第9回 価値を超えた無価値のよさ

白岩 やっぱり、自分のふつうの日常を
どれだけきちんと持っているかというのが、
すごく大事になってくるような気がしますね。
糸井 そうですね。
人がふつうに生きてるっていうことの
すごみってありますから。
バカにできない、すごさや大きさがある。
白岩 それって小説になんないのかなぁ。
それを小説にしてもどうにもなんないのかな。
糸井 かつて、いろんな人が
何度も挑戦したんじゃないですかね。
白岩 ああ、そうかもしれません。
糸井 「私小説」という形も、
それで生まれたのかもしれないし。
たとえば、ぼくが若いころに読んで好きだった
太宰治の中期の小説なんかには、
ふつうの人への大きな敬意がありますよ。
戦争に行く義理の弟を
物陰から見送るような話とかね。
大きなお腹でお参りに行く妊婦の話とか、
中期の、まだ体の調子のよさそうなころの
太宰治はとってもいいんですよ。
白岩 あ、そうですか、読んでみます。
糸井 たぶん、白岩さんも好きだと思いますね。
あのころの作品はいいんですよ、
笑いたくなるんです、よくて。
白岩 「笑いたくなる」(笑)。
小説読んで笑いたくなるってことって、
あんまりないです。
糸井 いいものって笑いたくなりますよ。
赤ん坊の顔とかさ、笑いたくなるじゃない?
白岩 はい、はい。
糸井 「お前、いい顔してんなぁ」って(笑)。
白岩 犬なんかもそうだし。
糸井 ああ、犬もそうですね。
この『空に唄う』のなかに
出てくる犬もいいですよね。
それこそ、価値を超えた無価値のよさですよね。
白岩 ああ、そうかもしれません。
糸井 そういう無価値のよさが、
この小説のなかにはちょくちょく出てきますよ。
なんでもない友だちとか、教習所とか。
白岩 ああ、はい、はい。
糸井 とにかく景色が平凡でいいんですよね。
素人写真みたいな景色がいっぱいあるんですよ。
白岩 ああ、なるほど(笑)。
糸井 それも「これ以上書かない」と
同じことだと思うんですけど、
なにかの景色を書くときって、
ついつい、陰影をつけちゃったり、
ネガポジ反転させちゃったり、
いろんなことをやりたくなっちゃうんですよ。
でも、白岩さんの場合は、
「まったくやらないぞ」って
あっきらかに意思を持って書いてる。
白岩 というか、ふつうは、
もっといろいろやるもんなんですかね。
糸井 そういう人のほうが多いと思いますよ。
漫画なんかだと、特別にコマを大きくしたり、
克明に描き込んだりとかさ。
そういうことを断固として白岩さんはやらない。
白岩 でも、人間の意識って、なにかの風景を
そんなに鮮明に認識してないですよね。
もっと、いい加減なもんでしょう?
だから、景色とか状況を
綿密に描写している小説があるとして、
もちろんそれはそれで読む側からすると
すごいなとは思うんですけど、
読んでいて、ついていけなくなるときもあるし、
そもそもそんなに意識しいへんやろ
っていうような気持ちもあるし。
なんか、そのあたりが、自分が小説を読んでて
つねに引っかかる部分なんですよね。
だからぼくは背景として見えてるものを
そんなに書かないんですし、
もっと人間の意識に沿った書き方が
できるんじゃないかと思っているんです。
糸井 白岩さんがひと時代戻って
コピーライターになってたら、
もうなんでも書けますね。
白岩 すごいことばをいただいた(笑)。
糸井 ほんと、そう思います。
白岩 「ひと時代戻って」ってどういうことですか?
糸井 いまはその力が要求されてないんですよ、広告に。
白岩 ああーー。
糸井 だから、あっても使い道がないんです。
そういう無価値のもののよさを
そのまま書ける力って。
また価値の話に戻るようですけど。
白岩 そういうものを好きな人って少ないんですかね。
糸井 でも、かならず3人はいる、
みたいなところがあるからね。
ただ、3人だけだと、
その力は要求されないかもしれない。
白岩 3人では食えない(笑)。
糸井 そうなんですよ。
ただ、その3人が突然増える可能性はあるし、
そのへんはわかんないですよね。
白岩 はい。
糸井 また、「読まなくても買う」
っていう人もいたりするから、
またややこしくなるんですよ、話がね。
白岩 そっか、そっか。
糸井 読みやすい話なんだから
買った人は読んでるだろうと思っても
意外と読んでないものですよ。
『野ブタ。をプロデュース』って
けっこう売れましたよね?
白岩 はい。
糸井 でも、数十万部売れたといっても、
その数十万人全員が読んでるわけないと思うよ。
白岩 ああー、そうでしょうね。
そうか、そういうことか。
いま、あんなに売れた理由がわかった(笑)。
糸井 人って、ひとりひとりは複雑でも、
大きな理由があると、
そのとおりに動いていきますからね。
あの、ぼくは釣り人の目で
よくやるんですけど、屋上からね、
雨が降り出したときに下を見るんですよ。
「雨だーー!」っていうときにね。
そうすると、人って、やっぱり、
「こう動くだろうな」というとおりに動くんです。
白岩 えーー、そうなんですか。
糸井 うん。ちょうどいい軒下に集まったり、
タイミングを見て駆け出したりね。
そりゃそうだよな、って思いますよ。
でもね、下に降りていって、
雨宿りしているひとりひとりの顔を見ていくと、
「ああ、この人はこの人で
 いろんなもの背負って生きてるんだな」
っていう顔をしているわけですよ。
この複雑さに私はたじろぐ、
っていう顔をしてるんです。
その個々の複雑な動きとね、屋上から見た
「ああ、濡れないようにあっちに行ったな」
っていうのは、同じ目で、
三次元の視点で見ていかないといけない。
白岩 うーん、なるほど。
糸井 で、お前、できてんのかっつったら
できてないですよ、ぼくも。
だけどしょっちゅう意識して、
行ったり来たり、させてますよね。
(続きます)
2009-07-31-FRI
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