「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」の おすそわけ
第3回 「絵を描く」という仕事。
糸井 職業にはできてないけれど
絵を描いている人や、
絵を描くのが
好きな人たちというのは、
たくさんいると思うんですね。

その人たちには、かつては
画家として画壇にデビューする以外の
道がなかったと思うのですが、
ゾーヴァさんにとっての
ポストカードというような
画壇以外で活躍できる
世界が出てきたおかげで
画を
諦めないですむようになってます。

これは、絵を描いている人たちに
たくさん勇気を
与えたと思うんですよ。
ゾーヴァ なるほど。
まずはこのポストカードを
作ってくれる会社を
見つけることが大事ですね。
ポストカードを印刷して、
出してくれたところが
実際に各店で販売してくれて
広めてくれる。
営業活動をやってくれることも
大きな仕事ですから。
糸井 そうですね。



ゾーヴァ 私の場合は
友人がポストカード会社を
つくったのですね。
でもこのポストカードも
売れるまでには
非常に時間がかかりました。

90年代のはじめに
私のポストカードを持って
ニューヨークの大きな見本市会場で
ドイツのポストカードとして
広めようとしたんです。
でも反応があまりよくなくて‥‥
手に取ってくれたのは
一日に5人くらいでした。
そういった意味では
ポストカードは必ずしも
簡単に手軽に広まるメディアでは
ないかもしれません。
糸井 今ですと、
この役割をインターネットが
持っているんじゃないかなって
思ったんです。
ゾーヴァ すみません。
私はインターネットを
まったくしないので
ちょっとわからなくって。
技術的に遅れているんですね(笑)。
糸井 いえいえ(笑)。
最初にうまくいかなかった話も含めて
どこかにお願いするということではなく、
お友達のポストカード会社の社長さんと
一緒にちょっとずつ
自分たちで決定できることを
やっていたっていうのが
素敵な話だなと思ったんですね。
ゾーヴァ たしかにけっこう楽しい時でした(笑)。
一番最初にニューヨークで
ホットドックを首からぶら下げるような
板にポストカードを乗せて
本屋さんを歩いて
「これ、売ってくれない?」と
冗談半分で売り込みをしたこともあります。
糸井 それをやり続けてきたから
今、こんなにたくさんあるんだもんな。
ダメだっていわなかったんだもんね。
ゾーヴァ でもそういうことも含めて
すべて友人がやってくれたので、
彼のおかげです。
糸井 その方はこの仕事のために前の会社をやめて
ポストカードの会社を始めたんですよね。
ゾーヴァ ええ。
彼は広告の会社を自分でやっていたのですが
もう広告の仕事にうんざりしていたんです。
例えばカーテンレールを
売ろうとするお客さんのために
いちいちプレゼンテーションを用意して
きちんとした格好をして‥‥
糸井 ネクタイをして(笑)
ゾーヴァ そう(笑)
こんなふうに広告をしてはいかがでしょうと
プレゼンテーションをするのが
もうばかばかしくなっていたんです。
そんなときにですね
「ポストカードは手軽でいいじゃないか。
 モノがもうあるわけだし、
 それを車で売りにいけばいい」って
思ったんですね。
糸井 モノも小さいしね。
ゾーヴァ 邪魔になったらまたたたんで
帰ればいいじゃないですか。
でもその広告会社をやっていた時代の
数年間の儲けを投資して
ポストカードを作ったり、売ったりしたので
広告の仕事も
全く無駄だったというわけではなかったかな。
糸井 ゾーヴァさんは
絵を描いて職業にしていこうと
自信を持っていえるようになったのは
いつ頃なんでしょう。
ゾーヴァ まだ自分の家族を持っていなかったときですね。
一時的には描いた絵を売って
食べていた時代もありました。

ポストカードや
本のイラストの仕事は後から
仕事になっていったんです。

絵だけを売って生きていくというのは
もうとてもできないですね。
家族を持ってしまったので
お金がかかってしまいますし(笑)。
いろいろな方法で
稼ぐようになったのは
とてもよかったと思います。
(つづきます)
【通訳】
ゾーヴァさんと糸井重里の対談は
ゾーヴァさんの本を何冊も翻訳されている
木本栄さんに通訳をお願いしました。
2006-02-06-MON



「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」の おすそわけ

キリンと暮らす
 (画像をクリックすると絵を拡大します。)
  展覧会の会場でこの絵を前に
 二人が語り合ったことを
 こちらからお楽しみください。