![2013年のインタビュー 自分らしいものが焼きたい](images/suzuki/title.gif)
![](../../2013/images/bar700.gif)
![2014年のインタビュー 自分らしいものが焼きたい](images/suzuki/midashi_1.gif)
やきものは、
大学のサークルで始めました。
普通の4年制大学の、サークルです。
2年生のときです。
1年生のときは、
受験勉強が終わって、
もう、遊びたいばっかりでしたよね。
![](images/suzuki/01.jpg)
サークルに入ったそのころ、
もうちょっと真面目に生きようと思ったとは思います。
何か一所懸命やろうって。
だからって、何で陶芸だったのかはわからないです。
サークルは、
わりと自由にやらせてくれた感じですね。
でも、釉薬は、
調合されてる、買った釉薬はダメだっていう
暗黙のルールみたいなのがあったり。
サークルが揃えてくれたものを、
自分で調合して作ったりとか、
土も、いまでも買うような業者を、
探し当てて買ってたりとか。
先輩が、マニアックな人が多かったんですよ。
今年、50周年なんです。サークルの。
卒業生で、いまプロでやってる人が、
13人ぐらいですね。
![](images/suzuki/02.jpg)
大学では、総合政策学部っていう学部で、
いろんな専門の先生がいたんですね。
美術専門の先生のゼミに入ったら、
「君はサークルで陶芸やってたらいいから」
って言われたっていうのが大きくて、
卒論も、「陶器について」みたいなことで。
家も、やきものとはとくに関係はないんです。
ただ、こどものころ、
母親が、陶器屋さんとか、
よく連れてってくれたりしましたね。
うちは、父親の仕事の関係で
何度か引っ越しているんです。
小学校の5年生まで、
松江に住んでいました。
そのころに、
出雲にある出西窯という窯元が、
父親も母親も好きで、
たまに連れてかれてたりっていうのが、
精一杯の陶器との関連性(笑)。
![](images/suzuki/03.jpg)
大学を卒業するとき、
他の就職は考えなかったです。
就活はしたんです。
親に「陶芸やるから」って言ったんですけど、
反対されて。
一応、就活だけはして、
その間に親を説得しようと思いました。
だから、森ビルとか電通とか博報堂とか、
有名なところばっかり受けて。
そこの仕事に興味があるか、っていったら、
まったくないんですよね。
親を説得するための時間が必要だったんです。
そうしたら、条件として、
弟子入りを日本でしないならいいよ、
っていう話になったんです。
日本でやるんだったら甘えるでしょう、
海外に行くならいい、って。
![](images/suzuki/05.jpg)
たぶんやめさせたかったんでしょうね。
行かないだろうと思ってたんじゃないですかね。
ちょっと試されてたのかなと、いまは思います。
父親が、中国か韓国なら誰か、
最初の何ヵ月か、
面倒見てくれるような人を紹介できるって。
どうせ言葉もできないだろうというので。
父親は、宗教民俗学をやってて、
中国や韓国に知り合いがいたんですね。
将来、日本で陶器やるなら、
絶対お茶に関わってないといけないと思ったので、
それに感覚が近いのは韓国だな、と。
僕は井戸茶碗が好きだったこともあって、
韓国に行くことにしました。
やや、渡りに船みたいなところもありましたね。
![](images/suzuki/04.jpg)
(次回につづきます) |