6 なんとかするちから。
糸井
このお店の持つヤンキー性も
おもしろいですよね。
松戸、千代田線の、健康な野心みたいな。
増田
それ、ちょっとあるかもしれない(笑)。
ぼくはいま45歳なのですが、
千葉県松戸市出身で、
80年代に千代田線で原宿に出てきて、
竹の子族とかを見ていました。
当時は10代の多感な時期で、
原宿からいろんな刺激を受けました。
ぼくはぜんぜんヤンキーになりきれない
半端ものでしたけど、当時はそういう半端ものが
たくさん原宿には出てきてたんです。
まさかいま、原宿でこういう活動をするとは
思ってなかったんですけど。
糸井
ヤンキーにもいろんな人がいるんでしょうけど、
ぼくがかっこいいなと思うのは、
ヤンキーの人たちって「世のため人のため」みたいに
言わないことなんですよ。
そうじゃなくて「俺は、自分とお前らを守る」。
永ちゃん(矢沢永吉さん)がかっこいいのもそうで、
「俺は金が欲しい。俺はいい酒が飲みたい。
俺はいい車に乗りたい」って、
発言の主語がいつも自分なんです。
「金の金じゃないのよ」とかあとで説明はするんだけど。
そういう「自分発」の精神を
持ってるか持ってないかが、
ヤンキーの境目だと思うんです。
増田
じゃあ、やっぱりぼく、半端ものでした。
糸井
だけど、じゃあ、両方がわかるんじゃない?
増田さんがヤンキー側で半端だった人だとしたら、
ぼくは学生側で半端だった人なんです。
ぼくは大学に行ったほうですけど、
ヤンキーにあこがれがありましたから。
大学だとみんなが
「俺は」じゃない話しかたをしたりするんですよ。
増田
そうか、半端ということでは
いっしょなんですね。
糸井
そう、半端はいっしょ。
そしてぼくはやっぱり、
永ちゃんの影響をすごく受けてるんです。
じつはいまでも影響を受け続けていて、
「ここぞ」というときに飛び込むのは
永ちゃんなんです。
増田
矢沢永吉さんの『成りあがり』って
糸井さんがインタビューされたんですよね。
ぼくも、すごく興奮して読みました。
糸井
絶対読んでますよね。
増田
はい、読みました。
糸井
当時のヤンキーは、ヤンキー候補生も含めて、
みんなあの本を読んでましたよね。
あと、レストラン業界の人も読んでる。
要するに
「頑張ればトップに行けるかもしれない」
という業界にいる人は、あれを読むんですよ。
増田
なるほどね。やっぱり影響受けてます。
『成りあがり』は
漫画化されたものも読んでますから。
糸井
ぼくは野球が好きなんだけど、
ここぞという場面では、テレビの音を消して
イヤホンで永ちゃんの曲を流しながら
中継を見るんです。
自分がめげないように。
増田
ええ、すごいなあ。
糸井
自分自身のことで永ちゃんの曲をかけるのは、
やっぱり頼りすぎだと思うんです。
自分は自分だし、ぼくから永ちゃんに
あげられるものさえなきゃいけない、ぐらいの
気持ちがあるんで。
だけど野球は自分に何もできないんで、めげるんですよ。
そういうとき、永ちゃんをかけるんです。
昨日もヤクルトとの試合の球場に、
電車で永ちゃんを聞きながら向かいました。
増田
へえー、そうやって発奮させてるんだ。
おもしろいですね。
やっぱり、いろいろあるんだなあ。
もう、糸井さんくらいになると、
そういう感情は
オン・オフできるのかと思ってました。
糸井
できないです。
そこは、こどものままです。
増田
(笑)‥‥うれしいです、何か。
糸井
そして、年をとるにしたがって、
年とったなりの永ちゃんのありがたさを知るんですよ。
増田
それもなにか、わかります。
‥‥ぼく、糸井さんって、
もうちょっとクールな立ち位置で
世の中を見てる人かと思ってました。
ぼくからしたら
早くそういう糸井さんの世界に行きたかったのに、
こんなに時間かかっちゃったよ、
という気分だったんです。
糸井
とんでもないです。
その自分の感情みたいなのをつぶしたら、
やってる意味がなくなるんです。
もちろんクールじゃないと勝てないし、
よりおもしろいものを作れない。
だけど、そっちの
「感情がウワーッとなってる部分」がないと、
生きてる意味がなくなりますから。
パッション、ないとだめですよね。
増田
ああ。今日はうれしいな。
糸井さんのそういう部分って、
ぼくの立場だと、なかなか見えなかったんです。
糸井
わかんなかったですか。
増田
はい、わからなかったです。
糸井
そっか、もっと言おうかな。
だってぼくは必要性を感じて、
勉強してクールになったんだもん。
増田
ぼく、コンプレックスがあったんですよ。
千葉県松戸の、
いわゆる「ワルい地域」出身で。
糸井
コンプレックス、ないとだめでしょう。
増田
しかもぼくは大学とかも行ってない、
雑草みたいなもので。
広告代理店出身とかでもないのに、
ここまでぜんぶ、横入りで来てるんです。
糸井
ぼくもそうですよ。
だってぼく、最初に原宿の会社へ勤めましたけど、
当時の原宿の広告会社なんて
下請けに決まってるじゃないですか。
カメラマンとアートディレクターが
バタバタ撮ってきた写真を「頼むな」って渡されて、
広告にしなきゃならなかったんです。
それ、写真ってだけで、広告になってないんです。
そこをなんとかしないと‥‥っていうのが、
ぼくのデビューですから。
増田
やっぱりなにか「編集能力」なのかな。
大事なのって。
糸井
いや、そういう技術よりも
‥‥なんとかするちから?
増田
ああ、そうか。
そうですね。
糸井
さきほどの増田さんの
ヨーロッパ行きもそうですよね。
なんとかするちから。
増田
そこはほんとに大切ですよね。
サバイバルしていくためには。
糸井
うん、そのことが、
次のおもしろいものにつながるんじゃないかな。
ぼくがミュージシャンの人たちと交流できたり、
広告のコピー以外の仕事をはじめたきっかけも、
だいたいそういうものです。
『成りあがり』だって、もともとぼくは
キャロルと何のつながりもないから。
増田
最初って、そういうものですよね。
糸井
そうですよ。
『成りあがり』については
もともと当時出てきたばかりの
「ダウンタウンブギウギバンド」のことを
おもしろいなと思ったんです。
そして、この人たちのインタビューを
書きたいなと思って、スケジュール調べて、
ツテもなにもないなか、
とにかく彼らがコンサートをするという
沖縄に行ったんです。
ホテルの場所を聞き回って、スケジュールを調べて、
同じホテルに部屋を取って。
フロントの人に、彼らの部屋の鍵がある場所に
「取材させてください。
『ローリングストーンズ』誌で来ました。」
という置き手紙を入れてもらって、
どうなるかわからないながらも、部屋で待っていました。
そしたらボーカルの宇崎さんが来てくれた。
それがぼくのデビューです。
原稿料はただで、ぜんぶ持ち出し。
でも、やりたかったから。
増田
そこですよね。
糸井
そして、それを読んだ小学館の編集者が
「この人が矢沢永吉について書くと
いいんじゃないか」と連絡してくれて、
『成りあがり』になりました。
それもぜんぶ、原宿での物語です。
もう覚えてないけど、
たぶんぼくは貯金通帳の中のお金、
その都度ゼロにしてたんです。
増田
そうなんですね。
ぼくはいまもなお、そんな感じです。
(つづきます。)

2015-12-28-MON