スマートフォン版で見る

LIFEのBOOK ほぼ日手帳

LIFEのBOOK ほぼ日手帳

大熊町がつくった震災記録誌

第2回欄外に書かれた本音

――
震災記録誌のさいごには、
この内容を事前に読んだ福島大学の教授からの
コメントが入っていますね。
「この記録誌には、世界史的な意義がある」と。
こういった第三者視点のコメントは、
記録誌にはよく入っているものなんですか?

福島大学行政政策学類教授の今井照氏による有識者コメント。「大熊町がこの震災記録誌を取りまとめ公刊することには世界史的な意義がある」と書かれています。

石田
ずいぶんいいことを書いてくださって。
第三者のコメントは、私はほかで見たことはないですね。
――
なぜ掲載しようと?
石田
ひとりよがりの冊子にしたくなかったんですよ。
外の人がどんなふうに思うのかなという点で
識者のコメントを載せてもいいんじゃないかと。
喜浦
記録誌をまとめてみたはいいものの、
町としてはっきりとした教訓は
残せていない気がしたんです。
「この記録を振り返って、こうしたらよかった」
ということはまだ言えるところまできていない。
だから、最後に外の方の視点を入れてみたんですね。
――
自分たちだけでは、結論を出せない。
喜浦
はい。避難ひとつとっても、
あの日もっとはやく避難できたのか。
していたらどうだったのか。
何がよかったか、というのは
この1年みなさんに話を聞いたくらいでは
とうてい整理できないです。
石田
ほんとうは、
「日本や世界の原子力発電所がある地域にとって
教訓になるようなものがつくりたい」
という思いが、なくはなかったです。
でも、考えをどんどん深めていっても、
答えがまだわからない。
喜浦
考えれば考えるほど、わかんない。
石田
それはしかたのないことなのかもしれません。
記録誌の冒頭に
「これで良いのかという自問自答の日々は
いまも続いています」と、
町長もすごく素直に書いていますが。
――
町長の挨拶文に書かれた
「パンの食事が続いたある日、
『きょうはご飯とお味噌汁です』というアナウンスに
歓声の声があがった」
という部分、胸にせまりました。
石田
ふつうは「ご協力いただいた方に感謝します」
というようなことが書かれているものなんですが。
体育館暮らしのなかで、
それが町長の印象に残ったことだったんじゃないでしょうか。
――
この記録誌の内容は
職員の方へのインタビューが
ベースになっているということですが、
「あまり話したくない」という方はいませんでしたか?
喜浦
ヒアリングの前に、話を聞いていいかどうかの
アンケートを取ったんです。
できれば全員から話を聞くのがベストだったのかも
しれませんけれど、
無理強いは一切しないスタンスでのぞみました。
実際、「思い出したくない」という人もいましたし、
「生半可な気持ちで聞くんだったら
やめてくれ」っていう人もいたし。
――
喜浦さんはずっと大熊町を取材していた人ではあるけれど、
それでも「生半可なら」という方も
いらしたんですね。
喜浦
たった数年ですから。
――
喜浦さん自身、町の外からやってきた方として、
この記録誌をつくるときに
「自分が当事者ではない」ということについては
どう考えていましたか?
喜浦
正直いうと、自分が部外者であるという負い目は、
最初はなかったんです。
言葉を選ばずに言えば、
庁舎内ではいちばんうまくやれるだろうと思っていました。
――
話を聞いて、記事を書くというのは
新聞記者時代からずっとやってきたことですもんね。
喜浦
はい。‥‥そう思っていたんですけど、
記録誌づくりを続けるにつれて、
「これ、元から大熊町に住んでいる
町民の方がやったほうがよかったのかな」
と思うことはありました。
やっぱり書いているときに、
当時のたいへんさが、ほんとうにはわからないんですね。
もし当時避難所にいた職員が書いたら、
避難所の描写がもっと生々しくなったかもしれない。

