2013年のインタビュー 自分らしいものが焼きたい


2013年インタビュー(その2)韓国で修行。
韓国に行ったときは、
やきもののほうのつてはありませんでした。

でも向こうの人って、
何でもすぐ紹介してくれるんですよ、人を。
日本って、人を紹介するときって、
ある程度、選ぶじゃないですか。
そこが、全然違いますね。

で、そんなふうにたどっていくうちに、
あの人のところに行ったらいいよ、
って言われることがあって。
いろいろな作家さんのところに
遊びに行くようになって、
気に入った人のところに、
弟子入りさせてくれってお願いしたんです。



韓国には1年半いたんですけれど、
ふたり、先生についたんです。

1人目の先生は期間短いんですよ。
そこでは、
蹴(け)ろくろは教えてもらったんですけど、
ずっと陶器やるのかと思ったら、
昼間は農業ったりしてました。
趣味でりんご農園持ってたんで、
その作業とか、犬の散歩とか。

ちょっとこれは時間がないのに嫌だなと思って。
韓国には全部で1年半だけ行ってたんで、
その中でできるだけ勉強しようと思ったら、
これでは来た意味ないなと思って。
3ヵ月ぐらいでやめました。



もっとちゃんと、
仕事を教えてもらえるようなところと思って、
そこでの友だちに紹介してもらって、
慶州のほうに行ったんです。

それが2人目の先生です。
その先生はメインで磁器の器類をやって、
同時に薪窯の茶碗関係をやってました。
茶碗系の土をいろいろ試してるところでした。

そこでは、
昼間からみっちり、
夜まで仕事してっていう感じで。
そこに1年と少しいて、
日本に帰ってきました。



陶器で、自分がどうやっていきたいかと考えたら、
個人で、展覧会中心でやっていきたい
と思ったんです。
韓国って、そういう文化はあんまりなくて。
問屋さんに卸すのがメインなんですね。

それだったら、日本で働きながら、
いろんな作家さんと触れ合ったほうが
おもしろいなという気持ちが
韓国にいる途中から出て来てたんです。

戻ってきたら、
仕事するなら唐津か信楽って決めてました。
ちょうどそのときに、
韓国の先生も日本を1回見たいというので、
一緒に美濃のほうから九州のほうまで
ずうっと案内しながら回って。



そのなかで、
信楽で澤清嗣さんのところに行きました。
そしたら、和気あいあいとしてるし、
「おう、来いよ来いよ」みたいな感じで、
ここ、いいなあ、って思って。

信楽に来てからは、
製陶所に2年勤めました。
仕事が終わってからの時間は自由だったんで、
澤清嗣さんの息子さんの克典さんとか、
個人でやってる人たちのところに遊びに行ったり、
仕事場もその時に借りてたので、
そこで作ったりとか。

最初から2、3年でやめるって決めてたんで、
ぴったり2年でやめて独立しました。
それが、2009年です。



(次回につづきます)
2014-01-09-THU


前へ   前へ
メールをおくる ツイートする ほぼ日ホームへ
HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN