第3回 「寝てる場合じゃない」時代のあとに。

糸井 井上先生がそのシンポジウムをひらくまで、
睡眠物質についての研究を発表する場は
世界のどこにもなかったわけですよね。
井上 その時点ではもちろん
睡眠研究の公式の場はありませんでしたし
睡眠学講座の所属です、
という人は、いませんでした。
睡眠のことは、生理学の教師だとか、
医学の多少臨床に絡んでるけど研究もしたい、
というような人たちとか、
あるいは生化学者たちですね。
それからリズムを研究してる人。
1日の中で眠気が変動したりする
サイクルがあるでしょう、
そういう研究者もいましたけれど、
それだって、
ちゃんとした看板を掲げてるというよりは、
生物学、生態学、あるいは行動学というのが
当時できかかってましたけれど、
そういった、それぞれの分野でやっていたんです。

70年代というと、言わば高度成長期で
働け、働け、働け、と。
24時間社会だとか、交代勤務だとか、
もうとにかく寝る間も惜しんで働いてた時代です。
結果的には、それで世の中豊かになったんですが、
ストレス社会になっちゃったんですね。
糸井 そうですね。
80年代は、まさしくそうですね。
井上 それで、ほうぼうで事故が起きました。
86年のチャレンジャー号の打ち上げ失敗も
そういうことなんだそうですね。
糸井 ああ!
 
井上 それから、
タンカーが座礁して石油が漏れた、とか
あるいはチェルノブイリだとか、
スリーマイル島で原発が事故を起こしたでしょう。
ああいうのは、調べてみると、みんな人災なんです。
しかも、その担当者が睡眠不足だったという事実が
出てきたんですね。
ですから、それが引き金になって
世の中が「寝不足が怖い」と、
このように変わっていったわけですね。
糸井 おもしろいなぁ。
たった20人くらいの集いから!
井上 睡眠物質だけではなく、
むしろ睡眠障害ということですけどね。
要するに、世の中が睡眠に対する関心を高める、
そういう時代になってきたんですね。
糸井 睡眠のことを、考えざるを得なくなってきた。
井上 一方では睡眠の研究が進んで、
物質がわかるレベルにまで迫っていた。
世の中の方は事故防止だとか、
ストレス解消だとか
健康に対する関心が
80年代以降、高まっていた。
事故やストレスが、何ゆえかというと
眠りをあまりにも軽くみてた、ツケなんだと。
そういう認識が生まれてきたわけですね。
日本は、ようやく、この頃ですけれども、
アメリカやヨーロッパでは、
その辺りから、わっと出てきた。
糸井 中国ではどうでしょう。
井上 中国もやっています。
そういう研究者が、どんどん増えています。

しかし世界的に見ると、先進と言いますか、
先頭を切っていたのがアメリカです。
アメリカはストレス社会の典型で、
そういう寝不足になるような社会を
いち早く作ってたわけです。

ほうぼうに、そういう事故だとか、
健康問題が起こっていたところを、
うまく捉えたのは、
アメリカの臨床のお医者さんたちでした。
睡眠障害をこのまま放っておくと、
国益を損なうという働きかけを、
ワシントン(政府)に対して
相当、キャンペーンやったんですよ。
非常に政治力のあるお医者さんたちが
政府を動かしたんですね。

そして80年代の後半になってようやく、
当時大統領だったレーガンの頃だと思いますが、
国立の研究所をつくろうと、
アメリカの政府が動き出しました。
糸井 睡眠の。
井上 はい。睡眠という枠で、国家予算を出そうと、
プロジェクトを立ち上げてくれたわけです。

そういうお医者さんたちは、
ほとんどが、精神科の所属ですけども、
睡眠不足で健康を害しているひとびとを、
精神病じゃなくて、睡眠障害の患者として
接していこうということで、
睡眠クリニックというのを
ほうぼうで立ち上げていました。
ほとんどが私立でしたけれど、
少なくとも各州に一つくらいは、
できかかっていたんですね。
肩書きは精神科の医者だけども、
睡眠のクリニックをやってます、
睡眠障害専門に処置しますというような、
そういうキャンペーンで
患者を集めていったんです。
 
糸井 セラピストが流行ったりした頃なんでしょうか。
井上 そうですね。
アメリカでは、
メンタルのクリニックに係わってるというのが、
一つのステータスでしたからね。
そういう健康管理の中に、睡眠も含めると。

いっぽうで、睡眠薬というのが、
たいへん巨大な産業として育ちつつありました。
そういうところが、
研究費などの面倒をみたんですね。
アメリカは、公の機関ができる前に、
睡眠に関心を持ったお医者さんと、
睡眠障害の予備軍みたいな患者さんがいて。
糸井 そういう市場ができていたんですね。
井上 同じようなことが、
当然、日本でも起きつつありますから、
日本の精神科のお医者さんのなかにも
一所懸命、睡眠をなんとかしようという人が、
徐々に増えました。

日本で「睡眠学会」を立ち上げたのは、
1979年なのですが、
そのときには、会員が二桁くらいでした。
80年代になっても、せいぜいまだ
500、600人くらいしか会員がいない。
そしてほとんどが精神科のお医者さんだったんですが、
一応、機運としては、その辺りから、
お医者さんの層も、ある程度広がりつつあった。

一方では、基礎の研究をやってる
我々みたいなグループが、
いろんな意味で、睡眠がいかに脳の中で
大事な役割をしてるかということを
データとして出しつつあったんですね。

われわれが非常に幸運だったのは、
世の中が後押ししてくれたということです。
世の中に、睡眠をもっと知らなくちゃいけない、
睡眠を大事にしなきゃいけないという認識が
高まるのと並行して、うまく、進んで来た。

当時の文部省だとか科学技術庁なんていうのは、
全然、睡眠のための予算なんていうのは考えもしない。
講座をつくろう、なんていう、
そういう発想もなかったんです。
でも新聞やテレビが睡眠を話題にしてくれて、
日本の数少ない睡眠の研究をしてる人間を
ひっぱり出して、何かしゃべらせる、
ということ盛んにやりだしたんです。

わたくしなんかは、ずいぶん本を書いたり、
いろんな研究以外のことをやりましたけど
それは結果的には、ある程度、社会に還元して、
社会に訴えて、社会の理解をまず、こちらに、
味方にという、そういう考えもありましたから、
できるだけ、丁寧に対応するようにしてきましたが。
糸井 ここにも、来てくださいました。
井上 そういう形で今世紀が始まるわけですね。
 
(つづきます。)
2008-02-15-FRI
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