ただ、5年もたつと、記憶はぶれるんだなというのは
ヒアリングしていて思ったんです。
ひとつのできごとが聞く人によってちょっと違ったり、
当時のこととその後のできごとを混同していたり。
そういうことがちょこちょこあったから、
そこを客観的に俯瞰して整理できたのは
よかったのかなと思います。
石田
町民っていったって、誰が書くかによって変わりますからね。
ひとりよがりの文章になってしまうと
この本の価値はなくなってしまう、
それでは読み手に伝わらない気がするので、
私は喜浦さんが携わってよかったと思っていますよ。
――
石田さんは一貫して、
「とにかく読み手に伝える」ことを
考えてらっしゃるんですね。
石田
はい。
大熊町っていう、原子力発電所が立地するこの町が
東日本大震災に対して直接発言するって、
たぶん重要なことだと思うんです。
新聞やそのほかの媒体によって
フィルターがかかったものではなく、
大熊町が出すものを見てほしいという気持ちは強くあった。
震災記録誌を出すのであれば、
形だけではなく、実際に開いてもらって、読んでもらう、
この町に興味をもってもらうことをいちばん重視しました。
ほとんどやったの、喜浦さんですけど。
喜浦
いやいやいや‥‥。
石田
僕、横で、たまに口出ししたぐらいですけど。
でもこの記録誌、
かなり素直に書いてあると思うんだけどな。
喜浦
なんの飾りもなく、あったことだけを
書いているつもりではありますけどね。
その中で個人の思いを重視したのは、
町長のあいさつと、
「証言」という職員や町民の方の生の声を掲載したコラム、
それから詳細版だけの掲載になりますが、
ほぼ日さんにご連絡して入れた、欄外のコメント。
――
喜浦さんがほぼ日手帳を使ってくださっていて、
「日々の言葉」のような形式で
町民の方や職員の方のコメントを
入れようと思ってくださったわけですよね。
喜浦
はい。

喜浦さんはほぼ日手帳ユーザー。カズンにはこの記録誌を作るにあたってのメモが。

石田
喜浦さんに「欄外に言葉をのせたい」と言われたとき、
私も課長も「え、どういうこと?」と思いました。
実際に入ったものを見て「ああ、なるほどな」と思いました。
ここにこうやっていろんな声をのせられたこと、
いまはすごく気に入っています。
喜浦
本文はなるべく客観的に書いたつもりですけど、
欄外に一言ずつだけど言葉が載っていて、
それがほんとうにいろんな人の本音。
そのバランスがよかったなと思っています。
石田
そう、本音が出てる。
だから本文を読んで少し疲れたなと思ったら、
ここだけ読んでくれてもいいくらい。
喜浦
ここに入れた言葉も、上司に指摘されるかと思ったけど、
だいじょうぶでした。
「町に戻るエネルギーはほかで使いたい」という
役場にとっては耳の痛いご意見も、
しれっと入れ込んでみたら、通った。
石田
それも本音だから。
職員だって町民だって、それぞれ思いはありますから。
きれいごとばっかり書いてたら、
誰も相手してくれないですからね。
――
この記録誌を読んでもらって、
どうなったらうれしいですか?
石田
ちょうどきのうの夜、風呂で考えたんですよね。
なんでこれ、作ったのかなって。
大熊町の人たちはあの日全員、
突然避難することになった。
あれから6年経つけれど、
僕自身、ふと思うことがあるんですよ。
なんでいま会津にいるのかなって。
町民のかたもそれぞれ考えると思うんです。
なんで一緒にいた親といま離れて暮らしているのかな、とか
近所の人、どこへ行っちゃったのかな、とか
自分ちの庭、どうなってるのかな、とか。

6年前のある日突然、
ポーンと居場所を変えられてしまった。
そのことって町民のみなさんは、
これまでずっと自分の視点だけで見てきたんですよね。
だから、なんでこんなふうになっちゃったんだろうって
冷静に、もう一回振り返る機会になってほしい。
僕自身、自分に起きたことをいちど俯瞰でみたかったし。
それから外の人たちに、
こういうことが突然起きた人がいるという事実を
知ってほしいというのもあります。

