第3回 われら「ニッチ」の子孫。
──
ネアンデルタール人やデニソワ人との
生存競争に「勝った」から
われわれの現在があるわけですけど、
基本的に「同じ人たち同士で群れる」のには
何か理由があるのでしょうか。
髙橋
同じ人。
──
つまり、長い歴史のうちのある時期には
交雑もしていたのに
結局、ホモ・サピエンスと
ネアンデルタール人との「共同社会」が
成立しなかったのはなぜだろう、と。
髙橋
われわれとネアンデルタール人とが
子どもをつくっていたことは事実ですから
中にはね、
いっしょに暮らしたほうがいいって人も
いたと思うんですよ、絶対。
──
ええ。
髙橋
ただ、5万年とか10万年とか、
そういう規模の「長い目」で見た場合には、
ホモ・サピエンスだけでまとまるほうが
やっぱり
子の生産率が高かったということでしょう。
高橋先生
──
やはり生物学的な問題ってことですか?
髙橋
うん、そういうことも当然ありましょうが
それ以前に、
もっと「好悪の感情」と言いますか、
「心の問題」が大きいんじゃないですかね。
──
というと?
髙橋
今の世の中、イケメンだなんだとかって
いろいろ大変そうですけど
やっぱり
子どもをつくるっていうことの根っこには、
そこがあると思うんです。
──
ようるすに
タイプだとかタイプじゃないだとか‥‥?
髙橋
そうそう、われわれ日本人だってね、
たとえば、そうだな、
オーストラリアに昔から住んでいる
アボリジニの人たちとは
だいぶ見た目がちがうじゃないですか。

で、あの人はイケメンだ、
あの女の子がかわいい‥‥という感情は
日本人は日本人同士、
アボリジニはアボリジニ同士のほうが
圧倒的に抱きやすいですから。
──
なるほど。

アボリジニ
髙橋
ましてや、ネアンデルタール人とか
デニソワ人くらい離れちゃうと、
ホモ・サピエンスと一緒になるってことは
生殖上の選択肢として
かなり、狭いものだったんでしょうね。

事実、交雑者は淘汰されちゃったわけだし。
──
先生のお話って
単に、科学的・生物学的な可能性だけじゃなく、
「ネアンデルタール人、デニソワ人の心」
までおもんぱかっているところが
おもしろくて、説得力ある理由だと思いました。
髙橋
だって、ネアンデルタール人やデニソワ人の
気持ちになって考えてみれば、ねえ。
──
気持ちということで
ちょっと思うところがあるんですけれど、
ぼくたち一般人が
「DNAに刻まれている」というふうに
言ったりするじゃないですか。

あれって、あまり実感が湧かないんです。
DNA解析
髙橋
よくわかります。
──
DNAには「種の存続」が刻まれている‥‥
とか言われても
ぼく自身、
気持ち的には「種の存続」を目的として
子どもをつくったわけじゃないと言いますか。
髙橋
まず、われわれが世代を重ねることによって、
遺伝子に一定の方向性、
つまり「選択」が起こるのは、事実ですよね。
──
ええ。
髙橋
選択された形質を「適応」と呼んでいますが、
われわれホモ・サピエンスは
たまたま環境に「適応」し、
少しずつ変異しながら生き残ってきました。

長い歴史のなかでは
ネアンデルタール人やデニソワ人をはじめ
「絶えていったヒト」の方が
圧倒的な多数を占めるわけですけれども。
──
ええ。でも「たまたま」なんですね。
髙橋
生物の変異というのは、無目的に起こるので。

つまり「選択された変異」のことを
厳しい自然に「適応した」と、考えています。
──
なるほど。
髙橋
つまり、われわれは何らかの目的を持って、
ようするに
意識的に「適応」しているわけではない。

その意味で、今、生き残っているわれわれが、
現在から過去を振り返ったときに、
結果として
「すべては、DNAに刻まれている」
とは、言えると思うんです。
──
先生、すごく納得しました。

つまり、今DNAに刻まれている形質を
「たまたま」獲得してきたからこそ
ぼくたちは
「たまたま」生き残ることができている。
髙橋
だから、今でもアフリカで
狩猟採集を続けていている人たちというのは
その環境に「適応」しているんです。

