第3回
19年の空白期間ののち、
78歳で初の映画が完成。

──
佐々木監督は、1995年の『八月の叫び』以来、
19年ぶりの新作を、完成させました。

それも、はじめての「映画」ですね。
佐々木
ずっとテレビドラマをつくってきたから
「監督」って呼ばれるのは
この歳、78になって、はじめてなんです。

だから何だか、ピンと来ないね。
──
19年間、作品を手がけなかった理由は?
佐々木
新しい作品をつくりたいという衝動は
つねにあったんだけど
誰も声をかけてくれなかったんだよね。

みんな、リップサービスで
「次回作、期待してます」って言うんだけど、
ただ「期待してる」だけで。
──
そうだったんですか。
佐々木
結局、昔から僕の作品を好きだったという
岩波ホールの原田健秀さんが
プロデューサーになってくれたんだけど
原田さんにしたって
「とっくに死んでる」と思ってたらしい。
──
え、佐々木監督のことを?
佐々木
ずいぶん長いこと撮ってなかったしさ、
仕方ないけど。
──
「レジェンド」と化していた‥‥と。
佐々木
だから、はじめてお会いしたときには、
ずいぶんビックリしてましたよ。

「まだピンピンしてる!」って(笑)。
──
なるほど(笑)。最新作の主人公は
ミンヨンという韓国人の女性ですね。
佐々木
出会った瞬間、
「あ、次の作品の主役は、この人だな」
と思いました。2004年のことです。
──
え、じゃあ「未来の主人公」との出会いから
映画が完成するまでに‥‥10年も?
佐々木
うん、当時、彼女はまだ
早稲田大学の政治経済学部の学生でね。

早稲田の学生が
『夢の島少女』の上映会を開いてくれたとき
壇上の僕に
遠くの席から質問してきたんです。
──
ミンヨンさんが。
佐々木
僕は目が悪いから、どんな顔をしているのか
よくわからなかったんだけど、
「ああ、声のきれいな人だな」と思った。

スッと、耳に心地よい声が聞こえたから。
──
なるほど。
佐々木
上映会のあと、早稲田の南門の目の前にある
高田牧舎ってレストランで
僕は葡萄酒で真っ赤になっちゃったんだけど
近くの席に座ったんです、ミンヨンが。

「さっき質問してきたのは、この子か」と。
──
ええ。
佐々木
その後、早稲田の駅前にある
シャノアールって喫茶店に移動したら
今度は斜め前に座ったんで
「お名前は、何ですか?」と聞いたんです。

そしたら、やっぱりとてもきれいな声で
「ミンヨンです。
 早稲田大学の政治経済学部の経済学科で
 経済を勉強しています」
と、少しも目を逸らさずに言ったんです。

このとき、この人は、
次の作品の大黒柱になってくれる人だなと、
確信しました。
──
主人公が、そんなにも突然、やってきた。
佐々木
最初は声がいいなって思ってたんだけど、
よく見たら
耳や口元や鼻の造形もよくて
前からでも横からでも、顔立ちがいい。

立っている姿はスーッと伸びているし、
所作振る舞いが
「優雅」というわけじゃないけど、
どこか、なぜだか、魅力的だったんです。

心のあたたかい人なんだなってことも
話していて、わかったしね。
──
次の作品のテーマに合っていた、と?
佐々木
うん、これまで僕は、
ずいぶん鬱屈した人間ばかり描いてきたから
ミンヨンみたいに
さわやかな人が主人公の物語をつくりたいと
ずっと、思っていたんです。

テレビ時代と同じことをやるんじゃなくて、
そこからジャンプしたいって、思っていた。
──
ジャンプ。
佐々木
うん。
──
僕も、監督と同じくらいの年齢になったときに
そんなふうに思っていたいです。
佐々木
ああ、でも、ところがさ、
撮ってみたら、
戦争中の暗い話になっちゃっててね(笑)。
──
でも、ミンヨンさんの陽性な雰囲気もあって、
全体的には、
明るい太陽の光や青空の印象が残ってます。

ちなみに、出会いの時点で
「僕の次の作品に主演してほしい」とは‥‥?
佐々木
言えないよね、さすがに。
──
ですよね。
佐々木
それに、僕はプロデューサーじゃないから
出演交渉はできないんです。

出てくれって言って
映画ができなかったらサギになっちゃうし。
──
なるほど。
佐々木
だから、この子に決めたって思ったんだけど
映画のことを
相談できる人が誰ひとりいなかったんで、
そのあと2年間、忘れてたんですよ。
──
忘れ‥‥そうでしたか(笑)。
佐々木
プロデューサーもいなかったし、
そのころは大学の教授で教えてもいたし。

次の作品なんて
僕の頭のなかにしか存在しなかったから。
──
現実味を帯びてなかったんですね。
佐々木
でも、そうこうしているうちに
ミンヨンが留学期間を終え、
「もうすぐ韓国へ帰国するんです」って
挨拶に来てくれたんです。

