SWITCHとあそぼう(1)新井敏記×糸井重里 対談「SWITCH」がいる理由。
ほぼ日刊イトイ新聞

第7回
「やるかやらないかの決断が命綱」

新井
「Coyote」を休刊したとき、
「お詫び」のようなかたちで
全国の書店を挨拶にまわりました。
「創刊のときに来る編集長はいるけど、
 休刊のときには挨拶はないよ」
といって、逆にめずらしがられました。
「じゃ、がんばって、持ってる在庫を売ります」
と言うと、店内に垂れ幕を作ってくださる
書店もありました。
「この号とこの号で最後です」
なんていうディスプレイを見ながら
フェアで書店員の方がお客に「最後」と、
声をかけていると逆にさびしくなって、
いや、もうちょっとまたやりたいな‥‥
なんて(笑)。

そのとき時間ができて
逆によかったこともありました。
自分がこれまでやってきたことや
編集をどう考えているかをまとめた本を
私家版で作ることができたんです。
糸井
わぁ。ほんとに私家版という感じがする。
新井
これまでの活動をまとめることで
自分の旗にしたかったのでしょうね。
全国をまわり九州に行ったとき、前からお世話になっていた
門司港に住む黒田征太郎さんにご挨拶する機会がありました。
黒田さんは「Coyote」休刊の事態を知っていて、
「お前、カッコつけるんじゃない!」
と怒られました。

「お前がやりたいのはいつも
 140とか160の、贅沢なカラーの本ばかり。
 だからできないんだ。8ページでもいいからやれ」
「いやいや、少し休みたいので」
「いいからやれ!」
全国の挨拶まわりの旅の終わりに
「最初からやれ」って水をぶっかけられた。
糸井
わははは。
新井
それから黒田さんは毎日のように
「Coyote」のポストカードを
励ましの言葉つきで10通ぐらい送ってきました。
その励ましがどんどんどんどんたまって、
辛くなったり鬱陶しくなって(笑)、勝手ですね。
「そんなに言うんだったら、じゃあやろう」
という気持ちになりました。
ですから、黒田さんには、
「Coyote」を再刊するきっかけを
与えていただいたのです。
糸井
ぼくが「SWITCH」を偉いと思うのは、
「ほぼ日」があまりナマモノを扱わないから、
ということがひとつあります。

例えば、いま旬の人たちに
出てもらう企画があるとします。
アイドルでもミュージシャンでもいいでしょう。
ぼくらのほうにいいアイデアがあれば
もちろんオファーするのですが、
いい考えがないのであれば、その人が出る意味がない。
「いま、あの人が出たらいいのにな」
という人はいっぱいいるけど、
アイデアなしでやるんだったら、
ほかのトンチンカンな企画をやっているほうが
いいんですよ。

だけど「SWITCH」は
床屋さんの鏡の前に積まれている雑誌です。
ほかの雑誌に出ているような人が
「SWITCH」にも出ている必要が
読み手にとってあるんです。
「今度、こういう洒落た映画がくるぞ」
というときにも、
「SWITCH」にはちゃんとおもしろく書いてある。
それがすごく大事なんですよ。
そこの山を、新井さんのような人がきちんとやって、
しかもいやらしくなく蓄積できているのはすごい。
ぼくにはできなかったことです。
新井
もちろん好き嫌いもあると思いますし、
そこはもう、自分の勘でしかないんですが、
企画をやるかやらないはそのときに決めます。
その決定そのものが、自分にとって
この仕事を続けていけるかどうかの
ボーダーラインです。
糸井
雑誌のファッション性でもありますよね。
新井
はい。
「しでかす感」「ヒリヒリ感」みたいなところを、
どこかで追い求めてる感じはします。
しかし、不思議なんですが、
「ほぼ日」で糸井さんが対談なさっている人が
「SWITCH」に登場する人と
すごく重なるような気がして。
糸井
重なるとき、ありますね。
新井
タモリさんも、吉本(隆明)さんも、
大瀧(詠一)さんもそうですよね。
ようするに、一筋縄ではいかない、
いわば「めんどくさい」人たちです。
ドアを間違えると門前払いなのですが、
きちっとつたっていっても
ウェルカムしてくれる人ではない。
糸井さんの対談のなかにもそういう部分が入ってて、
やっぱりわかるわけです。

