黄昏 たそがれ 70歳と60歳と58歳が、熱海で。

糸井 赤瀬川さん、どう思った?
赤瀬川 自分がいつまで生きるか‥‥。
若いころは、もちろん無限だと思ってるよね。
死ぬっていうこと考えないからね。
でも、もうこっちも70歳でしょ?
それこそ、具体的には、
残りの年は一桁かもしれないしね、
これは、しょうがないというか、
「いずれ‥‥」ということを
基本に考えていくように、
少しずつ、変わってきてるんだろうね。
糸井 お別れのごあいさつを準備してる、
というような感じなんですか。
赤瀬川 天寿をまっとうするというのが
いちばんいいと思うんだけど。
なんでいいかというと、
だんだん体弱ってくるんですよね。
そうすると、あきらめる気持ちが
膨らんでくるというのがある。
死に関する本なんかを読んでいると、
苦労した人というのは、
死ぬ瞬間にほっとして死んでいくんだってね。
それはすごくよくわかるんですよ。
やっと開放されるというか、
そうだと思うんですよ。
糸井 鎌倉時代とかの、
死体が累々としてるような時代に
生きていた人たちは、
「生まれ変わったらたいへんだ」
って思って生きていたらしいですね。
赤瀬川 そうですか。
糸井 だから、浄土宗の、
「生まれ変わるんじゃなくて
 死んだあとは極楽に行くんだよ」
というのが、ほんとに素敵に聞こえたっていう。
赤瀬川 ああ、そうなんですか。
糸井 いまは、機嫌のいい時代なんで
死にたくないんでしょうね。
赤瀬川 そうでしょうね。楽だしね。
糸井 「自分が何歳まで生きるんだろう」
というふうに数字で考えるというのは、
それが遠いからこそ、考えられるというか。
そうだろうね。
どこか弱ってきたりすると、
「いや、そんなにいつまでも
 というわけにはいかない」って、
なんとなくわかってくる。
「何歳まで」っていうふうに
考えるっていうんじゃないですよね。
なんとなく、受け入れていくというか‥‥。
赤瀬川 うん、運命だからね。
糸井 それが近づいている人にとっては。
たしかに、なんていうだろう、
夕方になったときに、
これから深夜がくることとか、
「寝るまで、どのくらいだろう」
みたいなことは、思わないね。
もう、なるもんね。
そうなったら。
赤瀬川 ぼくは若いころ、
夕方、黄昏ってありますよね、
あれが、いやだったことがありますね。
糸井 ぼくも、小さいとき、いやだった。
赤瀬川 夜ってあんまり、
好きじゃないんですよね。
若いころは不眠症みたいになってたこともある。
いまでも夜は苦手ですね。
糸井 あ、そうですか。
眠ることも、好きじゃない?
赤瀬川 うん。
眠るのが苦手だから、
ぼくは死ぬのも苦手なのかな。
はっはっは。
糸井 眠るのは、
生き物の安全性から考えたら、
いちばん危ないことですよね。
赤瀬川 そうですよね。
糸井 襲われる可能性が高いわけですからね。
その意味では、眠るのが苦手だというのは、
おもしろいことかもしれない。
うん、正常な。
赤瀬川 生きてる証拠。
  (続きます)


2007-10-10-WED