市原真「病理医ヤンデルの、医療とおちつけ。」
新型コロナウイルスの影響がまだまだ続いています。
慌ててしまうときや、感情的になりかけたとき、
自分に言い聞かせたいことばが「おちつけ」。

おちついていられない病院に勤めながら、
適切な医療情報を発信しつづけていた
「病理医ヤンデル」こと市原真さんに
リモートでお話をうかがいました。

職場の壁に飾られた「おちつけ」掛け軸には、
どんな効果があったのでしょうか。
担当は「ほぼ日」の平野です。
(2)病理診断と文章の共通点。
──
診断中につい熱くなってしまうときは、
「いけない、熱くなりすぎたな」と
どこかで我に返るのでしょうか。
市原
「我に返る」というよりは、
「我を返す」という感じでしょうか。
──
我を返す?
市原
診断をしていますと我が出てくるんですよ。
「ワレッ!ワレッ!ワレェッッ!」って、
経験の塊の「我」が出てきます。
顕微鏡でパッと目に入ってきたものに
経験が解釈を勝手につけてくるんです。
まず自分でのめり込んで観察し、
カシャッと写真を撮るようにしたら、
これまでの経験で見えたものはわかります。
一旦そこから引いて、「我」を返すんです。
おちついて全体を見て、
「おれ、いっつもここ見落とすよな」
というところまで気づけると
すごくかっこいい診断ができます。
──
その「かっこいい診断」は、
若い頃にはできていなかったのでしょうか。
市原
自分の経験が浅かったときには、
より上の病理の先生、病理の先輩、師匠、
そういった方々がいて、
「いや、こういう見方もあるよ」と言ってくれます。
ぼくのいる世界は複数で診断することが多くて、
それこそ二人三脚だったりします。
ただ、ぼくもキャリアが中盤になってきて、
ひとりで決めなきゃいけない部分も出てきたし、
ぼくよりまだ勉強中の人が疑問を持っているところに
介入しなければならないときもあります。
なので、若い人が熱くなっていると、
「ちょっとおちついて、こっちも見てみよう」
みたいなことを言うことも、当然ありますよ。
──
文章にも似ているところがあるなと感じました。
夢中になって書き進めて「できた!」となっても、
先輩や同僚の目を通すことで、
自分で気づけていなかったミスや、
よくない表現に気づかされるということが
新人の頃にはたくさんありました。
これからもっと経験を重ねていけば、
おちついて推敲できるのかなと思うんです。
市原
なるほど、いいことを聞きました。
最近はあまり言語化をしていませんでしたが、
診断という行為と文章を作ることは、
根本のところで繋がっている気がするんです。
なぜかというと、ことばになっていないものを
何らかの形にして人に見てもらう行為ですから。
これは、診断も文章もまったく同じなんです。
文章を作ることをちゃんと意識しないと、
ぼくの診断学は進んでいきません。
だから、「似てますね」じゃなくて、
「まったく同じですね」と言いたくなりました。
──
診断だけでなく、伝えるところまでが
病理学の役割なんですね。
市原
そうなんです。
からだの中にある細胞は、
性質によっていろんな形をとっているので
我々病理医が診断をして翻訳をかけるんです。
その細胞の情景を読み取ったり、
なんならどういう気持ちなのかを汲んであげて、
自分なりのストーリーにして
臨床医や患者に渡します。
細胞を翻訳する診断学の作業と、
取材をして記事にまとめるという文章とは、
やっぱり構造がよく似ていますね。
──
診断と文章は似ていたんですね。
文章といえば、
ヤンデル先生は日々ブログやTwitterの
更新をつづけていらっしゃいますよね。
市原
そうですね、ずっとやっています(笑)。
──
新型コロナウイルスの危機が続いていますが、
こういう非常事態のときに、
医療のことをよく知っている先生がたに
正しい情報を発信していただけたことで、
(それから、医療と関係のないギャグも含めて)
不安になっている我々に向けての
「おちつけ」になっているのではないかなと。
市原
医療関係者を代表するのはおこがましいので、
ぼくがもっと若い頃、
上の世代のおちついている人たちを見て
感じていたことを話しますね。
──
はい、ぜひ。
市原
今から10年前の東日本大震災や
26年前の阪神淡路大震災、
他にもたくさんの災害がありましたけれど、
ぼくの上の世代の人たちは災害時に
いろんなところに目を配っていました。