だから、それから
携帯メールでストーリーを送ったりして
やり取りがはじまったの。
──
おお。
佐々木
ミンヨンも
「佐々木さん、また物語を考えたのね」
とか
「素晴らしいと思います、天才的です」
とか、リップサービスしてくれて。
──
メールで。
佐々木
うん。で、そういうやり取りをするなかで
あるとき出演交渉したんだけど
「わかりました」なんて軽い返事が来たんです。
日々のソウル大学の学業の忙しさに紛れた、
なんだか、そういう返事がね。

どうやら
「本当に映画に主演する」ということが、
伝わってないらしいんです。
──
一般人が「映画に出てくれ」と言われても
ピンと来ないかもしれないですね‥‥。
佐々木
そしたら、あるとき
いきなり「ダメです!」という返事が来た。
大学院の授業がきついし、
リーマン・ショックの余波もあって
就職活動も厳しくてそれどころじゃないと。

これは、会って話さないとダメだと思って
「じゃあ韓国へ行くのでよろしく。
 ご両親にも、ご挨拶させてください」
とメールしたんです。
──
なるほど。
佐々木
いちど、きちんと説明したいからと言って
時間を割いてもらって、
じっくり話して、
ようやく出演OKもらって別れた何分か後に
「やっぱりダメ」ってメールが来たり。
──
はー‥‥。
佐々木
そこで、お父さんに手紙を書いたんですよ。

400字詰の原稿用紙に10枚くらい、
どういう作品で、
どういう意図でお嬢さんに出てほしいかと。
──
ええ。
佐々木
でも、僕の「字」がね、
ふだんシナリオを書き散らすときみたいな
殴り書きだったらしくて、
日本に住んでいたこともあるお父さんにも
解読できなかったそうなんです。

辛うじて
「何月何日は、お時間ありますか?」
という部分だけが伝わったらしく
「何月何日だったら、お会いできます」と
電話が来ました。
──
ミンヨンさんの、お父さんから。
佐々木
おお、これはしめたってんで
約束の日に韓国に飛んでいって説明したら
「家族会議して、明朝、返事します」と。

そして、それでもまた「ダメ」で。
──
そんなに何度も断られたんですか。
佐々木
結局、3ヶ月くらいの間に3回も
ソウルへ足を運んで、
ようやく、主演を了承してもらったんです。
──
そこまでしても、ミンヨンさんがよかった。
佐々木
ミンヨンしかいないと思った。
──
なぜですか。
佐々木
物語の画面ににじみ出るのは人柄だし、
ミンヨンは、
本当に、人柄が素晴らしかったからね。

でも、本人は自分自身の素晴らしさを
ぜんぜんわかってないんだな。

「私には演技の経験もないし、
 映画の主人公なんて絶対に務まりません」
の一点張りで。
──
一般の人としては
もっともな主張ではありますよね(笑)。
佐々木
しまいには足のせいになんかし出したりして。

「高校時代、
 バスケットで痛めた膝がいまごろになって」
とか、いかにも逃げ口上みたいな。
──
まあ、昨日までふつうに暮らしていた人が
映画に主演してくれと言われたら
おそらくは、それくらいひるむと思います。
佐々木
でも、そんなこんなでOKをもらえたので、
2ヶ月後、
2010年の10月末から撮影をはじめました。

日本で撮ったから、
ミンヨンは、月・火・水・木・金曜日の昼間は
ソウルの大学院、
金曜の夜に日本に飛行機で来て、
土日で撮影し、日曜日の夜に韓国へ帰っていく。
──
うわー。
佐々木
そんな中、卒業論文も書いて、
就職の面接を受け、いい金融企業にも合格して。
──
すごい。
佐々木
でしょう? 本当にすごい子なんです。

2ヶ月間、撮影の最終日まで
一言も「大変だ」って言わなかったし。
──
そうやって完成したのが
『ミンヨン 倍音の法則』という作品ですね。

でも、今のお話ですと、撮影を終えたのって
「2010年の暮れ」ってことですか?
佐々木
そう。
──
つまり、公開までには
さらに4年近くかかってるってことですか。
佐々木
アップは、2010年12月24日だったんですよ。

予算も人員も厳しいなか、
原田さんはじめ
スタッフは苦労してがんばってくれていたから
最後のカットを撮り終えたときには
みんな
「バンザイ! バンザイ!」って、
「編集、期待してますよ!」ってよろこんで。
──
ええ。
佐々木
でも僕は、腹では「ダメだな」と思ってた。

98パーセントは撮れたけど、
最後の2パーセントが撮れてないと思った。
──
2パーセント。
佐々木
2011年の3月までに編集をアップできれば
文部科学省から
助成金を1千万やるって言われてたんです。

でも、どうしても内容に納得がいかないから、
その話も、パーにしちゃってね。
──
ただでさえ、お金がないのに。
佐々木
異例のことなんですけど、
翌年も「2千万円を助成する」と
言ってくれたんですが、それも間に合わず。

本当に、申しわけないなあと思いましたよ。
みんな怒ってるにちがいないってね(笑)。
──
ですよね‥‥。
佐々木
でも、僕としてはさ、
どうしたって、
前の作品を越えなきゃならなかったから。
──
それで、結果的には
最後の「2%」のために「4年近く」も。
佐々木
よけいに、かかっちゃったんですよ。

<つづきます>

2014-11-10-MON