かっこいい、 草刈さんと周防さん。
第4回 お金を稼ぐことがどれだけ大事か。
周防 日本のバレエ事情について説明するときに
よくたとえに出す話があるんです。
「日本ではレッスンプロはたくさんいるけど、
 トーナメントプロがいない」
糸井 なるほど。
周防 みんなバレエ教室のレッスンなどで
生徒に教えてお金を稼がないと
生活ができないんです。
舞台で踊ってお金を稼げる人の数が
極端に少ないのが日本のバレエ界。
糸井 レッスンでは食えるんですね。
日本の大学教師も同じ状況だったりするのかなぁ。

習い事としての生け花の家元制度をはじめとする
「教えたり伝えたりすること」は、
事業体としてはありますよね?
周防 あります。
糸井 一方、なんていうんだろうな、
「表現」としてやってる人がいる。
周防 舞台で踊るだけで生活できる人の
数は少ないです。
糸井 それはバレエだけじゃない、
なんでもそうですね。
草刈 日本人は、そういうところで
安全を確保しつつ広げる、というやり方が
どうも根本にあるみたいです。
例えば、日本舞踊でもバレエでも演劇でも、
踊る人がチケットを持ってさばいたりしますが
そういうしくみは外国にはありません。

外国の人がそれを聞くと、
「ええっ?」「そんなことよく考えつくね」
と言いますよ。
糸井 「考えつくね」って言われるんだ(笑)。
草刈 はい(笑)。それは日本の、
伝統的な形なんだと思います。
そういうことひとつとっても
バレエの存在のしかたは、日本だけ違います。
韓国も、かなり欧米に近い。

ですから、外国のダンサーから
「どうして日本ってこうなの?」と
聞かれることが非常に多かったです。
そういうことが積み重なってくると
「なんで日本だけこうなんだろう?」
と思うようになって、
まるで自分が責められているような
気分になりました。

日本のバレエはレベルが低いという
イメージを持たれていたのかもしれません。
糸井 うん。ゆるくやってる、みたいな
イメージになっちゃいますよね。
草刈 踊っている人のレベルも
ヨーロッパやアメリカに比べれば
全然レベルが違うと思われていました。
結局、私はそういうところに
葛藤がありつつ踊ってたんですが、時間とともに、
能力ってそんなに違うものなんだろうか、
という疑問を持つようになりました。
糸井 うん、うん。
草刈 最後のほうになって思ったのは、
能力は個人の問題であるということ。
そして、日本の場合は
ダンサーたちが環境に
かなり左右されちゃっている、ということでした。
日本の環境では、先が見えづらいので、
目指すところがどこにあるかもわかりづらい。
レベルを上げていくのはとても大変です。

海外には「劇場」という就職先がある。
そこに入ることができれば、生活の保障もある。
日本は「あの劇場に行きたい」という
意思を持てる場所がなかなかありません。
十数年前に新国立劇場ができましたが、
それ以外はないし、
新国立劇場も、年間の公演回数が
多いわけじゃありません。
保障の形態も、海外とは違います。

日本の場合、しくみの作り方が
トリッキーだとすら感じます。
日本の文化って、
芸術にかかわるもの、
表現活動をしている人たちに対しては、
「好きなんだから、やれてるんだから、
 いいじゃない」
というようなところがあるでしょう?
そういう風潮があるから、
表現活動をしている人にとっては
大変な環境だと思います。

でもほんとうはそういうものではないと思う。
仕事でないとやりきれないんです。

自分の経験から言っても、
プロになるには、仕事として
経験していかないと身につかないものや、
越せないものが確かにあります。
映画に出る前の私は、
越さなきゃいけないものを越すには
何をどうしたらいいんだろうって、
ずっと思っていました。

28歳のときにケガで
椎間板ヘルニアになりました。
このまま続けてもしょうがないと考えつつ、
でも自分は踊りしかできない、
という状況でした。

でも、機会をもらって映画に出て、
世間的な知名度が上がったおかげで
バレエの仕事が増えた。
そのぶん収入も変わりました。
そうすると、
自分に必要だと思うトレーニングやレッスンに
ものすごくお金が
つぎ込めるようになったんです。
糸井 それまではつぎ込めなかった?
草刈 はい。当時の日本では、
トレーニングと併わせて体作りをしている
ダンサーは少なかったのです。

私がそういうことをやりはじめたら、
周りの先生たちに
ものすごく批判されたんですよ。
「トレーニングと組み合わせても、
 バレエダンサーの体にはならないよ」と。
でも私は、ケガを克服していかなきゃ
ならなかった。

私はケガが多かったのだけれど、
結局はバレエの稽古だけでは
補えない部分があるのではないかと
考えたわけです。
トレーニングなどに
お金をつぎ込む必要があったのは、
機能的なダンサーの体になるために、
トレーナーと試行錯誤をする必要が
あったからです。
トレーナーの方はバレエのことを
全く知らなかったし。

結局7年間で
腰痛は一切なくなって、体も変わり、
踊りのレベルもすごく上がりました。
やはり自分が思う存分使えるお金がなければ、
なかなかそこまではできません。

お金を稼ぐということが
どれだけ大事かわかります。
日本では、資質や能力が高くても、
環境につぶされることも多いと思います。
私はわりと性格的に強いところもあるし、
ほかの仕事をしても
踊りをやりきるという筋は曲げなかったので
いろんなチャンスを
踊りを活かすためのものにできました。
でも、それを踊ってる本人全員に
求めるというのも、ほんとうは変な話です。
糸井 そうですね。
草刈 外国では、その環境があるから人が育つのです。
日本人がバレエに向かないというふうに
ずっと信じられていた歴史がありますが、
そのせいにしちゃいけないんじゃないかと、
最近、すごく強く思います。

日本でレベルアップするのは、
実はとても大変です。

若いうちは親に世話になったりして
踊ってる人が多いですけど、それもどうだろう?
援助してもらってると、
実験的なことはなかなか
できなかったりするから、
それも結局は不自由だと思います。
というか、私はその不自由さを
かなり味わいました。
糸井 草刈さんは、映画に出たことで
変わっていったんですね。
草刈 はい。30歳の頃です。
映画に出たこともそうですが、
結婚したことも大きかったです。
踊りをやってきた人というのは、
世間からの信用って、そんなに簡単に
得られないという気がするんですよ(笑)。
「踊りしかしてないから何もわかんないだろう」
と思われているんじゃないでしょうか。

でも、こういう方と結婚したことで、
見られ方も変わってきたかな、
という気がします。
糸井 この方と。
周防 はい?
(つづきます)
2011-06-28-TUE
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HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN