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LIFEのBOOK ほぼ日手帳

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大熊町がつくった震災記録誌

第1回読まれる記録誌を。

――
今回はメールを、ありがとうございました。
お問い合わせがあるまで、恥ずかしながら
「震災記録誌」というものの存在自体、
知りませんでした。
喜浦
ですよね。
震災記録誌は、震災での教訓を後に残すために、
自治体が発行しているものです。
福島県ではいわき市や相馬市、富岡町などでも
つくられています。
――
できたものを読ませていただいて、
こういう言い方は語弊がありますが、
とてもおもしろかったです。
一気に読みきってしまいました。
石田
ああ、よかったです。
喜浦
そういうふうに受け止めていただいて、
ほんとうによかった。
さいごまで興味をもって
読んでいただけるものをめざしましたから。
――
震災記録誌は、震災を経験した
複数の自治体が出しているということですが、
大熊町でさいしょに「出そう」という話があがったのは?
石田
つくらなきゃいけないとは、
震災の直後くらいから、みんな思っていたはずです。
でもほかの業務もあるなかで、
具体的に動き始めることがなかなかできなかった。
2015年にようやく、
「2016年度中につくろう」と決まりました。
発行は2017年3月。ぎりぎり16年度中です。
――
震災記録誌は必ず出さなくてはいけないもの、
というわけではないんですよね?
石田
はい。
いま出すことを決めたいちばんの理由は、
記憶が薄れてしまうということだと思います。
この記録誌は役場職員の証言を積み重ねて構成していますけど、
定年を迎える職員がとくにこの5年はたくさんいたんです。
当時、ほんとうに最前線で震災への対応を
経験した人たちがどんどんいなくなってしまって、
記憶が薄れていってしまう。
いまつくらないと、もうギリギリだろうと。
――
石田さんは、ずっと大熊町ですか?
石田
私はもう、生まれも育ちも大熊です。
役所に勤めて10年経ちます。
――
喜浦さんは?
喜浦
去年役場に入って、ちょうど1年になります。
それまでは、新聞記者だったんです。
震災後の大熊町の担当をしていて、
取材先に就職しちゃいました。
――
えーっ! そうなんですね。
なにか理由が?
喜浦
記録誌を、やりたくて。
――
まさにこの記録誌づくりが、
いちばんおおきな理由だった。
喜浦
はい。面接で言ったんですよね。
震災記録誌とは言わなかったですけど、
町史を編纂したいって。
震災を受けて、いまに至る町史が、
まだできていないのは知っていたので。
――
喜浦さん、それまでは大熊町を追っている側として、
役場の皆さんとは面識があったんですか?
石田
ぼくは彼女が取材で
しょっちゅう来ていたのは知っていました。
だから喜浦さんがうちに就職したとき、
「あっ、来た」と思いましたよ。
――
ほかの記録誌を知らないこともありますが、
読ませていただいて、
そのときに悩んでいたこと、いまでもわからないことが
飾ることなくそのまま掲載されているようすに
おどろきました。
「記録誌をつくるんだったらこうしよう」と
お二人で決めたことはあったんですか?
喜浦
「読まれなきゃ意味がない」というのは
いちばんに考えていました。
もっと硬い文章、整った内容にしようと思えば
できたかもしれない。
正直、この赤裸々な書き方では、
上司からストップがかかるかもと思っていました。
石田
これを出すことによって、
いろんな反応をいただくとは思います。
でも、ページを開いてもらって
「ああ、これね」で終わるような記録誌では
ダメだと思っていました。
この町が経験したできごとは、そんなことじゃないだろうって。
痛い言葉でも、痛い内容でも、そのまま伝えるべきだろうと。
生の声をできるだけ入れた記録誌をつくりたかった。
そこを喜浦さんはうまくやってくれたと思います。
――
記録誌としては、
震災のことだけを切り取ることも
できたと思います。
でも、事故までは恩恵もたしかにあった、
そのことも書かれているのはすごいと思いました。
「原発ができて、
それまで出稼ぎに行っていたお父さんが
1年中家にいるっていいなと思った」
という言葉が欄外に載っていたりして。
石田
それはこの町の事実ですからね。
もともと本当に全然お金がなかった町だったんです。
出稼ぎに行く人が多いから若い人も少なくなって、
そんななかで原子力発電所ができて町が豊かになった、
というのは僕自身、子供の頃から知っていました。
原子力発電所があることで町が発展したってことも
ちゃんと書かれていないと、
誰も読んでくれないと思うんです。
上司たちもそれがわかっているからか、
何もストップはかからなかったですね。
喜浦
物足りないという職員のほうが、多いかもしれません。
こんなもんじゃないだろうと。
石田
限られた時間でつくったから、
できあがったあとに
「もうちょっと、これ載せられたかな」
っていうものもありますね。
――
この震災記録誌は、どこに配布するものなんですか?
喜浦
概要版と詳細版をつくったのですが、
詳細版は自治体とかマスコミの皆さんに配布するほか、
希望される方に郵送しています。
それから概要版は町民全世帯に。
――
大熊町は全町避難中とうかがいました。
記録誌にも記載がありましたが、
いま町民のみなさんは日本全国に住んでいらっしゃいます。
そこに、送るということですね。
石田
はい。反応がちょっとこわいですね。(※取材は発送前)
もちろん町民の方にも
お話をうかがって掲載していますけど、
役場の職員が大半なので、
個人個人がうけたあのときの避難のつらさとか、
いろんなできごとの衝撃まではとうてい載せきれていないし、
自分が感じたこととは違うよ、という思いも
たぶんあると思います。
――
なるほど‥‥。
どれくらいの方にお話を聞かれたんですか?
喜浦
職員も含めてだいたい80人ぐらいだと思います。
職員には記録誌に載せるということを前提にせずに、
とにかく率直に話を聞かせてほしいと。
――
記録誌として、どの段階までをまとめるのか、
悩みはなかったですか。
石田
悩みました。でももう、記録誌ができる
そのギリギリのところまで書こうと。
喜浦
締め切りの直前まで、書けるものは書く。
すべて、いまも続いていることですから。