読むのも嫌な人、いると思いますよ。
もう、思い出したくないっていう人もいますから。
僕自身復興に携わっている立場ですけど、
復興、復興ってすすめるばかりで
以前のことがどんどん外に追いやられている気もするから、
しっかりまとめておきたい。
‥‥うまく言おうと思ったけど、いえなかったな。
誰かに見てほしいっていうのがあるのかな、やっぱり。
喜浦
自分たちの経験を残したい、というのは
ヒアリングしていて何人かから聞きました。
とくに全国の原発立地自治体の人に
知っていてほしいと。
この事故が起きた以上、次に何かが起きたときに
知らなかった、では済まないので。
賛成や反対とはまったく別のところで、
ただ知っておいてほしいという職員たちの気持ちは、
ヒアリングしていて感じました。
――
私もこの機会に知ることができて、
ほんとうによかったと思います。
喜浦
やっぱり、日本に住んでいる人には、
知っててほしいような気はしますよ。
震災から6年たって、
住んでいた町に帰れない人が国内にいるって。
強制的にそこから追い出されるという経験をした人が
いる国があるって、
それが日本だっていうのって。
だからといって何かをしてほしいわけではない、
べつに普通に生活を送ってくれればいいんだけど。
ただ知っててほしいなっていうのが、ちょっとある……。
――
そう思います。
震災記録誌のさいごには、
2019年に、大熊町に
役場の庁舎が完成することが書かれていますね。
石田
はい。大半の職員は大熊町に戻ると思います。
また引越しですね。

現在、大熊町役場は会津若松に機能を移しています。

――
震災から8年のタイミングで、
ようやく役場が町に戻るわけですね。
石田
はい。これ、大きいことだと思いますよ。
記録誌にも掲載した、町民のアンケートを
見てもらってわかるとおり、
ほとんどの町民の方は、
もう戻らないって言ってますから、
「そんな状態なのに、役場がなんで戻るんだ?」
という意見もよく聞きますし、
私自身、その気持ちもわからなくはない。
ただ、2015年に立てた「第二次復興計画」では
「避難先での安定した生活」とともに
「帰町を選択できる環境」の実現を
柱に据えているんですよね。
ちなみに、役場庁舎を新たにつくる大川原地区って、
町のなかでもすごい山間部なんです。
ちなみに僕、大川原地区出身なんですが、
ほんとうに何もないところで。
――
大熊町のなかでも、とくに?
石田
そう。
でも、放射線量的にそこしかなかったんです。
いま現在、大川原地区には東電の人が約750人、
廃炉作業を進めるために住んでいます。
どんどん、どんどん、人も景色も変わってきてますね。
何もないところだったのに、
かつての町民じゃなくて新しい人が生活しはじめている。
これが本当にいいのかって、
復興をやっている私自身もよく悩みます。
考えがぶれることはないけど、
立ち止まって、ふと考えるときはいっぱいありますよね。
喜浦
私はよそから来ていて、
人がいなくなった大熊しか知らないけれど、
石田さんは元の町を知っているので、
変わることの意味が、
たぶん違うんだと思うんですよね。
石田
答えはなかなか見つからないよね。
町民のかたに帰ってきてほしいという気持ちよりも、
個人個人が幸せならばそれでいいんじゃないかと思うし。
帰ろう、帰ろうというんじゃなくて‥‥
帰って来たくなる町をつくれたらいいかな。
「子供は成長したし、大熊町よさそうだから、
そっちに帰ってみようかな」と思えるような選択肢に、
これからなればいいな。
――
喜浦さんは、この記録誌づくりを目標に
役場に入ってこられて、実際完成しましたが、
この先どうされるんですか?
石田
どうするの?
喜浦
よくも悪くも、できあがるものはできあがりましたけど、
1年間役場にたずさわっていると、
次にやりたいことが見つかるものなんですよね。
思った以上に、やりたい仕事が町にたくさんありました。
だから、続けたいと思います。
――
では、2019年になったら喜浦さんも、
一緒に大熊町に戻って行くんですね。
喜浦
はい。
大熊町に建つ役場に、
はじめて勤めることになりますね。
――
そのときにまたお話が聞けたらうれしいです。
きょうはありがとうございました。

「震災記録誌」は、
大熊町復興サイトで全文を無料公開しています。
大熊町復興サイト

また、希望の方に冊子を進呈されているそうです。
「震災記録誌」に関するお問い合わせは
kikakuchosei@town.okuma.fukushima.jpまで
ご連絡ください。