすが、
映像なんかで紹介されることも多いので、
私のやりかたは、伝統的っていうか、
一見すると旧来からの感じに見えると思います。
──
鈴木さんのつくりかたは、
いまの日本では稀な、昔ながらの方法です。
近くの土を自分で掘ってきて使い、
釉薬も自分で作り、ろくろを使って、
登り窯で焼いています。
自らの手ですべてのことをまんべんなく行うことは、
とてつもない時間と手間がかかります。
畑を耕し、ヤギと鶏と猫と犬と一緒に暮らす、
自然とともにある生活がベースにあってこその
うつわです。
鈴木
その古い感じのやり方というのは、
谷さんのところも言えるんですけど、
谷さんは、ある意味では非常に
恵まれた布作りの村に入られて、
こんにち、お仕事をやっておられるわけです。

岩立さんがおっしゃったように、
ものづくりの土壌だけではなくて、
その場所に根付いてった谷さんという人がいなかったら、
今日こういう布ができてるっていうことは、
あり得ないだろうと思います。

自分はやきもの屋ですけど、
ある程度は何でも見なくちゃというふうな気持ちもあって、
またいろんなものが好きなんで、
ちらちらと見ているほうだとは思うんですけど、
そんななかで、谷さんの仕事はやはり奇跡的です。

というのは、
じつに谷さんは、ものに対して、
非常な確信犯的な、
しかも本能に近いものを持ってらっしゃって、
そのうえで、みんなの協力というものがあるから、
今日では、世界的に見ても存続しえないような、
ほんとうに奇跡的な布作りの状態が生まれていると
私は思うんです。

▲機を織るセンさんと(撮影:鈴木晶子)
岩立さんがあちこち見てまわられた、
80年代ぐらいですか。ああいう状態は、
もう今はないと言っていいと思うんですね。

谷さんの暮らす村もどんどん変わってきて、
もう非常なピンチの状態ではあるんでしょうけれど、
ここ15、6年ぐらい、そのままにしてたわけでなくて、
その手の差し伸べ方は、
単に「作ってよ」っていうような、
「これ、なんぼで買い取るからね、
 どんどん作りなさい」というものではないと思います。
村の人たちとの連携ももちろんですが、
谷さんの自覚的なものがあるからできてるんだと思う。

谷さんの布はやっぱり半端じゃないなって、
私、布についてはかなりおろそかな男なんですけど、
やっぱりすっごいなと思うんですよ。
ほんとうに下絵もなくて縫い付けた模様というか、
絵っていうか。

それから岩立さん。
コレクションなさっている、あの服の模様。
あれはとてもじゃないけど、
現代美術はかなわないと思います。
そいつを平気でやらかしていた。
昔の人がですよ。
ところが、なぜか現代人、
便利な生活をしてる人間は、ほとんどできないです。
そういう能力がない。

私もたとえば、
朝鮮の200年、300年ぐらい前の
陶磁器の模様なんか見ると、
もう憧れるんだけれど、
そしてそれは、
ごく簡単な模様なんだけど、できないんですね。

李朝の時代の絵画の屏風とかね、
そういう絵っていうのは、
いろいろ見たらとんでもなくいい絵なんですよ。
それを平気で、下絵もなく、
誰でもが描いてしまうっていうことのすごさ。

ところが現代では、一流の絵描きとかいわれるような、
有名な芸術家でも、それがなかなかできない。
ピカソなんか、
いわゆるプリミティブアートっていうのから
すごく影響を受けて、
一所懸命描いてるんですよね。
ピカソ、クレー、なかなかやってるなと思うけど、
それでも、とんでもない、かなわないですよ、
と、思います。

テレビなんかでは、
なんでも言葉で伝達しようとするんですよ。
美術の番組でも、料理番組でも。
そこでは場合によっては、
肝心の体験が欠落した状態で説明されちまう。
いま、美術館でもたくさんいい展覧会をやってるけど、
入れば必ず説明の文章が真っ先にあって、
あるいはイヤホンで音声を聞きながら見る。

そうやって言葉で最初に知ってしまうと、
その思考にとらわれちまって、
作られた概念とかが先行して、
直に聞いたり、味わったり、
見たりするっていうのが後になる。
そっくりそのまま見ることができなくなってしまう。

そこから自由になって、
とってつけたものや情報をすっ飛ばして体験すると、
いろんなものが見えてくるんですよ。

食べ物もそうだけど、「もの」っていうのも、
結局は人の好みなんだよと、
そう言われちまえば終わりなんですけど、
一所懸命味わったり、見たりして、体験するしかない。

今ここ(TOBICHI)にいる人たちのように、
けっして少なくない人が、やっぱり手作りのものを、
できれば生活の一部に使いたいなと思ってると思うんです。
それは、触ったり、身につけたりという
「体験」からくるものですよね。

谷さんも思いは同じだと思うんです。
岩立さんも。
特別な芸術として大切にするのもいいんですけど、
常に今、ここにあるもの、
紙コップと同列ぐらいって言ってはなんですけど、
普段の仕事になってほしいと思う。

私の仕事も、やきものではありますけど、
私は「陶芸家」ではないんです。
気持ちとしては、ただ畑を掘って種を蒔いて、
ちょこっと肥料を撒いて収穫してるみたいなつもりです。

近所でも言われてるんですよ、
「ちゃわんこ屋さん」って(笑)。

私は、自分の作ったものを「作物」と思ってます。
これは私が尊敬した鈴木繁男先生が「作物」と言った。
「鈴木照雄の作品」とは言わずに、
「鈴木君の作物は……」って言ってくれました。
それでいいと思うんです。

谷さんの仕事もそうだけれど、
もう時代的には不可能だとも言える手仕事がたくさんある。
それなら、現代の都市生活の上に立って、
どうしたらいいかを考えるべきなのか。

私が尊敬するある人の言葉で言えば、
「永遠性のある今」に立って、
やっぱり何かちょこっとでもやりたいと思う。
それを谷さんはやっておられると思うんで、
私は非常に尊敬しています。
2016-02-09-TUE
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN