黄昏 たそがれ 70歳と60歳と58歳が、熱海で。

糸井 「せつなさ」って、人が味わえる
快感のひとつでもあるという気持ちが、
ここ1、2年、とみに湧いてきていて。
「わー、おもしろかった」とか、
「うれしかった」と同じように、
「ちょっとせつなくて」という気持ちがね、
価値を高めてる気がするんですよ。
「寂しくなるよね」って言ったときに、
「寂しくなってやれ」って気持ちさえあって。
それで思い出すのは、写真家の荒木経惟さんが、
奥さんが亡くなったときにやった
「荒木さんを励ます会」という
パーティーのことなんですけど。
赤瀬川 ありましたね。
糸井 出版クラブみたいなとこでやったんですよ。
最後に荒木さんのごあいさつがあったんですけど、
そこで、荒木さんは、
「オレはいま、
 せっかくいい感じで悲しんでるんだから、
 みんなで励まさないでくれ」
って言ったんですよ。
赤瀬川 ああ、そうか。
緑色のスーツを着てたよね。
糸井 だったかなぁ。
なんか、派手な格好してたような気がしますね。
赤瀬川 昨日買ったんだって。
色はなににしようかなと思って、
緑あんまり見ないから、
というようなことを、たしか話した。
糸井 ぼくはそのあいさつをよく思い出すんです。
そのころの荒木さんの作品を見ると、
奥さんのいない家の屋上とか
ベランダの景色とかを撮ってるんですよ。空とか。
ほんとにいい感じで、
この悲しさを味わってるんだから
邪魔しないでくれよ、というあいさつをして、
ぼくには、とてもついて行けないんだけど、
天才というのは、
なんて素敵なこと言うんだろうと思った。
その気持ちをね、
まあ、同じことを味わっていないから
こんなこと言うのはあれなんだけど、
ああ言えた人の気持ちを、
最近、すごく理解できるようになった気がする。
明るくゴーゴーゴーじゃないところに、
悲しみもあるんだけど、喜びもあるというか。
そうだよね。
「味わう」ってそうだよね。
赤瀬川 具体的に、せつなさを味わうというのは、
ちょっとぼくは、まだそこまで行ってないですね。
糸井 そうですか。
わざと悲しい気持ちになりたいとか
いうことなないですか。
赤瀬川 ないですねぇ。
糸井 あ、それはやっぱり性格かな。
赤瀬川 うん。性格もあるし。
糸井 死んじゃうと、どうなるかって
子どものときに思いますよね。
若いときとか中年のときは、
逆に思わなくて、
責任のことなんかを考えてますよね。
うん。
糸井 ぼくは、このところ、子どもに戻ってますね。
どう準備しておくかとか、
どういう悲しさなんだろうとか、
みんなと会えなくなっちゃうんだなとか。
赤瀬川 うん。
糸井 それが決していやなことじゃないんですね。
ちょっとうれしいし、
あんまり考えすぎると
そっち行きたくなっちゃうから、
考えるのをやめてみたりしてね。
そういうのも含めて、
なかなか悪くないんですよ。
失恋をたのしむ女の子みたいなさ。
赤瀬川 やっぱり、勇気があるんじゃないですかね、
糸井さんは。
あるね。
縁起でもないですよ。ぼくにとっては。
赤瀬川 はははは。
糸井 スカイダイビングなんかと
もしかしたら似てるかもしれない。
赤瀬川 そうだよね。
スカイダイビング、やったんだ?
糸井 やった。
それは自分のなかにある、
自分の知らなかったものに会いたい
という動機でつながるんです。
「恐怖」も、「悲しみ」も。
じゃ、悲しい目にあわせてやろうと
誰かに言われたらいやだけど、
自分からやりたがるみたいなところはある。
野次馬だね。
糸井 「自分野次馬」。
赤瀬川 「知りたい」ということなんだね。
糸井 自分のことを自分は
なんでも知ってるつもりでいたのに、
「まだいっぱいあるじゃないか!」
というのが、うれしいんですよ。
赤瀬川 そこは感受性の問題なんですよね。
感受性というか、
感受性を楽しむというか。
赤瀬川 そうだと思うね。
やっぱり勇気があるんだと思うね。
糸井 勇気がないから、
やってるんじゃないかって
ぼくは思ってますけどね。
「どこまで行けるんでしょうかね、あなた?」
みたいな。
いやー、でも、やんないよな。
ぼくはスカイダイビングはやりません。
一同 (笑)
  (続きます)


2007-10-11-THU