第5回 反応の波紋が、デザインを開く
ほぼ日 デザインの仕事をしていて、
いつも、こころがけていることはなんですか?

「思いがけない反応」は、収穫なんです

佐藤 若いころは、
「これに、たずさわったんです、と、
 自分で自信を持って言える仕事を
 1年にひとつやれば、10年で10個、
 見せられるものができあがるぞ」

と考えていました。

「常に、何かひとつ、
 売りあげと関係のない実験を入れる」
というのは、可能なんです。

もちろん、商品が流通しなければ
メーカーはなりたたないから、
責任として、気にいってもらえる商品を
つくるんですが、その上で実験をしよう、
と考えていたんです。

「仕事で、実験をしたって、いいんだ!」
と思えたことは、大きなよろこび、でした。
「これは、ほかには、あまりなかったぞ」
という、
提案性のある仕事にも挑戦したいと思ったし、
実験をしたら、手ごたえもありましたし。

「手ごたえ」というのは、
「自分の思ったとおりに、世の中が動いた」
というわけではないんです。
実験をすることによって、
いろいろな反応が、見え隠れするんですね。

何もしないと、何も起きないんだけど、
「ここらへんはどうかな?」と杭を打つと
杭を中心に、さざなみが起きるんです。
そのさざなみを見ると、
いろいろなことがわかるんです。

「あぁ、こういうふうに、受けとるんだ」

「自分は、こう考えたけれども、
 こんなふうに受けとめちゃう人もいる」

お客さんが、思いがけない
反応をするとわかった、
というのは、収穫なんですよ。
その反応で、
自分もメーカーの側も、いろいろ
得るものがあるのですから、
お客さんとのコミュニケーションを、
そんなふうに
先々につないでいけばいいんだ、
という気持ちも、
だんだん、生まれてきまして。

実験は、何かひとつでいいんです。
ひとつでも、充分に反応がありますので。

発注は、仕事の入口に過ぎないんです

佐藤 ふつうの仕事では、
ぜんぶのデザインにたずさわることは、
基本的には、できません。
たとえば、化粧品で言えば、
女性の使うアイシャドーや
リップスティックの色のデザイン、
なんていうのは、むずかしすぎて、
その道の専門家でなければ、わかりません。
つまりそこでは
「何もかも」にはたずさわれないんですね。

かたちや、素材や、パッケージで
何ができるか……要は、
自分に与えられた場で何ができるか、
そこでも、何かひとつ実験をしてやろうという、
そういう仕事のやりかたになっていきます。

ウイスキーの
自主プレゼンテーションをしたときには、
「何もかもを、決める」ということに
たずさわれたので、大きな経験になりました。
もちろん、どんな条件でも、
実験はできるのですけど、
ウイスキーの場合には、
かなり川上のところからたずさわれたので
大きかった、ということですね。

そういう「自主プレゼン」でもなければ、
デザイナーは、
「最初から」は求められもしないわけです。
「あの……何もできていないんですが、
 ちょっと、一緒に、何かしませんか?」
というのは、最近だからこそ、
すこしずつそういうことも起きてますけど、
仕事をやりはじめた当時は、
デザイナーに発注される時点で、
ある程度、中味も目的も決まっていました。

商品販売に向けた
ある程度の準備が整ってから、
デザイナーに声がかかるわけです。
ピュアモルトの広告では
「まだ、ウイスキーが、樽の中で眠っている」
というような素材しかないところからでして、
それが自分にはあまりにショックだったので、
また何か、そういうことがしてみたいな、
というような気持ちで
機会があれば仕事に食らいついていくという。

「仕事は、入口なんだ」
と、そのうちに考えるようになりました。
ある条件が整ってから
デザイナーのところに
話が来るんですけど、
それはあくまで
入口に過ぎないんです。

そこからさらにさかのぼった
川上のほうに問題がある場合には、
デザイン以前の話になるわけで、
川上を、何とかしなければ
いいデザインはできません、
というところに、さかのぼる……

「そういうことなら、お呼びじゃないよ」
ということであれば、
やるべき状態の範囲でちゃんとやります。

ただ、もしも、
「一緒に、問題の川上まで
 さかのぼっていい」ということなら、
どんどんさかのぼって、デザイン以前の
問題にまで踏みこんでいくといいますか。

仕事の発注は、
「ひとつのきっかけ」
であって、そこから転がしてもいいんだな、
と、仕事をしながら思うようになりました。

反応をきっかけに、議論していけばいい

佐藤 仕事をしているうちに、
企業のかたに、意見も、
伝えられるようになってきました。
会社にいたときには、
何も言えなかったんですが……。

社会に出て、
縦社会の人間関係の中におかれると、
自分がいかに
弱い人間なのかもわかりました。
その意味では、会社という
ひとつの所属するべき集団って、
自分がどんな人間かわかる場所だから、
おもしろいところがありますよね。

ぼくの場合は、
会社を辞めたら、すべての人と
ラクに話せるようになった気がしたんです。
辞めたとたんに、
「いや、それは、
 ちがうと思うんですけどね」

と、かつての会社の先輩に言える……
実際に言えたと気づいて、
自分でも、ほんとにびっくりしたんですよ。
「何を言ったっていいんだ、
 ひとりなんだから」
とは思っていたけど、
ほんとに自然にそれができて、
それで元気になりまして。
肌のツヤがよくなった、
と言われたほどでした。

独立してからは、ぜんぶ、
ほんとのことを言っていけばいいし、
自分の言葉に対して
相手が話してくれることを、
ぜんぶうかがう、
というやりとりをすればいい、とわかって、
会話のやりとりも、おもしろくなりました。

もともと、
ぼくは、強引に持っていく、
なんてこともできないタイプです。

やりとりの中から、
何かを見つけてゆく……
「ここにいきませんか」
と、こちらが杭を打つと、
「いや、我々は、
 そうではないと思う」
と、言われることも
出てくるわけです。
提示したものに反応があるから、
その反応をきっかけに
議論をすればいい。


強引に導こうというのは
性格的にはできないので、
そこではじめのころには
すこし悩んだ時期もあります。

「もっと強引に、
 卓ちゃんのやりたいことを
 やったらいいんじゃないの?」

「もっと、
 卓ちゃんらしさを出したほうがいいよ」

と、言われたこともあるんだけど、

「そんなこと言われても、
 オレ、それは、できないもんなぁ」

なんです。

若いときは、
そういうひとことに
影響を受けたりするじゃないですか。
そういうひとことを
言ってくださる人が、
チカラのあるかただったりすると、
余計に、影響を受けてしまいますよね。
しかし、それが自分に向いているかどうかは、
自分にしかわからないわけで……。
だから、
個性なんて考えなくてもいいと、
そのうちに思えるようになりましたけど。

仕事をすれば、
個性は出てくるので、いちいち、
無理に出す必要はないんですよ。


(次回に、つづきます)


佐藤卓さんのこれまでの
ほとんどの仕事を見られる大規模な展覧会は、
10月21日に開催されはじめました。
これから3か月間、おこなわれてゆきます。

この3か月のあいだに、
みなさんからのデザインについての質問や
佐藤卓さんの言葉への感想などを、
卓さんに伝えてゆこうと考えておりますので
質問や、感想など、ぜひ、
postman@1101.com
こちらまで、件名を「日常のデザイン」として
お送りいただけると、さいわいです。

2006-11-03-FRI

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