谷川(俊太郎)さんもそうだし、松本大洋さんもです。
そういう信頼や共感が
ひとつひとつ「ほぼ日」の読みものになって、
場合によっては絵本になったりしていくところは、
ぼくらも、目指すところです。
糸井
「SWITCH」と「ほぼ日」は
重なるところがいろいろあって、
おもしろいですね。
でも、社内のことでいうと、
重ならないところがあります。
たとえば、ひと昔前、
「『ブレードランナー』観た?」という言葉は、
合言葉のように言われていましたが、
「ほぼ日」ではそういう類の話は聞かれません。
「ほぼ日」ではおそらく、なんの映画も特に
観てなくてOKなんですよ。
『バッファロー'66』も、観てなくていい。
いっぽう「SWITCH」は「観た」側の人たちですね。
新井
はい、そうですね。
糸井
ただ、「ほぼ日」は『バッファロー'66』を
観た人がひとりもいない会社ではない、
というところがおもしろいところです。
「それってなあに?」と、
「観てない人を笑うんじゃないよ」が、
混在している。
そこがうちの特徴だと思っています。
新井
「ほぼ日」は多様性のある豊かな森だと思います。
針葉樹だけの森だと、貧弱です。
堆積もしないし、栄養もいかない。
そこに広葉樹があるから、
森は更新されていきます。
いろんな種類の木がある豊かな感じ、
更新していく感じが、
「ほぼ日」にはあると思います。
糸井
おそらく「SWITCH」の新井さんは
森の両側をつなぐような人を
誌面に連れてくるんですよ。
タモリさん、谷川さん、
バッファロー・スプリングフィールドもそうだ。
新井
ヴィンセント・ギャロもそうですね。
糸井
そうそう。
両方の側から図ってギリギリたどりつく、
行き来ができる場所を新井さんは作るんです。
そのファッション性の感覚は、
メディアのトップの個性があからさまに
出ると思います。
それは「ほぼ日」もそうです。
新井
そうか‥‥谷川俊太郎さんでいえば、
糸井さんのところの『谷川俊太郎質問箱』と
ぼくたちの特集を比較すると、
ぼくは谷川さんの言葉を
活字で読み取ろうとしている部分があります。
でも糸井さんは洋服の仕立てをするような感じで、
背丈を計って、股下いくつで‥‥
それがきちんと谷川さんのオーダーメイドになっている。
ぴたりと谷川さんの寄り添い「合ってる」というか。
糸井
インタビューに行って、
テープが回る状態で話してる谷川さんが
「谷川俊太郎さん」なんだけど、
いっしょにごはんを食べて、帰りに雨が降ってきて、
見栄はって傘をささない谷川さんを、
ぼくらは捉えようとするところはありますね。
「またモテようとしてる!」とか(笑)。
でも「SWITCH」もそうですよね?
新井
そうですね。
そういう意味では、
ぼくはいつも、その人といっしょに旅をしたいんです。
インタビューだけの1時間2時間では伝わらない、
それこそ糸井さんの『ジャニス』の世界です。

谷川さんと旅すると、
いかに残さずきれいにもの食べる姿に感動するんです。
朝の過ごし方などがわかってきます。
アラスカに一緒に行っていただいたときに、
ぼくはしょっちゅう中華料理を食べに誘いました。
なぜか?
食事の最後にフォーチュンクッキーをもらうのですが、
クッキーから出た言葉を、
谷川さんに読んでほしかったのです。
言葉はもちろん英語で書いてあって、
谷川さんが日本語にしてくれるんです。
ただの人生訓が詩となって出てくる。
ああ、谷川さんと同時代に生きててよかった。
その快感を知ってしまったから。

旅というスタイルは、何かを伝えると思いますし、
ぼくらの武器にもなってきました。
ただ、それを武器と意識した時点で
いやらしくなるのかもしれない。
糸井
いや、その企みは表現です。
それぞれの微妙な違いがあって、
「ほぼ日」にもそういうスタイルは
あると思いますよ。
ぼくなんかは、どっから見られても
しょうがないという感じですが。
新井
抜き身の感じ。それは名人芸ですよ。
糸井
ぼくはなにかを勉強した覚えがないから、
素人出身なんです。
ごまかしているときには
「いま、ぼくはごまかしてますけどね」
と言えるインタビュアだから。

すごくつまんない、ありきたりの質問や
通り一遍なことを、プロはしません。
でも、「ちょっとできるつもり」の人は
いちばんつまらないところに
入り込んでしまうものです。
「インタビューが飛びぬけて得意な人」と
「まったくできませんが、
なんとか友達になってみようと思います」
という人は、ぼくはつながると思う。
新井
そうですね。真反対だけど、同じです。
それはすごくよくわかります。

(第8回につづきます)

 2016-09-20-TUE