決して右往左往せずに、
適切な情報をバトンのように渡してくれたんです。
それを見ていたおかげで、
「あ、専門家はパニックにはなっていないんだ。
助かるな、ついていこう」
と思えたんです、ぼくも。
その当時、ぼくを安心させてくれた人と
同じことできているかわからないですけど、
ああいう存在になれたらなと思いました。
──
先輩たちの振る舞いが
参考になっているんですね。
市原
そうです。
ところが今、自分が大量の情報を見ながら
振り分けられそうな立場になってみると、
先輩がたはこんな状況のど真ん中にいながら、
よく平然とした顔をしていたなあと思います。
正直に言いますと、
心の中はごっちゃごちゃですし、
慌てたいときだってありますよ。
──
やはりそうですか。
市原
ぼくが感じているのは、
この世の中にある事実よりも、
人々の不安の波のほうが怖いですね。
こっちの元栓は閉めてほしい、こっちは緩めてほしい、
その認識がずれているとアワアワしてしまいます。
これ、なんとかならないのかなって思いますが、
先輩たちのおちつき方を思い出して、
「いや、もっと大局を見てみよう。
一部の人とケンカして勝とうとするんじゃなくて、
全体の調整をしたり、
みんながおちつくようなことばを選ぶことを、
あの人たちは考えていたぞ」
というのを、必死で思い出す毎日ですね。
──
今回のコロナウイルスの件では、
大震災に比べて医療に任されている領域が
大きかったのではないでしょうか。
市原
ぼくが先ほど震災や災害と言ったので、
確かに医療と関係ないような話も
混ざってしまいましたね。
ただ、ぼくが東日本大震災における
ひとつの象徴的なできごとが、
サイエンスに関するものの見方や
人々の関わり方なんじゃないかと思うんです。
原子力発電所の被害があったからだとは思いますが、
科学に関する情報をどう扱ったらいいかは、
これからの社会の問題なんだなって
震災を経験してはっきり自覚したんですよね。
ですから10年前のぼくは、
科学者がどうやって世の中と対話をしていくのか、
よく注意して見ていました。
で、新型コロナウイルスが流行してからは
科学者の中でも、医学を扱う人たちが
フィーチャーされていますけど、
「科学の伝え方」という広い意味では、
やはり似たものをぼくは感じていますね。
──
確かにほぼ日でも、東日本大震災をきっかけに
科学について考える機会は増えました。
最近も、医療や科学の分野の読みものが
さらに増えている実感はあります。
市原
そうですね。
確かに、医療っていうのが
科学の中でも注目される分野として
受け入れられるようにはなってきましたね。
そんな中で、医療が注目されているからといって、
我々がさらに何か新しいことをするかというと、
いや、それこそ「おちつけ」です。
医療だけのテクニックや医療だけの強みをもって
みんなを変えていこうなんていう考えは、
ちょっと自分を入れ過ぎな気がします。
──
なるほど。
市原
自分の専門的な経験に目をつけて
情報を仕入れたら一旦スッと離れて、
周りの人からどう見えるのかなって見ないと、
伝わるものも伝わりません。
我々が専門的な技術と情報を
みなさんにお届けするのは当たり前ですが、
世間のほとんど全てに行き渡るところまで
やらなきゃいけないのかといえば、
もう医学の範疇を越えてきますよね。
その、越えてくると思うんだよなって
自分で気づくために必要なのはやはり
「おちつけ」という感覚だとは思います。
──
あ、先ほどの診断のお話と
姿勢が一貫していますよね。
市原
おっしゃる通り、似てきますね。
(つづきます)
2021-02-20-SAT
ほぼ日の「おちつけ」グッズ、
ほぼ日ストアで好評販売中です。
糸井重里が大切にしている
「おちつけ」のことばと暮らせる、
ほぼ日の「おちつけ」グッズ。

病理医ヤンデル先生こと市原真さんの
職場にも飾られている
「おちつけ」掛け軸も含めた全4種類が
ほぼ日ストアで好評販売中です。
ほぼ日の「おちつけ」掛け軸
3,300円(税込・配送手数料別)
ほぼ日の「おちつけ」ピンバッジ
715円(税込・配送手数料別)
ほぼ日の「おちつけ」キーホルダー
1,320円(税込・配送手数料別)
ほぼ日の「おちつけ」マグカップ
2,090円(税込・配送手数料別)
ほぼ日の「おちつけ」 ほぼ日の「おちつけ」グッズのご購入はこちらから