不満というか、決定的な不都合がないから、
そういう生活を続けてきて、
しかも、きちんと生き残ってるわけ。
現代の狩猟採集民族
──
適応というと「進化し続ける」みたいな
イメージがあったんですが、
彼らは適応したまま、
長い長い歴史を生き抜いてきたんですね。
髙橋
むしろ、アフリカの中で
そういう暮らしを続けてきた人々のほうが
ホモ・サピエンスの
「ド真ん中のメジャーな人たち」ですよ。
──
え、どうしてですか。
髙橋
「だって、5万年から7万年前に
たった200人の集団で
アフリカから出たわれわれのご先祖さまって
本当に大変な思いをしたはず。

まわりの環境に満足している人たちが
わざわざ、自らすすんで、
そんな辛い目に遭いに行くわけがない。
──
たしかに。
髙橋
そうすると、
メジャーな人たちの集団に追い払われたとか、
何らかの理由で
「はじめにアフリカから出た200人」は
ある意味、
マイナーなホモ・サピエンスだっただろうと。
──
なるほど‥‥。
髙橋
今はいろいろ食べるものがありますが、
ぼくらは基本的に「肉食動物」なんです。

人間は、身体に毛が生えていませんから
大型の草食動物を捕まえるために、
真っ昼間、マラソンみたいに
非常に長い時間、
獲物を追っかけることができますし。
──
他の動物は、できないんですか。
髙橋
毛が生えていると熱が放散できませんから
昼間の時間に
何キロも走り続けられる動物はいません。

みんな一瞬の勝負で、
ある一定時間、獲物を捕まえられないと
追いかけるのをやめちゃいます。
──
じゃあ、大型の草食動物を
追いかけて捕らえて食べることについては
ある意味ぼくらは
ライオンやチーターより向いてるんですね。
髙橋
そう、ですから「肉食」が
ぼくたちの
基本的な枠組みだって言えると思います。

でも、誕生の地アフリカから出た
われわれの先祖は、
そういう枠組みから外され、
メジャーな人たちに追い立てられていく過程で
おそらく、魚を食べはじめた。

そういう意味でマイナー、
つまり「ニッチな人たち」だったんでしょうね。
高橋先生
──
あ、なるほど、そこで
ネアンデルタール人やデニソワ人に
ホモ・サピエンスが「勝利した」理由のひとつ、
「魚食」の話につながるんですか。

ここでもやはり、「ニッチの子孫」‥‥。
髙橋
同時に、なんだか執念深いというかなあ。
性格が悪いというかねえ。
──
性格?
髙橋
つまり、ネアンデルタール人もデニソワ人も、
われわれの先祖と同じ時間を
何十万年も生き抜いたわけですから
チョロチョロっとしたヤツらじゃなくてね、
それはそれは
立派な人たちだったんだと思うんです。
──
はい。
髙橋
でも、わたしらは、
わたしらって言っても遠い遠い先祖ですけど、
そいういう人たちを、絶やしちゃった。
──
ええ。
髙橋
ほんと、申しわけないなあと思うんです。

だって ネアンデルタール人やデニソワ人たちは
何十万年も前に
アフリカ大陸を出ていったわけですけど、
われわれの「ニッチな先祖」が
もう少し、
平らかな気持ちを持った人たちだったら、
今でも、3種のヒトは共存してたかも知れない。
──
選択上の「強者」として
他の「ヒト」を受け入れていたら、と?
髙橋
それこそ、さっきの話をすれば
DNAに刻まれている性質だからしょうがないと
言えてしまいますが、
でもね、アフリカで食い詰めてから、
先人たちを滅ぼし、
地球の裏っ側にまで広がっていくだなんて、
ものすごい執念深さじゃないですか。
──
ほんとですね。
髙橋
ホモ・サピエンスの「生存」にとっては
素晴らしい性質だと
言うべきなんでしょうけども、
われわれは、もっと、
他の存在に対して「寛容」でありたいなあとも
思うわけです。
──
いつまでも、互いにいがみあってないで。
髙橋
ぼくなんか弱いホモ・サピエンスなんで、
もうちょっと息抜きして生きたいんです。

あんまりひとつのことに執着すると
われわれ、
何でもかんでもやっちゃいますからねえ。

‥‥ま、今のは余計な話ですけど。
高橋先生
<続きます>
2014-10-31-FRI